ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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但馬派とは……。

10月29日(水)

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冬が近いことを感じさせる今朝の青空。

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朝日もまたそれを告げている。



昨夜はすっかり遅くなってしまった。
家にもどったのが11時をまわりその後お風呂に入り、録画しておいたテレビドラマを見ていたら夜中の1時をまわってしまっていた。
その後ベッドの中で電子書籍にて小説を読むべくキンドルを立ち上げたのであるが、1頁半で眠くなりキンドルを閉じてそのまま寝入ってしまったのだった。
今朝は15分おきに鳴る目覚ましの三度目でやっと起きられたという状態。

パリで食べる生牡蠣と日本の生牡蠣はその種類はちがって、健啖をほこったある小説家によるとパリの生牡蠣が断然うまいということらしいが、わたしはかつて30年以上前に初めて行ったパリで食べた生牡蠣のことを思い出し、その量の多さに驚いたことしか覚えておらず、それほどうまかったという記憶がない。日本で食べる生牡蠣の方がうまいという思いがある。パリの生牡蠣をふたたび食べてみたいと今朝ふっと思ったのだった。





新刊句集を紹介したい。

山内裕子句集『まだどこか』(まだどこか)。

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四六判上製カバー装。198頁。

著者の山内裕子(やまうち・ゆうこ)さんは、「ホトトギス」「惜春」「夏潮」に所属、「夏潮」の編集委員をされ、「夏潮」の結社賞を受賞されている。「ホトトギス」では京極紀陽門下の森田昇氏に師事、この度の句集には森田昇氏が序文を、「夏潮」主宰の本井英氏が栞を寄せている。山内裕子さんは、1954年愛媛県生まれ、2001年に森田氏の下で俳句を始める。今年還暦を迎えるにあたり句集を刊行することを決められたと「あとがき」にある。

 まだどこか壊れものめく仔馬かな

この句集の巻頭におかれた一句であるが句集名となったものである。仔馬にこだわらぬ初々しいひろがりと初心のことばが、そのままこの初句集の感じになる気がし、仕上がりが期待される。と森田氏は序文に書く。

 春嵐いろんなものが落ちてをり

具象といえる言葉は春嵐だけ、それも既に吹き荒れた後にいろんなものが唯落ちているというだけの認識である。具象の意識といえばよいか、言葉としては何もないのに確かに色んなものが見えて来る。裕子俳句の特色の一つであろう。

「言葉としては何もないのに確かに色んなものが見えて来る。」という森田氏の指摘は的確にこの句集の魅力を語っているとわたしは思う。写生して一瞬をとらえている句が多いのだが、その一瞬から見えてくるものがあるのだ。きわめてさりげないのだけれど、辺りがみえてくるのだ、それも空間だけでなく時間の前後もみえてくるような、そういう感じ。

 バス行つてしまひし乗り場つばくらめ
 花見えぬあたりにもあり花筵
 決めかねてゐることひとつ梅雨の蝶
 タクシーの客の見上げる鉾の空
 一本の足は葉裏に蟬の殻
 天窓の形に光るプールかな
 海女舟の引き上げられし浜小さく
 虹立つてゐるところまで行けさうに
 近づけどもう虹も無くなにも無く

作品のうちに軽快なリズムがあって読み手にこびていないし心地よい。俳諧のセンスがあるというのだろうか。
本井英氏の栞のタイトルは「但馬派を継ぐひとり」。「但馬派」とは?と思って読み始めたのであるが、どうやら「但馬派」とは、「ホトトギス」のおける京極杞陽の流れということであるらしい。栞を紹介したい。

 花鳥諷詠虚子門但馬派の夏行   杞 陽

私の大好きな句である。ときに気ままな殿様の文芸と思われがちな杞陽俳句の、実はうちに秘めた矜恃のようなものを感じる。この句「但馬派」に脈々と伝わる「何か」があるからこその言挙げでなくてなんであろう。ノンシャランな印象の、杞陽京極高光という貴公子の、心の底に盤踞する虚子への信仰と、その「一部なりとも」を「但馬派」として伝承せねばならぬという決意が見てとれる。

