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9月17日(水)
![]() ほんのりと頬を染めはじめたところ。 窓をあけていると爽やかな風が入ってくる。 夕暮れが近づいてくる仕事場はとても静かだ。 さっき烏が大きな声でカアーカアーカアーと三べん鳴いた。 わたしもはやくブログを書き上げてしまおう。 新刊紹介をしたい。 亀割潔第1句集『斉唱』(せいしょう)。 ![]() 精鋭俳句叢書の”serie de la lune"(月のシリーズ)の一環として刊行された。 著者の亀割潔(かめわり・きよし)さんは、俳誌「蘭」を経て、俳誌「OPUS」(和田耕三郎代表)に所属、この度の句集『斉唱』には和田耕三郎代表が序句を寄せている。1995年から2014年までのおよそ19年間の作品より288句を収録とかなりの厳選である。 地の底に走る水音麦青む 和田耕三郎 寄せられた序句である。この序句の瑞々しさは句集『斉唱』の瑞々しさとよく響きあっている。 体内にかすかな傾斜春ゆふべ われにある苦きはらわた花の昼 吾が手より水輪ひろがりゆきて秋 息深く立ちて灯点す裸かな しんかんと人の口開く心太 八月の翳のふえたる軀かな てのひらに低き丘あり枯木星 夕刊に薄日の匂ふ冬至かな 花冷や身体凭せて開くる扉 くちなはのしづしづ呑んでゐる時間 ここには瑞々しい感性というだけではおさまらないきわめて繊細な身体感覚がある。それが一句をより陰影ふかいものにしている。その繊細な感覚の鋭さはこの著者生来のものだ。 「斉唱」という句集名について、著者の亀割さんは「あとがき」にこのように書いている。 本句集に至るまでの過程で多くの方々に助けられ、影響され、励まされ、何より俳句の楽しみを身体の芯まで沁み込むほどに教えられてきた。師として、またかけがえのない盟友として導いてきてくれた和田耕三郎。「蘭」の故きくちつねこ師と当時の連衆の皆さん。そして今、自分の俳句を支えてくれている「OPUS」の仲間たち。さらに、和田耕三郎を通して遠く、しかし明瞭に力強く行く手を指し示してくれる野澤節子・大野林火という二人の作家。そのさらに向こうに広がる俳句の、詩の曠野。 「斉唱」の語は、すべての句の背後に同時に響いているたくさんの声との唱和をも意図している(むろんここに記した人たちのものだけにとどまらない)。自分が声を発する時には必ず、これまで「私」をかたちづくってきたすべての人たちの声が同時に発せられているのだと思って、もしくは祈っている。父母がこの身を世に送り出してくれたことに、またその世に俳句というものが生きていたことに、あらためて感謝する。そうして今も生きている。 栞を寄せられた千葉皓史さんは、「『全体』を聴く」と題して、この『斉唱』の声に耳をすます。 めつむれば遠く灯のありクリスマス 笹鳴や長きベンチの端にゐて 崩れゆく花火のうへを鳥の影 おほぞらを奏づる風や桐は実に 雨だれを受くる水ある彼岸かな あをあをと拭かれし窓の夜長かな 青空や吹き寄せられしごとく鳰 若く逝きし伯父もありけり白つゝじ 三月の部屋の昏さの醤油差し 潮騒に繋がる電話夕焼くる くるぶしを掴んで洗ふ夜の秋 『斉唱』には、一貫して平明な言葉だけが使われています。深刻な言葉や、むずかしい表現は、登場しません。この事実は、右に指摘した喪失感、欠落感とも無縁ではないはずです。いつからか、遥かな「全体」への希求が、潔氏の作句の柱となっています。『斉唱』とは、まことにふさわしい集名といえましょう。 「春かな『全体』への希求」とは、句集『斉唱』の著者のおもいを見事にくみ取った一文である。 千葉皓史さんの栞のことばは句集『斉唱』を評して十全である。 わたしはこの句集の「喪失感、欠落感」にたちどまる。この句集にある著者の魂の痛みと救済への志向をそこはかとなく感じるもののひとりだ。ひりひりとした淋しさを飼いならしている著者の姿が彷彿としてくる。著者の孤独はあらゆる人間に共通するものであるかもしれないのだが、敏感すぎる魂は一ミリほどの薄いヴェールにかくされた万象のもつさびしさに触れている。 天は青き痛みをひろげ合歓の花 桜紅葉淋しき鳩と歩みけり 傷癒ゆるごとしあぢさゐ芽吹けるは 銀河うすうす俎の血を洗ひをり はうれん草ゆふべは星を見てをりしか 手袋の手を青空に伸ばしたり 献血を済ませて戻る障子かな また誰もゐなくなりたる簾かな 花火降る思ふ人みな遠くにゐる ひよどりのただ一度来し風邪の窓 おほかたは灯の無き地上クリスマス ひとりゆゑ微笑みあるく樟落葉 大野林火・野澤節子の系譜につらなる亀割さんの句はリリシズムの濃いものが多いが、季語を詠むことにおいても巧みな俳人だ。いくつか好きな句をあげてみる。 秋冷の大き空家にづかづかと 大いなる供花運びゆく遅日かな 祇園会の豆腐屋に水あふれをり 次の間のどつと笑ひぬ桃の花 灯を囲む闇いきいきと一の酉 ぶらんこの下の影濃き正午かな 句集『斉唱』は、千葉皓史さんが言うように「全体への希求」であり、そして「祈り」だ。 ひとりの歌声に、ひとりが加わり、そしてまたひとりと、加わるごとにさらに澄んだ声となって天上にむかっていく。 まるで「おほぞらを奏づる風のように」。 著者の深い思いのうちに編まれた一冊である。 この句集の装丁は君嶋真理子さん。 澄んだ声をかき消さないような装丁をと願った。 ![]() ![]() ![]() ![]() カバー、表紙、扉ともに用紙には工夫を凝らした。 ![]() 全体に渋く静かな色あわせである。 ![]() 扉のみ金色の用紙を用いた。金色といっても年月を経てすこし渋くなったような金色である。 それがこの一冊に重厚さをあたえている。 ![]() ![]() ![]() それが『斉唱』である。 この句集のなかでわたしが特に好きな句はこの一句。 晩夏光われのみが立ち停まりをり 不思議な句だ。 なにゆえ著者は立ち止まったのか。 そこにかすかな救済の声を聴いたのだろうか……
by fragie777
| 2014-09-17 19:39
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