|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
10月28日(火)
![]() 銀行へ行くときに必ずこのゲームセンターの前を通る。 このゲームセンターはかつてパチンコ屋だったように記憶している。 いつからゲームセンターになったのだろう。 あまり足を踏み入れたことがないのだけれど、 あれは15年くらい前だったかしら、何人かでやってきてワイワイ言いながらプリクラを撮ったことがあったなあ。 でもそれももうはるかむかしのことのよう。 新刊紹介をしたい。 阿知波裕子句集『山櫻』(やまざくら)。 ![]() 阿知波裕子(あちわ・ゆうこ)さんは、俳誌「若竹」(加古宗也主宰)の同人、1942年生まれ名古屋市在住。1991年に「若竹」に入会し現在に至るが今回の句集は1991年から2014年の23年間の355句を収録した。序文は加古宗也主宰が良き指導者良き理解者としての序文を寄せておられる。 水音の低きへ急ぎ山櫻 句集名「山櫻」となって一句だ。「東吉野村三句」という前書きのあるうちの一句だ。清流の硬質な響きが身体に打ち込んでくるようだ。そして凜とした寒さも感じる。「山櫻」というタイトルはやはりいいなあと思う。 蟷螂の斧まだやはきみどりかな 野薔薇咲くモンゴメリーの棲みし家 下町の風呂屋へつづく沈丁花 けんけんの子が出て来さう菊の路地 芋水車あつけらかんと生き生きと 髪白くなりたる雛流しけり 菜の花や青き鯨の滑り台 裕子さんはじつに瑞瑞しい感性を持って私の前に現れた。汚れを知らないこのような感性は、当然のことながら彼女の育ちによるのだろう(略) 庶民の暮しの中の「幸福」というのはいったい何なのだろう。句集『山櫻』はその答えを次つぎに見せてくれる。(略) 裕子さんは人を疑ったり、あるいは時代に流されたりすることもなく、自分の信じる道を素直に歩むという素晴しい資質の持ち主だと思う。そこから、これからも魅力的な作品が生み出されつづけると信じている。 「マリアのように」と題された序文をところどころ抜粋して紹介したが、「天真爛漫」そのもののようなお人である。ご主人の病気など人生のさまざまな局面にも天性の明るさで乗り越えて来られたと加古主宰は書かれている。吟行句にもよいものがあるとして何句もあげられておれるが、そのうちの何句かを紹介しておきたい。 花栗のにほふ軒先軍手干す (青島) 波の間に聞こゆる島の時鳥 夏燕赤福茶屋の黒暖簾 すかんぽの道来て地獄絵図にあふ (国東) 春の鹿寄せてホルンを草に置く (当麻) 土筆野に乾きし葭を選りてをり (近江) 女手に選り分く葭や浅き春 さつきまで青空見えてゐし花野 (蓼科) 甘蔗畑抜けて鉄砲伝来地 聖夜劇一番小さき子がマリア 初学の頃から変わらぬ高い志の、加古宗也先生の〈心の俳諧〉のご指導の下、日々の暮らしの杖として俳句があることをしあわせに思っています。今では句に生きる力を授かっていると思えるほどです。(略)まとまった句稿を改め読んでみますと、私の六〇歳代は凄まじい速さで過ぎて行ったようです。(略) この後も、更に〈心の俳諧〉の道を深めて行きたく思っています。 「あとがき」から抜粋して引用した。おおらかであるいっぽう一途な作者の顔がみえる。わたしが思うに阿知波さんはきっと加古主宰をはじめ句友の人たちからその可愛いらしいひたむきさで十分に愛されているんだと思う。ほかに、 山へ行くとは川に沿ひ独活の花 すかんぽや聖書を包む小風呂敷 新涼やからくれなゐの鼓紐 ほうたるや書かねば記憶より失せて 宵寒や手が懐かしむ膝頭 鉤鼻の志功の女桃匂ふ 捩花の紅のぼり初む司祭墓 水仙や木の学校に木の机 この句集の装幀は君嶋真理子さん。 君嶋さんには「櫻」という名のついた句集をこれまでいったい何冊手がけてもらったことか。 「ええっ、桜?!がつくんですか、もうどうしようかなあ。」って言いながら、そこは無敵の君嶋さんである。ラフを10枚くらい平気でつくってくる。 今回もいろんなラフ案のなかからの著者が選ばれたのがこの装幀のものである。 ![]() ![]() しかし、フランス装であるのでやはり出来上りは清らかな上品さがある。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 一種の工芸品的な出来上りとなった。 この句集の担当はPさん。 Pさんの好きな句は、 蟷螂の斧まだやはきみどりかな 春の鹿寄せてホルンを草に置く 「お電話するといつも明るい声でお話いただき、声の印象から、『山櫻』の一句一句が阿知波さんその等身大だと感じました。 明るく朗らかでとてもまっすぐな方という印象です。 お会いしたことはないのですが、装丁が華やかで女性らしいものになったのは阿知波さんのお人柄が表れてのことだと思っています。 いつかお目にかかれたら嬉しいです。」 とPさん。 わたしはこの一句が好き。 春の雲見つつ腹筋鍛錬す 阿知波さんにお目にかかったことはないけど句集を読んで立ち上がってくる作者像をよく語っているように思う。 「春の雲」がいい。これはマダムの腹筋である。 このあとどのくらい続けられました? って阿知波さんに伺ってみたい。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、脇村禎徳句集『素心』より。 秋天のにはかに高し高かりし 俳句の師、森澄雄への追悼句。訃報を受けて天がいちだんと高く見えたというのだ。天と地が広々と開けたように感じだのだろう。その広大な空間にひとり残された弟子の寂しさが言外にある。森は芭蕉にならって近江を愛した人だった。 おなじく讀賣新聞の昨日付けの仁平勝さんによる「俳句時評」は「想像力に預ける比喩」と題して二つの句集をとりあげている。『宇多喜代子俳句集成』(角川学芸出版)に収録された第7句集『円心』について、もう一冊は、鴇田智哉句集『凧と円柱』についてである。ここでは、『凧と円柱』についてすこし引用して紹介しておきたい。 ひだまりを手袋がすり抜けてゆく 蟻たかる人の匂ひのある庭に 澄む秋は足を浮かせてからのぼる ちょっと真似のできない独特な作風だが、定型の中で散文脈が成立するように装う手法、とでもいっておこうか。(略)ようするに、意図的な言葉のミスマッチと違法な(?)省略によって、比喩を使わずに読者の想像力に比喩を預ける仕掛けだ。どこか手品に似ている。 とても面白い評として読んだ。 これから人に会う約束がある。 なに、仕事じゃないのよ。 だけど遅刻をしてはいけないとじゅうじゅう言われているので、 急いで行かなくっちゃ。 風邪はどうなったかって? 葛根湯と蜂蜜レモンが効いみたい。 ああ、それと寝る前にしたイソジンでのうがいかな。 皆さまもお気をつけくださいな。
by fragie777
| 2014-10-28 19:04
|
Comments(0)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||