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8月18日(月)
![]() 休み明けのせいか、仕事をしていてどうしても眠くなる。 なんどうつらうつらとしてしまったことか。 このブログを書き始めてしばらく、そうね、15分くらいかしら眠ってしまった。 目がさめたら、いつのまにかスタッフの緑さんがいない。 「あら、緑さん帰ったのね」と聞くと、 「yamaokaさんに気遣って、お先にと小声で言って帰りました」とのこと。 あれえ、そんなに熟睡してた? わたしとしては誰にも気づかれず、ひそかにうつらうつらとしていたつもりなのに。 まずいな…… 新刊を紹介したい。 勝野郁子詩集『日まわり、いる』(ひまわり、いる)。 ![]() ふらんす堂で2004年に上梓された対訳詩集『そこ(La)』につづく詩集である。10年ぶりの刊行だ。 タイトルは「日まわり、いる」。 「日まわり」は、「向日葵」のことである。通常は「日まわり」とは表記しないが、詩人の勝野郁子さんはこの表記にこだわった。 「日まわり、いる」風景は、戦後の荒廃した土地に立ったときに見た風景であり、勝野郁子の原風景となっているものだ。 序詩として冒頭に置かれた「日まわり、いる」の詩を紹介したい。 日まわり、いる 声のない 火照りの道を 行く人よ そのあし音を 消さぬように 四ッ辻を廻れ そして もとの回廊を あがなう あやまち ある ごとくして レンガ壁と 竹林の間 一歩 路を曲がると ほら 風景が紙芝居をする 前に倒れていく 幾枚ものパネル 暑熱の雲と湯井戸の煙り 横倒しの街道に 日まわり いる 道に人影はありませんでした。 採油のために、各戸に割り当てられた、一茎ずつの日まわりが、黒ずんだ種子の盆を垂らして、道の片側に、一列並んでいるだけでした。第二次世界大戦が敗北した日のこと、棒立ちになっている大人達の間をくぐり抜けて、まだ幼かった私が、疎開先の親類の家から外に出て、目にした光景です。 あれからの歳月の間、私の道筋のどこかに、あの一茎の 日まわり、いる という気がしています。それを書名にしました。 詩をもう一篇紹介したい。 声─わな はじまらないものは 最初からないのだ それは 種子 重い甲羅の中の 冬 燃え上がる暖炉の炎 何も語らないといって 声を待ち受けている わな (声だって わな をかくしている) と言って 行ってしまった声を 匍匐してくる声を はじける 冬の雪の種子を 声を とらえ 行かせるために この詩集には、ぜいたくなおまけがついている。 2編のフランス語訳されたものである。 フランス語で詩を書き続けている著者は、今回2編のみを栞のかたちで差し込んだのである。 前回の詩集『そこ』とおなじく安本マルレーヌさんとの共訳である。 一篇紹介する。 Eeurement (擦過) Eeurement Qui ne hale aucun passé Neige d’un pinceau léger Surface verglacée de la rue Immeuble aux multiples fenêtres éclairées Souper d’un soir Clignement d’yeux, éclair Battement d’ailes Sans aucun titre Sans rien à faire Dans le shopping mall Frôlement de bête Couleur de ténèbres Un chariot Bondit. フランス語の分かる方は声に出して読んでみていただきたい。 韻が踏まれ美しいフランス語だ。 作品をこうして外国語で翻訳することによって、詩の世界が重層的なものとなる。それがおもしろい。 日本語の詩はこのように韻はふんでいない。 短い詩なので紹介してみたい。 読みくらべてみるといいかもしれない。 擦過 擦過 は 由来を曳かない ひと刷毛の雪 凍える路面 高層の窓窓の灯り 一夕の夕餉 一閃のまばたき はばたいて 称号 なく なすこと もたず ショッピングモールに 獣躯 掠めて 闇から 同色の カートが 跳ねる 詩集『日まわり、いる』は美しい一冊となった。 さきほど勝野さんよりお電話をいただき、 「この装丁をわたしもとても気にいっているんですけど、詩集を受け取った方から電話をいただいて、詩集があんまり素敵なので出かけるときに手に持っていたいくらいっておっしゃってくださったのよ」ということ。 それは装丁家にとってもとても嬉しいひと言である。 装丁は和兎さん。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 出来上がったときに下の目次という文字が見えるので、「あら、これって見えてしまってますよ」って和兎さんに言ったところ、「それを狙ってます」ということだった。 この写真だとそれはわからないが…… ![]() 勝野郁子さんは、当初ハードカバーを希望されたのであるが、本の出来上がりのイメージをおもって、このような造本をおすすめしたのだった。 軽くて手になじむ出来上がりとなったが、これはかなり気合をいれて製本屋さんがつくった本ゆえなのである。手にとって貰えば、本造りへの思いが伝わる一冊であることを気づいてもらえると思う。 ![]() この勝野郁子詩集『日まわり、いる』に詩人の小笠原鳥類さんが、感想をメールで送ってくださった。 『日まわり、いる』という題名が、全く知らないものであるようで、 後ろにいるのかなあ、「、いる」ということが驚きでした。 ページの数は多くなくて、軽い装丁であると思ったのですけれども、何度読んでも謎が多くて、装丁も徐々に重く暗くなってくるのでした。 「脊椎から」という詩があって、 「脊椎から/魚肉をそぐ時に/箸がみる/のこされた 背骨の並び/何を加える?」魚を食べることも戦慄なのです。 その後も意外な展開が続く詩で、実は私にはよくわからない、という部分もあるのですが、あわてて読むとわからなくて、もっと落ち着いて、ゆっくり読むともっとわかるのかな。 とても不思議な詩集でした。送ってくださってありがとうございました。 この詩集の原稿をいただいたときに、著者の勝野さんのなかにはすでにもう次のテーマが生まれていた。 これからはそのテーマを念頭において詩を書いていきたいと語られたのだった。 なんのテーマかはいまはたぶん私のみ知るところである。 高柳克弘さんがブログで「ふらんす堂通信141号」について紹介してくださった。 →「高柳克弘のページ」 高柳さま ありがとうございます。 今日はね、一目散で家に帰りたいのね。 フフフフ、 いま夢中になっている久しぶりの韓ドラがあるの。 DVDをやっと借りられた。 ラブコメじゃないよ。 金と権力に魂をうばわれた人間どものなさけない話である。 どす黒いテーマをコミカルに笑わせながら、泣かせどころもあって、わたしはけっこう楽しんでいるのだ。
by fragie777
| 2014-08-18 20:36
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