ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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やすらかな不穏さを秘めて。

10月1日(水)

やすらかな不穏さを秘めて。_f0071480_1828530.jpg
男郎花(おとこえし)。
蝿のような虫がとまっている。この虫の美しい青に眼が止まった。ほかにも似たような虫が飛んでいたのだが、これほど青いのはこの一匹のみ。
この青にこころを奪われてしばらくその場を動くことができなかった。



さて今日も新刊紹介をしたい。
すでに多くの反響がツイッターをにぎわしているらしい鴇田智哉句集『凧と円柱』(たことえんちゅう)である。

やすらかな不穏さを秘めて。_f0071480_18361715.jpg
四六判ソフトカバー装。172頁。

前句集『こゑふたつ』(俳人協会新人賞受賞)に次ぐ第二句集となる。タイトルは「凧と円柱」。集中に「凧」を詠んだ句、「円柱」を詠んだ句はあるが「凧と円柱」の組み合わせによる句はない。しかし、「凧と円柱」という見出し項目があり、そこに「凧」の句はなく「円柱」の句が一句ある。

 円柱は春の夕べにあらはれぬ

「円柱」の句は、後半にもう一句ある。句集のおしまいのほうにおかれている一句である。

 円柱の蟬のきこえる側にゐる

この句集は全体が承転起の3部構成になっていて、転は「天災の痕跡」と「あとがき」にあり、承は「尾のつづき」、起は「それからの響き」とあり、どうやら「転」は東北大震災のことらしい。その前後は「転」のあとさきということになろうが、それは時間軸の編年というよりも「心の編年体」で編まれているという。
つまりこんな風に短絡的に解釈していいのかどうかわからないが、「円柱」の最初の句は、どこかのどかな春の様相のもとに現れ、「転」以後の句はのどかには遠く、こころを何かにそばだてている、そんなかすかな不安感がつきまとうようにもおもえる。
しかし、わたしはこの句集『凧と円柱』についてまず書きたかったことはべつにある。
おもしろい句集で次から次へとページを繰ってしまったのであるけれど、鴇田マジックに魅せられてしまったというべきか。

 南から骨のひらいた傘が来る
 顔のあるところを秋の蚊に喰はる

たとえばこれらの句、「ひからかさ南の方より来たりけり」としてしまえばきわめて凡庸な句であるけれど、あるいは次の句も「秋の蚊に顔を食はれしまひけり」とすれば陳腐な句ができあがる、しかし言ってみれば句から見えてくる風景は先の二句とどちらも同じものを詠んだように思える。そしてその風景はわたしたちがよく眼にするなんの変哲もない風景なのだ。だが、どうだろう、平凡らしき風景が鴇田智哉に詠まれることによって妙なリアル感と微かな不穏さをもってあたらしい風貌のもとに立ち上がってくるのだ。それが鴇田マジックだ。
鴇田智哉は、目の前の風景(それも実は言葉によって構築されたものである)を一度解体し、あらためて言葉によって再構築してみせる。わたしたちが風景を見るとき、わたしたちの常識的な言葉の組み合わせによってそれをたどっているわけだが、鴇田さんは、その常識な言葉の組み合わせに挑んでみせるのだ。俳句というジャンルにおいてもその常識という網の中から逃れるのはむずかしい。
鴇田さんは、俳句における表現もまたエクリチュールの問題であることを意識化し、ご自身の方法で俳句を書いていく俳人だ。(こう書いて、田中裕明という俳人をすぐに思い浮かべたのだが…)
また定型と切れ字を用いて言葉を収斂させていくようなゴチック的な俳句ではなく、定型という形式のなかでゆるやかにバロック的な世界をひろげていく俳句、そんな手ざわりをわたしは感じる。

 いちじくを食べた子供の匂ひとか
 春の日の午後から部屋の遠くある
 茎うすらあをく伸びゆく彼岸花
 裏側を人々のゆく枇杷の花
 春昼のだれもの曲がる角のあり
 めまとひを帯びたる橋にさしかかる
 蟬の死にぱちんぱちんと星が出る
 人参を並べておけば分かるなり
 床板と二月の空と晴れてあり
 歯にあたる歯があり蓮は枯れにけり
 梅林のかたよる方へ胃のうごく
 地は秋の車のなかの一家族
 百合ひらくなまあたたかき夜の川
 空ふかくゑのころ草の穂がさはる
 草木枯れまぶたの裏を目がうごく
 晩春の河口に骨のいろの木々
 蟻たかる人の匂ひのある庭に
 書いてある番地のなかの枇杷の花
 巣が蜘蛛のまはりへと波打つてゆく
 澄む秋は足を浮かせてからのぼる
 シーソーを冬の装置としてをがむ
 山は枯れひとりの部屋のすきとほる
 蟬のゐる樹のある夜の赤くなる
 絨毯にあるまなざしのみな違ふ
 靴ふたつその上にたちあがる冬
 配管の寒さがビルをはしりけり
 空の木のひろがりに凧かかりたる
 
一句の世界がもつ伸縮性は自在にして、余韻もはるかだ。省略の心得もあり、助詞の使い方の巧みさには舌をまく。新しく手にした魔法の望遠鏡をこちら側からのぞくと世界はこんな風にみえてくるのか、そんな感じだ。

