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8月22日(木)
![]() 上手につくったものである。 しかし、これはいったい何の役目をはたすのであろうか。 野菜たちに風をおくるのであろうか。 あるいは鳥を追い払うもの? それとも、畑をかざる単なるオブジェなのか。 今日は夕方から出かけるので、ちょっと早めにブログをアップします。 今日の「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって平石和美句集『蜜豆』より。 蜜豆や母の着物のよき匂ひ 蜜豆はとっておきの食べ物だ。つい先日異動になる課長が課の女性全員に神楽坂の有名な甘味処『紀の善』の蜜豆をプレゼントしてくれた。そのことが去ってゆく課長の株をどれだけ上昇させたことか。蜜豆の賑やかで明るい配色と懐かしい甘さは、子供のとき味わった心のはずみを存分に思い起こさせてくれる。掲載句ではそんな魅力ある蜜豆と畳紙から取り出した母の着物の匂いの取り合わせである。幼い頃から見覚えのある母の着物を纏いつつ蜜豆を食べているのか。懐かしさにおいては無敵としか言いようがない組み合わせである。「みつまめをギリシャの神は知らざりき」と詠んだのは橋本夢道だけど、男の人にとっても蜜豆は懐かしく夢のある食べ物なのだろうか。『蜜豆』(2014)所収。 たぶん、著者の平石和美さんも三宅やよいさんもそしてわたしもほぼ同世代かもしれない。この句のもっている胸をしめつけるようなノスタルジーをわかるかどうか、それはわたしたちの世代のものだ。この着物はもちろん和服である。三宅さんも当然のごとくそう書いている。わたしの母はあまり家事をしない人であったが、わたしたち子どもに蜜豆やら水羊羹などはよく作ってくれた。蜜豆は、それこそ寒天を煮て固めてそれを包丁で切って果物と一緒にきれいに盛り付けられるまで、その時間が嬉しかったことを覚えている。呉服屋という商売にいそしんだ母が唯一子どもとの時間を共有したのがお菓子づくりだったのかもしれない。わたしにとって蜜豆は甘味処のものではなく、母の作ってくれた蜜豆なのである。ゆえにこの平石和美さんの一句はわたしには格別の想いを呼び起こすものだ。 そしてこの句には戦後の昭和の明るさと豊かさがある。 蜜豆は、わたしにとっては寒天につきる。 寒天のもっているあの匂い、それはふっと海を感じさせる匂だ。 そしてはりのあるやわらかさ。 子どものときに口にした寒天にわたしのこころはいつまでもとどまっているのかもしれない。 (そうそう、蜜豆の豆は苦手。子どものときから苦手でいまでも苦手。口のなかでごろごろするのもイヤ)
by fragie777
| 2014-08-21 18:11
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Comments(2)
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