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9月30日(火)
![]() フランスのデザイナー、ジャンポール・ゴルチエがプレタポルテから引退したという記事を読んだ。 まだ62歳だ。 掲載記事には、最後のパリ・コレクションで十分に若々しいゴルチエが手を振っている写真がある。 引退理由は、「多忙すぎて革新的なことを試みる時間がないため」という。 今後はオートクチュールや香水などに専念するという。 ブランドものはあまり興味がないのだが、ゴルチエは好きなデザイナーだ。友人のセレクトショップがいっときゴルチエを扱っていたこともあり、高いものでないものを数点もっている。 ゴルチエの服には「先進」という魔法の香水がほんのちょっと振られている。(と思ってる) だからね、ゴルチエを着ると5歳から10歳くらい若くなったような気がしてくるのね。 うん? わかってるわよ。手前勝手な幻想にすぎないということも。 (でも勝手に思うわけよ) だからゴルチエの既製服をもう着られない、というのはとっても残念。 新刊紹介をしたい。 田草川功子句集『弓弦』(ゆづる)。 ![]() 著者の田草川功子(たくさがわ・のりこ)さんは、俳誌「泉」を経て、俳誌「椋」に所属、平成8年に綾部仁喜に師事し平成21年「泉」新人賞を受賞、その後「泉」を退会し、かつて石田勝彦とのもとで句座をともにした石田郷子が代表をつとめる「椋」に拠って今は俳句をつくられている。この度の句集はおよそ15年間の作品を収録した第一句集である。 句集名の「弓弦」は、「兎座をなぞりて寒き弓弦かな」という句が句集の掉尾に置かれているが、ご子息がチェロ奏者であることからの命名という。 序文は代表の石田郷子さんが寄せておられるが、父勝彦のもとで句座をともにして来られた句友としての惜しみない賛辞の序文であると言っても過言ではない。 トロッコの昼休みなる菫草 この辺り土壁造り鶏頭花 動きだす朝の音ある古簾 夕星のはきはき出づる雁供養 雨霧を山へかへせる鞴かな これらの句のように、『弓弦』には、俳句独特の省略をきかせた叙景句が多い。その省略を不自然に思い、表現として受け入れることのできない読者に、作者ははじめから向き合っていない。私は、まるで質のよい写真集を繰っているように、個々の作品の時空を気ままに歩みながら、常にどこかに作者の気配を感じ取っている。 まことに適切な評であるとおもう。「省略をきかせた叙景句」であること、その「省略を不自然に思い、表現として受け入れることのできない読者にははじめから向き合っていない」とある。この句集を読むとたしかにそうだと思わされる。著者は俳句というものがいかなるものであるか、はっきりとしたこたえを持っているのだ。師・綾部仁喜より徹底的に俳句性を叩き込まれた、そのことへの信頼からきている。そのことを著者は「あとがき」でこのように書く。 平成八年に綾部仁喜先生に師事し、俳句を作る基本としてまず「個別の眼」で見、感じるということをくり返しくり返し、ご指導いただきました。初心の私には大変難しく厳しいものでしたが、それも今は大変ありがたく、懐かしく思われます。「個別の眼」を肝に銘じて、私の句作りの指針としてこれからも歩んでゆく所存でございます。先生にご指導いただきましたことに深く感謝申し上げます。 容赦なき坂を下りゆく木葉木菟 竿の手の不意に暮れたる子持鮎 嗽ぐ朴の冬芽をたかくして 形代を流して岸の残るかな 新米を真水のごとく掬ひけり うすら日をまぶしむ雛まつりけり なきがらの戻る花茣蓙かた寄せて 瘡蓋のやうなる冬をゆかせけり 『弓弦』の句は、心底清々しい。と同時に、一句一句が、それぞれ立ち止まらざるを得ない宇宙を内包し、潔い切れをもって完結していることに改めて感嘆せざるを得ないのである。 再び序文より引用した。「潔い切れ」に著者のこころざしの高さがみえる。読者にへつらっておらず、かえって読者の力量がはかられる句集かもしれない。 また磨かれた肉眼、すなわち「個別の眼」によってよくものが見えているのだ。焦点がよく合っているのだ。 作品を紹介したい。 落ち蟬の残れる息をひろふなり 押しもどす力を踏める落葉かな 鬼やんま知恵の目玉を向けにけり 蛍袋白せつせつと夜に入る 揺れやみしコスモス人をこばみけり 冬帽子レーニン髭をいつくしみ 秋蝶のいとけなかりしかたみわけ 水仙を声かたまつて通るなり 雲梯のつぎの手に秋きたりけり 白鳥の来る空といふ遠さかな 人の日といふてのひらの豆腐かな 半島の先の先まで稲架を解く 夕星に脚たたむなり春の鹿 息白く日あたる列に加はりぬ 水底の日溜りに年ゆかせけり 棒稲架を打ち込んでゐる日本海 如月の森のそはそはしてきたる 雲が雲呑んだる藤の大なだれ 山並のきはやかなりし檸檬かな あえて言えば大人の句集とでもいうべきか、著者は定型の前でじたばたしていない。俳句形式へのこころからの信頼がある。それは定型への、季語への、切れ字への信頼である。季語が多彩であること、切れが利いていること、定型という器を大きくかつ繊細に用いていること。それは、見事なまでに作品が語っている。 「闇」ということばひとつとっても、この著者は「個別の眼」を持っている。 三日はや闇うづたかき畳かな 闇に手を摑まれてをる河鹿かな 杓の水打つては闇をかろくせり 戸隠山の分厚き闇や花林檎 一切を闇に返せる踊かな 一句集にこれほど多彩に詠まれた「闇」もないだろう。定型という器は「個別の目」を十全に活かすのに小さすぎるということは決してないのだ。 句集『弓弦』のカバーに用いられている装画は、山口毅さん。田草川功子さんのご希望による。 ブックデザインは和兎さん。 句集のもつ清清しさを損ねないようにすること、それが専一だ。うまくいったのではないかと思う。 ![]() ![]() ![]() この深い味わいは著者の田草川さんのものである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この句集の担当は、千絵さん。好きな句は、 一島をゆさぶる椿落ちにけり 「小さい頃、家の前に椿の木があって、季節になるとぼとぼとと花ごと椿が落ちている光景が思い返されて、懐かしい気分になりました。」と。この句も思い切った表現だと思う。切れが利いていて椿の落ちた音がひびいてくるよう。 わたしの好きな一句はこれ、 一粒の涙はかたきクリスマス クリスマスを詠んだ句はあまたあるけれど、とても魅かれる句だ。 「かたき」がいいな。 厳粛できよらかな光がある。まさに聖夜の涙だ。
by fragie777
| 2014-09-30 21:08
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