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7月18日(金)
この色だと目玉がひっくりかえるくらいすっぱい。 もっと赤くなりやがて黒ずんできてほぼ黒に近いくらいになったものを見つけたら、鳥より先にとって食べるのである。 おおかたは鳥にたべつくされてしまっているのだけど。 「あのう、今日からオールスターがはじまるのでこれで失礼します」 とスタッフの緑さんは帰って行った。 オールスターとはもちろん野球のことである。 応援しているヤクルトのごひいきの選手も出るらしい。 そりゃ、応援しなくっちゃね。 わたしはむかしはよく野球を見たのだけど、いまはさっぱり見なくなった。 母が大の野球好きで、学生時代によく後楽園や横浜スタジアムに呼び出されて一緒に見たものである。 母は徹底したアンチ巨人だった。 わたしもその影響かアンチ巨人であることにかわりはなく、野球をみなくなってもその心情は変わらない。 じつはわたしも今日はちょっと野暮用があるので、ブログを書いたらそうそうに帰るつもりである。 中岡毅雄さんが、共同通信配信の記事「俳句はいま」に、武定巨口句集『つは蕗』を紹介してくださった。岸本尚毅句集『小』(角川学芸出版)もともに紹介されている。『小』については、「出色の出来栄え」で「作風の幅は広い」と賞賛をおしまない。記事のタイトルは「多彩な世界を表現」。このブログでは、『つは蕗』の部分を引用して紹介したい。 武定巨口(たけさだ・きょこう)は、04(明治37)から俳誌「宝船」を編集、松瀬青々(まつせせいせい)没後は俳誌「倦鳥(けんちょう)」の雑詠選者となる。〈弁当に蟻のつきたる花見かな〉。よく見る光景だが、小動物への共感が感じられる。〈天瓜粉書写の机を汚しけり〉。子供に、はたいている天瓜粉が、机の上にこぼれてしまった。予期せぬハプニングがほのぼのと描かれている。〈紅の紐でしばりぬ古巨燵〉。古ごたつをしまうか、あるいは、処分しようとしている。真っ赤な紐で縛られている古いこたつから、かすかにユーモラスな味わいが感じられる。句集『つは蕗』について、村山古郷(こきょう)は「明治俳壇史」(角川書店)で、高浜虚子が「平明」を鋭く端緒となったと評している。〈湖や軒すれすれの草の露〉〈金柑の尻皆光る小春かな〉など、淡い叙情性をたたえた作品は、今日の読者も魅了する。 お客さまがご来社くださった。 まず、森尻禮子(もりじり・ひろこ)さん。 第二句集のお原稿をもってご来社くださったのだ。 第一句集『星彦』は、ふらんす堂より2000年に刊行されている。 その時もご来社くださったのである。13年ぶりである。 第一句集は「木語」同人のとき、その後「木語」が廃刊になると、「未来図」に所属しそこであらたに俳句に取り組まれた森尻さんである。 「未来図」30周年の今年、それにあわせての句集刊行である。 時間があるときは、プールで泳いでいます。という森尻さん。 さすがに、身体に無駄な肉はついておらず身のこなしが魚のようにしなやかで軽快だった。 わたしのブログをよく見てくださっているとのこと、 「なんだか、お友だちのように思えてしまって……」と明るい素敵な笑顔をみせてくださった。 ブログを読んで「友だちのよう」って思ってくださるのは、とても嬉しいです。 ブログのビジターの数だけ友だちって思ったら、わたしはずいぶん友情に恵まれている人間かもしれない。 そうよ、そう思おう。 イエーイ! あたなたちはわたしのダチだぜー。 夕方、もうひとりお客さまがお見えになった。 このお方もじつは16年ぶりなのである。 お変わりになられたかしら、って思ったのだけど、 世界にむけるまなざしも、ことばへの思いも、 その凛呼たる姿勢は少しも変わっていなかった。 1998年にふらんす堂から詩集『火は森を狂わせるのか』を上梓された星野守さんである。 その後も、編集者としての多忙な日々をすごしながら、詩は書きつづけて来られたということ、 その歳月をつらぬいているもの……。 そのことにわたしは思いを馳せる。 やがて、星野さんは帰っていかれた。 (写真はダメですって。すらりとしたハンサムな方なんですけど)
by fragie777
| 2014-07-18 19:49
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