三つの章にもし意味づけをするなら、承・転・起、になる。
承は、尾のつづき。
転は、天災の痕跡。
起は、それからの響き。
とはいえ、いわゆる編年体と違う。句はどれも、それが生まれた年によってでなく、心における前後に照らされて、配置された。
心は、以前にも以後にもうつる。それは感情に限らず、見える、聞こえる、匂うといった感覚に関しても。ときに心は、未来の出来事を先に見ることでさえ、ある。─今のこの出来事は、いつか遠い昔にも見えていたし、これからずっと先にも、また新たに聞こえ続けるだろう─
この句集はいわば、心の編年体による。


「あとがき」を紹介した。「あとがき」の言葉もまたわたしたちの心の新しい領域にひびいてくるものだ。
「現代俳句は一ミリずつ新しくなるだろう」と言ったのは、山本健吉だったか忘れたが、鴇田智哉のこの度の句集『凧と円柱』によって俳句は1,5ミリほど新しい領域に踏み込んだ、そんな手ごたえを抱かせる句集だと言ってもいいかもしれない。

この句集のブックデザインは和兎さんであるが、鴇田さんの徹底したこだわりに従ったものだ。

やすらかな不穏さを秘めて。_f0071480_20132833.jpg
カバーの写真四葉は鴇田さんが撮ったものである。
この句集は本来「帯ナシ」ですすめられた。それも鴇田さんの希望だった。
(書店のみ、帯をつける予定だったのだが、どういうわけか担当のPさんのチョンボで帯有りのものが送られてしまったのだ。鴇田さん、ごめんなさい。)

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表紙。刷色は黄色。
この黄色は鴇田さんのこだわりである。

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見返し。

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扉。

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帯も見返しと同じ用紙。

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本文のレイアウトにも鴇田さんはこだわった。

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活字は活版印刷に近いものというのが、ご希望。

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本文にもご本人の写真が二葉収録している。

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こうして鴇田さんの顔をもった句集が出来上がった。

この句集の担当は、Pさん。
Pさんは楽しそうに編集作業をすすめていた。
以下はPさんの感想です。

 ひなたなら鹿の形があてはまる
 春めくと枝にあたつてから気づく
 夕焼けてからやはらかき海のうを
 芒から人立ちあがりくるゆふべ
 くちもとが車に映る柿の花
 咳をするたびに金具のひかる家
 砂を踏むたび沖合の霞むなり
 塊として菜の花にうづくまる
 ウミネコはガードレールを見たとのみ
 いつぽんの秋刀魚ののびてゐる光

「好きな句はたくさんあって選びきれません。本当に句の意味が分かっているのかときかれるとまったく分かっていないのかも知れませんが、鴇田さんの句のが持っている“空気”に惹かれます。明確でしっかりとした意志を持ってつくられた句たちだとは思いつつも、ぼんやりと眺めることを許してくれ るようで不思議な句集だと思います。
楽しく勉強になる編集作業でした。」

わたしは好きな句につぎの一句をあげる。

 秋の蚊にゆふぐれの血がついてゐる

「ゆふぐれの血」に詩情を感じるが、若干の不穏さと気味の悪さを思う。(こういうのってわたし好きかも)。Pさんがわたしの選んだ句を見て、「それって後半の方でしょう? 後半の方って前半に比べて目線が低くなって行くような気がするんですよ」とPさん。
ふーん、
そうなのか……。




去る27日に、アルカディア市ヶ谷で、「第7回日本一行詩大賞」の授賞式が開かれた。
歌集『純白光 短歌日記2012』の著者小島ゆかりさんが受賞され、お祝いにふらんす堂よりPさんが出席した。
この「日本一行詩大賞」の受賞は、ふらんす堂でははじめてである。
ほかに、「特別賞」として西川徹郎さん(句集『幻想詩篇 天使の悪夢九千句』)と故清水昶さん(句集『俳句航海日誌』)がご受賞された。

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受賞された方々、選考委員の方々と記念撮影。

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日本一行詩協会代表の角川春樹さんと小島ゆかりさん。

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ご挨拶をされる小島ゆかりさん。

ご挨拶の言葉がとても良かったとPさん。
以下に抜粋してご紹介します。

短歌日記というスタイルにチャレンジしたのは初めてです。

2012年は東日本大震災の翌年でありました。
ですから、日本全体が非常に重苦しい時期にあって、
そして、個人的には父が認知症がどんどんひどくなっていく
その介護看護にあけくれて2012年でありました。

しかし、日記という形であったためにたいへん自由になれたことを思い出します。

人間ですからいろいろな大変なことを抱えていても、
今日はご飯が美味しいとか、
今日はカラスがこんな鳴き方をしているとか、
今日はこんな失敗をしてしまったとか、
毎日豊かなことが刻々とあり、
それを歌の中でどんな風に表現しても良い、そんな場を与えられたのです。

ふだん、総合誌などに発表するときは20首30首単位ですから、
1首ずつの完成度とか30首の構成とかそういうことを
どうしても考えてしまうけれども
しかし、1日に1首ですから本当に自由に、
その日、ふと思ったことを30数年つくっている短歌の形にすれば良い。

このスタイルをして始めて気がついたんですが、
やっぱり歌は自由だなと思いました。

詞書きを毎日添えなければいけないのですが、
慣れていないので文章の方が全然書けないんです。
歌はすぐにできるんです。

歌は型があって、その型が一見不自由に見えのだけれども
実はその中で私を自由にしてくれる、そういうことに気がつかされました。


「定型は自由である」という小島ゆかりさんのことばに「驚いた」というPさんである。
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by fragie777 | 2014-10-01 21:35 | Comments(0)


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