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9月29日(月)
![]() これは名栗に咲いていたものだが、実はわたしの家にも水引が咲いていることを今日発見した。 仕事場へ行くので車に乗り込もうとして足元のところにあるんで驚いたのだった。 (いったい、いつから咲いていたのか……) そのむかし植木屋さんが植えてくれたのだろうか。 そうとしか考えられない。 そうだとしたら、わたしは20年間も気づかなかったわけ。 毎日出入りするところに咲いていたのに。 わたしん家がそれこそ広い邸宅に大きな庭がある家だったら気づかないっていうこともわかるけど、なんせ歩いて5歩で終わる狭庭を誇っているのだ。 ともあれわたしは水引の花に気づいて俄然うれしくなった。 だってそうでしょ。 水引の花が咲いている家なんて、なんだか奥ゆかしい感じがしてそれこそ茶道の先生の家みたいじゃない。 和服姿の上品な白髪の先生が出入りしてさ。 しかし、実は、アッパラパーでガサツなおばさんが毎日威勢よく出かけていくのだ……。 新刊を紹介したい。 宗田とも子詩集『時を運ぶ折り舟のように』(ときをはこぶおりふねのように)。 ![]() 昨日のブログで紹介したが、昨夕はこの詩集と若尾儀武詩集『流れもせんで、在るだけの川』の出版のお祝いの会がありわたしもうかがって楽しいひと時を過ごしたのだった。 宗田とも子さんにとってこの度の詩集は第2詩集となる。1994年に第一詩集『バランス』(書肆山田刊)を上梓されている。およそ20年ぶりの詩集というべきか。 詩集『時を運ぶ折り舟のように』については昨日のブログでその評を紹介させていただいた。 今日は、作品を何篇か紹介をしたい。 詩はそれぞれ見開きページで終わるように按配されていて、長い詩はないのだがそこに濃密なものが籠められていてそうスラスラとは読ませてくれない。行と行の間に深い奥行(屈折)があると言ったらいいのだろうか。 遠い家 閉じ込めようとする男がいて 扉を叩く女がいる 「私の人生はひとつの祝祭 はかなくも、充実した祝祭なのだ」* 青の時代の キッチンをつつましく調えた 焼き上がったばかりのパン、男の咳き込みをなだめるティーポット バターの香る指先で 画布に紅の花の構図を引く 雲を絞り樹木の重さの絵具を削る ぬるくなったお茶を飲みほしてから 芽ぶいた一枝が絵筆となって 自分の中に家を建てる 外階段から 雪のなかへ はだか木を伐るために深い靴を踏み出した *パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(三十一歳没) 「覚え書き」と称された「あとがき」の言葉を紹介したい。 覚書き 幼い子どもたちと接するのが仕事でした。 命の光が、真っ直ぐに進み、成長し、飛び立つ姿を水と土の香りのなかで見つめていた日々でもありました。 ただ子どもを守る環境は、たくさんの社会的な仕組みがあり、大人は、守ったり、戦ったりし続けなければならないのです。 わたしのなかで理念と現実が軋んだ時に、道を見通し、世界を見つめるまなざしが温かくなる詩に魅かれていました。 わたしが書いてきたことは、小さな季節を行きつ戻りつしている遠い昔かもしれません。 でも立ち止まり両手を広げて光と風を受けていることでもありました。 「わたしのなかで理念と現実が軋んだ時に、道を見通し、世界を見つめるまなざしが温かくなる詩に魅かれていました。」と書かれているが、詩に向き合う著者の心が見えてくることばだ。 この詩集の担当スタッフは千絵さん。 好きな詩を聞いてみた。 春の身丈 モーニングサービスの玉子がポケットにある いっとき 温かい 「この先に入口がありますか」 「出口があります 少し雪が残っています」 坂道で少年のようなひとが 北の花の香りのする指でこたえてくれた 雪玉をほうりながら それは 芽吹くころには融けて土色になるかもしれない 希望の色になるかもしれない だから 華奢な胸を横切る雪の銀河が 外と内を照らしているその先の糸口 ほどかせてと 気取らずに言えないものだろうか この詩集は外回りも本文も詩人の稲川方人さんのレイアウトと装丁である。 ![]() 黒とピンクの2色刷りのようにみえるが、実はここにもう一色青が隠れている。 上部の波の部分である。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 聞き慣れた声に残る、不協和音 そこに立ち止まった感性が捉える 日常の深淵には 私たちの生きる儚い時が 静かに流れている (帯より) 波を二色で表現した稲川さんは正解だった。 こうしてみると、波が光っているように見えるでしょ。 今日の朝日新聞の堀本裕樹さんによる「俳句月評」は、「桂信子の深遠な句業」と題して、ふらんす堂より刊行された『宇多喜代子編『桂信子文集』に触れながら俳人桂信子について言及している。 一部を抜粋して紹介したい。 『桂信子文集』宇多喜代子編(ふらんす堂)には桂信子の句業の遍歴を基軸に、師・日野草城との出会いから草城論、往時の新興俳句の様相、桂信子の俳句観の率直な吐露ともなった『激浪』ノート等が収録されている。6百頁を超える選集は俳句の一級の資料といえるだろう。中でも師弟としてまみえた日野草城に関する事柄は何度も違う側面から綴られ、師への深い敬愛が伝わってくる。(略)桂信子は、「誓子山脈、草城平野」と表現し、動物性の誓子と植物性の草城といわれる二人の作品に特に影響を受けた。この対比的な両氏の俳句を見事に昇華して自らの作風を確立した桂信子に、生涯を貫いて俳句道を探求した徹底を見る。その探求の証の一つともいえる「俳句を作る時の心を、私はいつも不思議に思う。それは『句を作る』のではなくして、遠い祖先の霊魂がよびかけてくるような気がするからである。」という桂信子の告白には、幽寂なる魂を感じてやまない。 閂をかけて見返る虫の闇 信子 第一句集『月光抄』収録の掲句にすでにその詩魂の原初が窺えよう。 『宇多喜代子編『桂信子文集』についての的を得たいい時評だと思う。 この文集はまた桂信子の文体のしなやかな透明感も魅力である。 すでに品切れになってしまった問い合わせの多いこの文集について、目下電子書籍版の刊行を考えているところである。 毎日新聞の「新刊紹介」では、亀割潔句集『斉唱』がとりあげられている。 人の影冬木の影にふれてをり 著者は「蘭」を経たのち同人誌「OPUS」に所属。30歳からの20年間の作品を厳選した第1句集で、気負うことなく日常をとらえた作品は若さと詩情を感じさせる。 今日の坪内稔典さんの船団ホームページは、小枝恵美子句集『ベイサイド』より。 草の花みんな勝手に歩き出す 小枝恵美子 「みんな勝手に」がいいなあ。季語「草の花」は秋の野山に咲く草の花の総称だが、今は季語としてのみ通用している感じ。一般にもこの言葉が広がると、秋という季節の懐が深くなるのではないか。そういえば私にも「がんばるわなんて言うなよ草の花」があった。恵美子さんの句、句集『ベイサイド』(ふらんす堂)から引いた。この句集、2009年に出たのだが私の愛読句集の一冊である。 数日前の26日の船団ホームページは、寺田良治句集『ぷらんくとん』よりであった。 小鳥来る去年のままの椅子の傷 寺田良治 句集『ぷらんくとん』(ふらんす堂)から。季語「小鳥来る」が古い椅子と取り合わせられた句だが、去年のままの傷がよく効いている。さりげないこと、たとえば小さな古傷がとても大事に思えるときが私などにもある。 クリント・イーストウッドが監督・主演の映画「グラン・トリノ」を観た。朝鮮戦争に従軍したことが胸の傷になっている老人が、近所にすむ東洋人の少年の未来のために一命を落とす話。恰好のよすぎる感じがしないでもないが、こんな恰好のよい老人はいくらいてもよい。 「そばを通りかかったもんで」とお一人お客さまがいらしてくださった。 菅家瑞正(かんけずいせい)さん。 ちょうど一年前に句集『遠望』を刊行されたのだった。 「いやあなつかしいですね」と句集制作の時にはなんども足をお運びくださった方である。 ![]()
by fragie777
| 2014-09-29 19:31
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