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7月5日(土)
白やピンクの色もある。 真夏の暑い盛りに見上げることが多い。 夾竹桃を見るとわたしはきまってこの句を思い出す。 夾竹桃しんかんたるに人をにくむ 加藤楸邨 好きな句かもしれない。 と言ったところでいまのわたしに憎みたい人がいるわけではない。 愛憎ということにどちらかというとわたしは鈍いほうかもしれない。 だから、ひょっとしてすごく憎まれているのかもしれないけど、基本鈍感なのでぜんぜん気づいていないというおめでたさもある。 夕方から仕事の大事な用事があったのであるが、午前中はまったりとサッカーなどを見ていたら、猫たちはわたしがこんなにのんびりとしているからきっと今日一日中わたしがいるんじゃないかと思って、すっかりくつろいでいた。しかし、そんな暢気にはしていられなかったのだ、実は。3時半ころから急にバタバタしだしたので、えらくびっくりして呆然としてわたしのあわてようを見ている。 「あんたたちの手もかりたいくらいよお」って家中を走り回りながらわたしは思わず叫んでいた。 今日は、夕方の6時から俳誌「鷹」(小川軽舟主宰)の50周年のお祝いの会が東京會舘で行われた。 スタッフのPさんとともに出席をした。 この「鷹」50周年の記念行事としてふらんす堂では、『季語別鷹俳句集』、『藤田湘子の百句』(小川軽舟著)、『飯島晴子の百句』(奥坂まや著)を刊行させていただいた。 スタッフのPさんが主に担当したものである。 たくさんの「鷹」の会員の方たちと大勢の来賓を招いての盛大な祝賀会となったのである。 この東京會舘で会をやるのは9年ぶりです。9年前にここで藤田湘子のしのぶ会をやって以来のことです。湘子は思いかげず早くなくなってしまった。生きていれば今年88歳であったが75歳で亡くなってしまいました。何とか湘子の思いをついで、湘子にしいてもらったレールの上をひたすら走ってきました。湘子は、現状に安住するな、自分自身が変わり弟子が変わる、ということをのぞんでいました。そして湘子は何においても一流好みだった。一流になれ、とよく言われました。50周年にあたり、二つのことを誓いました。ひとつは、軽舟主宰の「鷹」も一流になったと云われるまでは腹を出さない(でっぷりと腹の出た人間にならない)。もうひとつは自分がどう変化したか、それを知るのは楽しいといえるようになることを願って「鷹」の人と歩んでいきたいと思います。 小川軽舟主宰をはじめ、「鷹」のみなさま、50周年、おめでとうございます。 こころよりお祝いを申し上げます。 また、『季語別鷹歳時記』の編集にご尽力くださいました皆さま、ありがとうございました。 すばらしい季語別句集を刊行させていただきました。 こころより感謝申し上げます。 これからのあたらしい「鷹」の歩みが祝福されたものでありますように、心よりお祈り申し上げます。
by fragie777
| 2014-07-05 23:33
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Comments(2)
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