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10月17日(金)
![]() 30年以上はきつづけたお気に入りのスカートがある。 黒のウールの襞スカートなんだけど、布地がむかしのものでしっかりしていて襞もくずれていない。 裏地はぼろぼろだけどね。 体型が変わったのに、よくはけるなあって。 たしかに。 体型はおおきく変わった。 お腹も出、足も太くなった。 だけどはくのよ。 気合でね。 今日はひさしぶりにそれをはいて、お腹をこうぐうっと引き締めてえいやっとジッパーを上げようとしたら、 あららら、 ジッパーが壊れてしまった。 ジッパーが悲鳴をあげたのだった。 しかし、わたしの執着はすさまじく、 ただちにその哀れなスカートを修理に出したのだった。 戻ってきてふたたびそれをはく日を夢見ている。 新刊紹介をしたい。 篠原悠子句集『桐の花』(きりのはな)。 ![]() 著者の篠原悠子さんは、昭和17年札幌生まれ、平成8年に俳誌「野火」入会、平成18年に「隗」主宰の大山雅由氏に出会い「隗」に入会したが大山氏の急逝によって退会され、現在は「野火」同人である。跋を山口あつ子さんが書かれている。句集名は、「橋すぎるころには暮れて桐の花」による。平成8年から25年まで17年間の作品のうち、285句を厳選して収録している。 じやがいもが好きで道産子三代目 胸中に北の海あり夜の霙 篠原悠子さんはふらんす堂のご近所にお住まいでありこの度もご近所のよしみで句集をふらんす堂より刊行された方である。仙川商店街でもう何べんもお会いしている。ふらんす堂へも何度も足をお運びくださった。「道産子」であると伺い、そのはきはきとした物言いや物事をいい加減になさらない真率な態度にわたしは一種の開拓者魂を感じてしまう。ご自身の俳句にたいする態度もなかなか厳しいものがあってそれはあっぱれなほどである。そんなシャンとした佇まいの篠原悠子さんであるが、平成22年23年とにいっぺんに悲しみが押し寄せた。平成22年の11月にお父さまが亡くなり、翌23年の1月にご長男が若くして急逝、10月にはお母さまが亡くなられた。 昼を眠る父よ木の葉は風のまま 今日よりは冬の紅葉や父逝ける 泣きさうな空を支ふる冬欅 涙して出しつぱなしに寒の水 虎落笛子を白絹に包み抱く 燗熱く子の早逝を叱る夫 いつまでも子は母のもの蕗の薹 天上に星ひとつ生る沈丁花 落葉もう急がず母のみまかれる ひととせに子と父母と逝く残る虫 慟哭の日々を耐えてこられた篠原悠子さんだ。 跋文を寄せられた山口あつ子さんは作品をとおして、著者の内面に深くこころを添わせその叙情を掬いあげる。 鳥渡る斑鳩の塔しるべとし つくねいも叡山の泥つけて売る 津軽野の風に襞あり朴の花 磯畑の隅にもの干す灸花 陽炎や女兵士の背の高き 極彩の仏の笑まふ暮春かな 業平は文弱ならず旱星 きりぎりす昔男の枯れきれず 手焙や源氏中年以後がよき 一対の椅子に一人の遠花火 誰もゐぬ二階の軋み雁渡し 行きあひの雲の乱れや送り盆 山口さんは、跋文で隅々まで目の行き届いた文学性の高い句集である。と物を見る眼の確かさと、程よい叙情に裏打ちされた作品である。を指摘する一方、著者の古典への造詣の深さや陰影に富む生活詠についても触れている。そして、 がまずみの熟れて夕日の重くなる 仏性のたとへば青き櫟の実 修羅の世を洗ひ足らずに虹ひとつ 送り火のやうにもの焚く秋旱 棚畑の山へとかへる葛の花 軒端まで闇の来てをり雛納 ひだるさの寂しさに似て鳰のこゑ ふきのたう一日湖のささ濁り 大いなる悲しみを経たのちの著者の内面の深まりとその広やかな世界に注目する。 落葉色まとふ冬蝶踏むまじく 秋の波引くとき言葉とりもどす 行く秋の後姿を水の底 息止めて次の風待つ青芒 寒さうな猿に見られてをりにけり だまし絵のやうな街並薔薇咲ける きさらぎの隠れもあらず水のこゑ 行く春の薄紙に透く菓子の色 絵屛風のうしろへ廻る寒さかな きりぎしの雨は大粒かたつむり ひと雨に秋の定まる灯色かな 平成八年「野火」に入会しました。大学受験の仕事で俳句を鑑賞・批評する文に接し、心ひかれていたためです。たちまち奥深い魅力を覚えるようになりました。 当時の松本進主宰には、「俳句は詩である」と厳しくかつ温かいご指導をいただきました。次の池田啓三主宰にも大変親身なご指導をいただきました。お二人及び句友の皆様には、心よりお礼申しあげます。 平成十八年、発足一年目の「隗」主宰大山雅由先生に出会いました。何より魅力的な作品世界、理論的なご指導が新鮮で、目が開かれる思いでした。しかし、惜しくも平成二十五年十一月に急逝。六十六歳でした。次の句集を読ませていただくのを楽しみにしておりましたし、そのご無念を思うと、ただ残念と言うしかありませんでした。 途方に暮れる思いの中で、ご指導を無にすることなく、計画中の句集を形にすることを決心しました。平成二十二年からの一年間に、父と長男と母とを相次いで亡くしており、ここで気持ちに一区切りつけて次の一歩につなげようとの思いもありました。 「あとがき」より。多くのかけがえのない人たちの別れがあった著者である。 わたしがお会いした篠原悠子さんは、いつも凛としておられ悲しみをもらすような方でないだけにその内に宿す悲愴はいかがかと思うばかりだ。あるいはご本人も気づかぬうちにいつしか俳句によって癒されているのかもしれない。 この句集の装丁は和兎さん。 「できるだけシンプルに」というのが篠原さんのご希望だった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 担当は、高橋千絵さん。「星を詠んだ句はどれも好き」というなかから次の一句を選んだ。 星尖ることさら冬の早き街 わたしは次の一句。 やや寒の疑はず買ふ明日のパン 親しい人たちの死を経験した著者にとって死は遠いものでなくきわめて身近なものとなった。 明日あることを疑わずパンを買うという句だが、こう詠むことはすでに足元の深淵が見えているのだ。 「やや寒」が、 ああ、寒い……。 10月も半ばをすぎた。 明日18日は、実はふらんす堂の法人としての創立記念日である。 ということを今気づいた。 今朝気づいていたらスタッフたちに言ってたんだけど、 もうあとのマツリ。 ひそかにわたしだけで祝おう。 法人としてはいったいいくつになったんだ? 1981年だから、 げえーっ 33歳だ。 スカートだったらジッパーが壊れているな…… う~~む。 今家にもどってえらい間違いをしていることに気づいた。 法人になったのは、1991年だった。 10年間違えていた…… もういやだわ。 だから、まだ23歳。 ジッパーは壊れていない。 ちなみにふらんす堂がこの世に誕生したのが、 1987年3月3日。 覚えてもらってもよくってよ。 (わたしが忘れそう……)
by fragie777
| 2014-10-17 22:08
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