そして次の京極杞陽について語られた栞の一文が山内裕子さんという俳人にもそっくりそのまま当てはまるようにわたしは思う。

「こだわらない」、「こけおどしを言わない」、「読む人を圧迫しない」、「褒められようとしない」、「素顔をかくさない」などなど。

わたしは好きな句が多かった。「ホトトギス歳時記に」に準じて、作品を月別に編集して収録。

 左義長の灰高々と屋根を越え
 剝き出しの太陽ひとつ雪晴れて
 あのときのやうに見上げて冬桜
 まだ何もしてない畑いぬふぐり
 縮緬の猫も兎も吊し雛
 ときをりは桜吹雪といふほどに
 しやぼん玉ビル逆さまに弾けけり
 牡丹の花びら少し遠く散り
 棕櫚咲いて売地に影を落としけり
 菖蒲田に引きたる草をひとかかへ
 決めかねてゐることひとつ梅雨の蝶
 鵜篝の夕べの炭の零れゐし
 噴水を摑まんとする子供の手
 海女舟の引き上げられし浜小さく
 前掛けのままに出て来て草の市
 霧の駅に隣の席の人下りし
 菩提子を拾へば羽に少し泥
 行き合はす人に祝はれ七五三
 墓裏へ回れば深き落葉かな
 一茶の忌太つた猫の通り過ぎ
 セザンヌを見て短日の町に出る
 鳩の足濡れて冷たき水溜まり
 年を守り終へし茶碗を洗ひをり

読んでいくと俳句の心地よいリズムに心がいつの間にかそっていく。わたしはいつしか高野素十の俳句を思い出したりもしていた。

「……多少の約束事が俳句にはありますが余りこだわらずに、十七文字と季題に注意する程度でやられるのがいいと思います。その内追々分かってきます。……ご自分の感性を大切にのびのびとやってください。……取り組んで損ではない文芸です。」私が初めて森田昇先生からいただいたお葉書の抜粋である。十三年前の三月の消印である。(略)毎月個人的に句稿をみていただくようになった頃だろうか、昇先生が短詩文学のシンポジウムに参加された際の原稿のコピーを送ってくださった。その中に虚子・杞陽における客観写生について「写生とはただ見えたものをそのままスケッチするのではない。心で発見したもの、心に響いたものを、心のイメージとして映し出す」。また選に関しては「俳句というのは自分でつくるわけだが、出来不出来を自分で判断するのはむずかしい文芸である。判定者、客観できる眼が必要であり、すぐれた選者によって或る場合は作者の意識下までもが摘出されるものであり、そうした選によって生かされる文芸とも言うことができる」と書かれている。私がおぼつかないながらもなんとか歩んで行けているのはひとえに昇先生のお蔭と、この幸運な出会いに感謝してもしきれない思いだ。

「あとがき」の言葉である。森田昇氏の「十七文字と季題に注意する程度でやられるのがいいと思います。その内追々分かってきます。」という言葉がいい。とくに「その内追々分かってきます」というのが、ゆったりとして短兵急に結果を急がない、そういう磊落さは21世紀という時代には消失しようとしている。このことはわたし自身にも言える。

この句集の装丁は君嶋真理子さん。
きれいな仕上がりとなった。

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表紙。

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見返しと栞。

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扉。

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花布とスピン。

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装丁も作品もまことに清爽な句集ができあがった。

担当のPさんの好きな句は、

 若楓風立ちやすく止みがたく
 身じろぎて蛇の模様の少しずれ
 東に夕日当たりて雲の峰
 鳥同じ方へ飛び行く谷涼し
 青空のまだ残されて踊かな
 ゆく秋の不味き饂飩をすすりけり
 さつと地図見て立ち去りぬ冬帽子

「たくさん素敵な句がありましたが、こんな句がとくにすきでした。
男性的でとてもかっこいい視点だなあとドキドキします。」というPさん。
好きな句がわたしとあまりにもだぶってるのに驚く。

わたしにはとても面白い句集だった。好きな句はたくさんあったけれど、あえてこの一句。

 開けてある引き出しに来て冬の蠅

こういう状況というか風景はほかの詠み方もあるような気がするのだが、山本内裕子さんの俳句というものを端的に表しているように思える。つまり季題のみを詠んでいるのだ。つまるところ山内裕子さんの作品はすべて季題に収斂されていく。そこがきっちりと「ホトトギス」の伝統を継いでいる。そういうところは何も意識せずに読んでいってそうなのかって気づく。そこがなかなかすごいとわたしには思えるのだ。爽快な句集だった。
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by fragie777 | 2014-10-29 20:05 | Comments(0)


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