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11月11日(火)
ほれぼれするような凜々しさのある犬だった。 なんていう種類かしら。 大きさは秋田犬くらいなんだけど、もっとほっそりして柴犬にしては大きすぎる。 銀行のなかにご主人がいるらしくそっちを見ながらときどき「まだあー」って催促するように吠えていた。 わたしはわたしがときどき分からなくなる。 今日のことである。 銀行まわりをしながら買い物をしようと出かけた。 友人にたのんであった洗剤のお金を払わなくてはいけないし、郵便局で切手も買わなくてはならない。 必要なものだけを小さなバッグにいれた。 まず友人の所によってお財布を出そうとして、あれっ、ない。 バッグのなかの主人公足りうるお財布がない。 「ご、ごめん……」 洗剤も切手もあきらめて銀行から銀行へ通帳記帳のための散歩をして戻ってきた。 仕事場にもどり、「お財布を忘れてしまったの」と言ってもスタッフはフフンと冷笑するばかりで誰も同情なんぞしてくれない。(いつものことなのよ) 皆の邪魔をしないようにわたしはバッグの中身をもどすべく通帳などをとりだしていたところ、中からテープ糊が出てきた。 「テープ糊?」 わたしが買い物にいくために入れたらしいのだ。 記憶にないのだが、わたしは買い物をするのに財布よりこのテープ糊を必要だとふんだらしい。 その判断の基準はあまりにも深遠すぎてわたしにはわからない。 いつかわかる時がくるのだろうか…… 新刊紹介をしたい。 相野優子詩集『ぴかぴかにかたづいた台所になど』(ぴかぴかにかたづいただいどころになど)。 著者の相野優子(あいの・ゆうこ)さんは、1953年兵庫県明石市生まれ、神戸市在住、詩誌「アリゼ」同人。詩人の以倉鉱平さんが帯文を寄せておられる。この詩集は第2詩集となる。第1詩集『夢の禁漁区』は1992年に刊行されたが、その後18年ほど相野さんは詩から離れたと「あとがき」にある。この度の詩集の刊行にいたるまでに、阪神淡路大震災と東日本大震災の2度の震災がありそのことは相野さんに大きな打撃をあたえ、それは詩の言葉にも少なからず影響を与えている。日常のなかに突き刺すようにそれはあるのだ。 序詩ーひきかえに いつも見のがしてしまう 庭の隅に置いた巣箱に ことりたちがはじめて気づいたときのことも 台の上の餌を はじめて啄んだときのことも あやふやで やさしい現在のあとから 長い懺悔のくらしがやってくる いま生かされているのは あとでよく苦しむためだ きっと つまらぬものとひきかえに 一番良いものは見えないのだから 痛むよりもはやく 生き抜けてしまえばよいのだけれど わたしは 素性の知れない宇宙の ちいさな相似形なので 速度を変えられない 何をひきかえにしたかは 恥ずかしくて言えない 忘れるほど遠くに運ばれるまで ゆっくり悲しみながら あすへあすへと 膨張してゆく 冒頭におかれた詩を紹介した。 人間は、遠い旅の途上にあって、せつない物語を生きている。直接間接に二つの大地震を経験した作者は、重い物語をかろやかに歌うことで、同伴の旅人にも唱和を促したかったに違いない。ぴかぴかの台所で拵えた美味しい料理をさりげなく差出しながら。 以倉鉱平さんの帯文である。たしかにこの詩集には「せつない物語」が凝縮されていて、それは優しい言葉で語られてでもこわい何かがあったりする。相野さんと同じくらいの時間を生きているわたしであるがその時間の重さは推し量りがたいものがある。お父さまのことを作品にした詩篇を紹介したい。 異邦人 Aujourdʼhui papa est mort ─今日、父が死んだ 『異邦人』の書き出しの一行を真似てつぶやいてみた 父のなきがらとふたり 終末ケアの手厚い有料老人ホームの 空気清浄機の作動する清潔な部屋で 夜明けを待ちながらその意味をかみしめた みなは社葬の準備でいそがしく出ていった 心を病んだ母にはまだ知らせられないでいた 満州で有力者の長男として生まれたが 幼い頃に母親を亡くし 引揚者として苦労して後 日本の復興とともに歩んできた父は 物に溢れるようになった時代の怪物のごとく 贅沢と美食を心 から愛した バブルが崩壊するのに響応するように放漫経営の 責任を引き受けて引退した後も 母が心のバランスを崩して家 事の一切を放棄した後も 高級ブランド品で身を包みベンツに 乗って碁席に行き デパ地下やスーパーマーケットで一番高い 食材を買ってきては 機嫌よく下手くそな料理をした 母の世 話に通う私にときおり高級な品を下げ渡し 心は王族のつもり でも身分は召使の私を どうにかして屈服させようとした 金 庫にはロレックス等の時計が千手観音が着けるほどたんすには ロロピアーノ等の服がヴィシュヌ神ほど玄関にはマレリー等の 靴がムカデの履くほどあったが 残したお金は税務署が疑うほ ど少なかったらしい アジアの片隅にいて、小さな台所でお惣菜を作る毎日の主婦であっても、包丁はしょっちゅう研ぎ、訪ねてくれる人は必ずもてなし、詩は未熟でも 世界の遠いかなたの歓びや哀しみに震える共鳴体でありたいとねがっています。 