カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
6月18日(水)
今日のお昼はちかくのキックバックカフェに行き、玄米ご飯のしょうが焼き定食をたのんだのだった。 文庫本をもって読み始めたのはいいが、わたしはいつのまにかわたしの得意技を発揮してしまい、すっかり寝入ってしまったのだ。「お客さま」と何度かよびかけられてはっと目覚めた次第である。きまり悪いったらない。 店内はかなり威勢のいい音楽がかかっていてうるさいくらいだったのだが、わたしは夢をみるほどに熟睡をしてしまったのだ。 しょうが焼き定食をもったウエイトレスさんは、ちょっと困ったように笑っている。 夢からさめたわたしは一瞬どこにいるのか分からなかった。 「あら、ごめんなさい」とあわてて言ったものの、どうしてこう場所をわきまえず寝てしまうんだろう。 実は人間は誰でもわたしのように寝たいときには寝るものである、とずっと思っていたのだが、そうでない人間が多くいるということを最近になってようやく知った。バスにのればすぐ寝るわたしを見て、「いいわねえ、わたし絶対寝られない」という友人たちの声をよく耳にするようになった。「寝られない」というその一言が驚きだった。だって眠くなってしまうでしょ。その睡魔にどうやって抗うのよっ、っていうのがわたしの心の叫びである。 で、 最近思うのであるが、 わたしってけっこう 傍若無人!? って遅ればせながら思ったのである。 (いまごろ気づいたのか、ってこのブログを読んでいるかもしれない友人たちは笑っているだろうなあ) 京都新聞が送られてくる。 6月16日の南うみをさんによる「詩歌の本棚」に、三輪小春句集『風の往路』が書影つきでとりあげられている。二冊紹介されていてもう一冊は藤井博康さんの第一句集『残響』(ユラナス社)。句集『風の往路』について紹介したい。 『風の往路』(ふらんす堂)は、三輪小春の第一句集で平成五年から二十五年までの句をおさめる。平成四年頃より俳句を始め、「道標」を経て十三年に西野文代の「文」に入会、二十年「文」終刊後、二十二年「秋草」の山口昭男に師事し、現在に至る。 のら犬をポルカと名付け柚子の風呂 雪解のちるちるみちるゐる小窓 ひこばゆる彼の恐龍の頰骨に 蛇衣をぬぐ大臣を更迭し 地がうねる地のあんぐりと凍て神戸 「ポルカ」を湯舟に上下にする「柚子」のリズムで想い起こし、「チルチルミチル」のひらがなの繰り返しが雪解雫(ゆきげしずく)とも聞こえ、メルヘンの世界を作る。「ひこばゆる」切株の形状を「恐竜の頬骨」とみる発想に死と生の流転を、また「大臣を更迭」と「蛇衣をぬぐ」の意外な取り合わせが、自然と人間の生々しい現実を突きつける。「地がうねる地のあんぐりと」は、阪神大震災をくぐり抜けた者のことばである。季語を踏まえつつ、発想が豊かで、意外なことばの句が読み手を引きつける。 蝶の肢革鞄よりとび発ちぬ 夏の雲るううと祝詞をはりけり 秋の日の影が形に添ふはやさ 細胞のゆすられてゐる野焼かな 菊花展どんぶり鉢を買うて来し 蝶が飛び立っただけの世界が、「蝶の肢」と「革鞄」の質感の違いをまざと伝え、海開きの「るうう」が「祝詞」の本質をむずと掴む。「秋の日」も同様、秋のくっきりとした影を「形に添ふはやさ」で言い止める。「細胞のゆすられてゐる」は、火への人間の原初意識を引き出している。「菊花展」と「どんぶりの鉢」のミスマッチは、普段の私たちの現実を余すなく伝える。これらの句に「あるがまま」を写生の信条とする作者の成果を見る。昭和二十三年生まれ。神戸市在住。 実はこのブログを書いている途中もねむくなった。 いや、正直に言わなくてはいけない。 キイボードに手をのせたまま、一瞬気がとおくなりそのまま寝た。 たぶん5,6分だと思う。 はっと目覚め引き続きキイボードを打ち出した。 まことに勤勉なるyamaokaである。 いや、ちょっとちがうな。。。。
by fragie777
| 2014-06-18 18:55
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||