カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
9月1日(月)
秋海棠一本ありて雨を愛す 山口青邨 9月は雨ではじまった。 仕事場から一歩も今日は外へ出ていないのであるが、大きなガラス窓をとおして雨がよく見える。 この分だとわたしの帰る頃にもやみそうにない。 さて、今日の毎日新聞の新刊紹介にふらんす堂刊行の本が二冊紹介されている。 まず一冊は、酒井弘司句集『谷戸抄』。 二階から呼ぶ声きこえ虫しぐれ 酒井弘司 2008年以降6年間の作品をおさめる第8句集。70代を迎えてからの日々を淡々と詠み、落ち着いた声調が一巻にまとまりを感じさせる。 もう一冊は、宇多喜代子編『桂信子文集』。 昭和を代表する女性俳人の一人であった桂信子は、平明な言葉で俳句の深さを追求し続け、多くの文章もその精神を反映している。師の日野草城以下、同時代の俳人たちを熱意をもって語り、身辺をつづるエッセーは心にしみる。柿衞文庫俳句資料室の事業として刊行。 この宇多喜代子編『桂信子文集』は、「俳句四季」9月号において文芸ジャーナリストの酒井佐忠さんが、「本の窓辺」で見開きにわたって紹介をしてくださっている。抜粋して引用したい。 やはらかき身を月光の中に容れ ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 忘年や身ほとりのものすべて塵 青空や花は咲くことのみ思ひ 雪たのしわれにたてがみあればなほ 亀鳴くを聞きたくて長生きをせり 冬麗や草に一本づつの影 初期から最晩年まで「名句」として口ずさむことのできる句がたちどころに浮かぶ。毅然とした生き方とともに、その俳句もひたすら「われ」の心性を激しく見つめることから生まれて来たのだと思う。(略)『文集』の内容は、多くは師の日野草城に関したもの。生まれ育った大阪の町を語るもの。山口誓子や西東三鬼、細見綾子や高柳重信ら同時代の俳人について述べたもの。これらは戦前戦後の俳句史を知る上で貴重な証言になり得るだろう。いずれも俳人・桂信子の心中だけから発せられた、ほかでもない桂信子自身の感興がまっすぐに記されているからだ。加えて興味深いのが、「草苑」に最晩年まで書かれた随想である。それらは「緑陰ノート」「月々随想」「信濃紀行」などと題されている。さらに飯田龍太や野澤節子との対談、黒田杏子のインタビューで行われ『証言・昭和の俳句』にまとまった発言など。最後に山口誓子の句集『激浪』について述べた有名な「激浪ノート」を収めた散文集『草花集』を全篇収録。いずれも俳句史的に貴重なものだが、大阪の裕福な家庭の町育ちの都会っ子の感覚が随所に感じられるのは、宇多の指摘通りである。その中で自身の俳句観を真っ正直に語ったものを一部紹介する。 として、酒井佐忠氏さんは、『全集』のなかよりいくつかの文章を紹介している。ここではその一部のみ紹介したい。 「俳句は、四十年つきあっても、今もって不可解である。その不可解なものの実体を、つかもうと思うばかりに、句をつくりつづけているのではないかという気がする。俳句は、なかなか、やさしく私に語りかけてくれないし、するりと私の手を離れて、どこかへ行ってしまいそうになる」 「『心の中で宮殿を建てよ』と、私はよく言うんです。家がないとか、ものが粗末だとかいうことと関係なく、心にならいくらでも宮殿が建てられる。俳句が上手になるとか、そういうことでなしに、気持ちの問題ですね」 これも、先ほどの文章と共通する。俳句を作るときも、ひたすら無心に無欲に、謙虚に対象や言葉に向うことの大切さを、桂信子は言っている。心の中なら誰でも『宮殿』は建てられる。その人の気持ち次第なのである。生きること、俳句を作ること、そして百合の花として咲くこと。それらに共通する真摯さを、私は桂信子と接するたびに感じていた。もちろんそのことは実は「大阪モダンガール」(宇多喜代子評)だった彼女のほんの一部のことだと思うが、この部厚な『文集』から教えられることは、数限りない。 新刊紹介の毎日新聞に同時に掲載されていたのが「桂信子 生誕100年に寄せて」という見出しで西村和子さんが寄稿されている。タイトルは「清々しいまなざし」。 こちらも一部を引用して紹介したい。 桂信子生誕百年にあたって、改めてその作品を読み返してみると、日本の女性史を体現した作家であることに思い至る。 クリスマス妻のかなしみいつしか持ち 雁なくや夜ごとつめたき膝がしら 散るさくら孤独はいまにはじまらず 誰がために生くる月日ぞ鉦叩 夫の急死により、二年に満たず絶たれた結婚生活。その後の歳月の淋しさと虚しさを、あるがままに詠んだこれらの作品を貫いているのは、潔さの一語に尽きる。(略)空襲で家を焼失、生きるために得た職場も変更を余儀なくされ、敗戦後ただちに働く女性としての生活が始まった。しかし、桂信子が生きた時代、ひとり身を通すこと、男性に立ち交じって俳句活動を続けることの困難は、現代の比ではなかった。その句の背骨をなしている強さと烈しさをもって、現代の女性たちの先鞭をなしたと言っても過言ではあるまい。 手袋に五指を分かちて意を決す 九十の顔(かんばせ)かこれ初鏡 自分の生き方からも年齢からも目をそらさず、しかと見つめるまなざし。そこには自らに言い訳を許さぬ清々しさがある。 これらの作品はすべて『桂信子全句集』に収録されている。 いつだったか俳人の藤本美和子さんが、この全句集が出たとき買い求めて「一気に読んだ」って言ってらした。それこそ時間の経つのも忘れて一気に読まれたようだ。およそ850ページの分厚い全句集である。 「いただかなかったので買って、はじめから終わりまで全部の俳句をその日のうちに夢中で読んだのよ、そしてすごく良かった!」と笑いながら藤本さんは話してくださったが、この藤本美和子さんの情熱は、まさに桂信子の俳句の情熱に通い合うものだ。こんな熱心な読者を桂信子はいちばん歓迎したことであろうとわたしはその時に思ったのだった。 桂信子はその作品においてまた文章においてこれからも大いに読まれるべき俳人である。 といっても宇多喜代子編『桂信子文集』は、在庫があと少しとなった。 お読みになりたい方はお早めに。
by fragie777
| 2014-09-01 19:10
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||