「あとがき」の一部を紹介した。 もう一つ短い詩を。 望春 とおまわりして アンドウさんの前をとおってみい あの白い花は コブシやろかモクレンやろか ほんまにきれいやで コブシの花は 北国ならずともまだ肌寒い早春の たまさかに匂ってくる 春へのあこがれのような風の薫り きまぐれにあかるい陽射しを待って待って てんでばらばらな向きに空をあおいで つぼみを開く あのお行儀の悪い花は きっとコブシ おばあちゃんとわたしといっしょやね 立膝をついたらいけません 男の子みたいに 足を開いてすわらないの ほどらいに洗わんともっと力を入れて そんなつついっぱい水を出さないで 蛇口をちゃんと閉めてちょうだい あんたはおばあちゃんにほんまにそっくり がさつもんや と 今は 祖母より わたしより もっとお行儀が悪くなった母が よくそう言って眉を顰めていた この詩集の装丁は和兎さん。 白と赤の美しい装幀を相野優子さんはとても喜んでくださった。 この詩集の担当はPさん。 Pさんの好きな詩は、 ゆくぞミミ 猫バスが迎えにきたよ トトロの森から めざすは岩手山 ハチマンタイ しゅびよくイヌワシの背に乗ったら はるかにみおろす大原生林 すずめたちがずい分少なくなってしまった山裾の村から ナナシグレの峰をかすめて クロヤチ湿原に降り立ち 胸のすくような香りのニッコウキスゲやハクサンチドリの花畑をゆく なつかしい恋人は涼しい目の牡鹿 いまでもふとおもいだす あのかたの息のあたたかさ 一夜のまじわりで三匹の山猫を授かったのだ だから もしもこよい銀河鉄道が走っていたら かならず イーハトーブの森をみつける うつくしい花の名を 峠の名や 草原の名を その由来を こどもたちにつたえなくてはなるまいよ (「ミミのエポック」より) 「この詩の出だしのスピード感がとても好きです。 相野さんはよくお電話をくださり、どんな構成にするか、どんなタイトルにするか、どんな装丁にするか、などなどたくさんお話をさせていただきまし た。 お電話口で聞こえる相野さんを想像するととてもぴったりな可愛い詩集ができたのではないかと思います。」 とPさん。 今日の「増殖する歳時記」は、土肥あき子さんによって、山内裕子句集『まだどこか』より。 下の子を抱き髪置の子を連れて 山内裕子 髪置(かみおき)の儀は、3歳となった男女児が11月15日に行う儀式。七五三の三に組み入れている地域もあるが、元来は別の行事である。儀式は頭に綿や白糸を白髪として乗せ、長寿を祈願する。7歳までに亡くなる子が多かった時代には、こまめに節目を用意することで、成長を喜び、神への感謝を捧げていた。医療が発達した現代でも、子の成長を願う親心から昔ながらの儀式を行う。しかし、幼い頃の兄弟、姉妹はたとえ二歳ほどの開きがあろうと、聞き分けのない赤ん坊が二人揃っているようなものだ。晴れ着の幼児と、すやすやと眠る赤ん坊、そして若い父母も美しく装う景色にたどりつくまでの、水面下の奮闘は想像にあまりある。掲句には並んで〈行き合はす人に祝はれ七五三〉が置かれる。はれの日に向けられるあたたかな視線もまた、どの時代にあっても健やかであれとの願いが込められる。『まだどこか』(2014)所収。 七五三というと、仏頂面でおよそ着物の似合わない自分の写真を思い出す。 わたしは思うのである。 言いたくないけど、 この時からわたしの運命はもう決められていたんだなって。 およそ男からちやほやされることは決してないであろうということを。 そんなことを知らないで長い袖をもてあました顔をして写っている7歳のわたしは滑稽なようでとてもいとおしい。 そんな負をせおって果敢に生きてきた自分を褒めてやりたい。。。。
by fragie777
| 2014-11-11 19:36
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