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5月29日(木)
地方にいくとときどきこの郵便ポストを目にすることがある。 やはりなつかしい。 今日は校了のゲラを見ながら、うとうととしてしまった。 窓をあけておくと気持ちのよい風がはいってきてこんな日の昼下がりはなんといっても睡魔がおそってくる。 うとうとというようりもガバッと机につっぷして派手に眠ってしまった。 しかし、少しの睡眠(とわたしは思ってるんだけど)は、仕事の能率をあげる。 その後は集中しながらゲラを読んだのだった。 新刊紹介をしたい。 尾野秋奈句集『春夏秋冬』(しゅんかしゅうとう。 ご覧のとおりとてもすこし縦長のスマートな本である。一ページに三句を配し、本の厚みをおさえた仕上がりが成功している。内容は作品を「春夏秋冬」にわけて収録、それぞれの見出しに絵を入れてアクセントにした。これはすべて著者の尾野秋奈(おのあきな)さんのご希望である。当初、そのご希望をうかがったときに、カラーの絵を小さな本にたくさんいれるのは、うるさくなるからおすすめしないとわたしは申し上げたのであるが、それでも尾野さんのお気持ちはかわらず、こうして出来上がった一冊をみるとわたしの申し上げたことが余計なことであったと心より反省したのだった。 すべてがいやみなく気持ちよい仕上がりとなっている。 装画はすべて尾野さんのご友人たちによるものであるが、その交際の粋さをおもわせるようなおしゃれなものとなったのだ。 著者の尾野秋奈さん、「船団」(坪内稔典代表)所属し、俳誌「大」(境野大波主宰)の編集長である。 1944年生まれのさっぱりとした快活なマダムである。友人を大切に、小さなことにはこだわらないフットワークのよろしい方と見た。この句集の編集中にも、ご友人たちとヨーロッパへ旅行しそこでクルージングを楽しんでこられた。うらやましいかぎりだ。 さて、句集だが、とてもおもしろい。 坪内稔典さんが跋文をよせておられるが、わたしは坪内さんがもとめる俳句性というものの尾野さんはすばらしい実践者ではないだろうか、と思った次第だ。 跋文のタイトルは「あんパンはんぶんこ」 蛇穴を出づやあんぱんはんぶんこ アンパンのへそに指おく日の盛り おやつなるアンパン二つ柿三つ あんぱんのへそずれてゐる十二月 秋奈のあんパンの句を引いた。この句集には各季に一句、すなわち右の四つのあんパンの句が収録されている。どの句も面白い。(略) 「秋奈って、へそ好き?」 「そう、触りたいよ。」 「ふーん、自分のも人のも、あんパンのも。」 「うん。アワビとかウニのもね。」 こんなふうにふたりの会話となって話はすすんでいくのだが、この跋文はほとんど二人の会話体がしめている。これは実際に会話をかわしたというよりも坪内さんの秋奈さんへの批評の方法としての会話体であるのだが、けっこうだらだらとつづいていく。それもまた坪内さんの狙いなのだ。 さくらさくらフランスパンの空気穴 永き日のたいくつたたみいわしの目 「ねんてんさん、この二句は雅俗が取り合わせになってるよ。桜とフランンスパンの空気穴、春の日と畳鰯の目。」 「そうだね。現代的な雅俗の取り合わせだと思うよ。俳句って取り合わせだけで出来ているわけじゃないけど、桜とフランスパンの空気穴の出会いはかなり重大事だよね。二つが出会うとき、世界というか宇宙が少し揺れる。その揺れを感じるのが俳句を作ったり読んだりする醍醐味。そう思うでしょ、秋奈も。」 「もちろんよ。春ののんびりした日に畳鰯の目が光り出す。そんなとき、どきどき、わくわくするわ。あっ、それがねんてんさんの言うだらだら、モーロクか。」 話は尽きない。この句集の読者もねんてん流に著者との対話を楽しんで欲しい。 「雅俗のとりあわせ」という言葉がでてくるが、尾野秋奈さんはさらりといともすっきりとそれをやる。だから読んでいてたのしい。読み手に精神的負担をかけず面白く読ませる、それが出来るのは尾野秋奈さんの俳句力である。 蓬萊に真面目一徹そこが嫌 あらたまの柱に額ぶつけたり 串団子くつつきあへる梅の昼 初蝶をつまめば硬き筋に触れ 魚島や潮焼けしたる時刻表 まばたきに消えさうな種蒔いてをり ばんざいの手でさやうなら朧月 野の花をつつむ新聞子供の日 クレープに炎まつはる梅雨入りかな 博物館にわたくし一人落し文 夏蝶の十勝平野をとび発てり 青枇杷の路地はきれいに掃かれけり 虹立ちて底のぬけたる紙袋 オリーブオイルたつぷりかけて夏は行く 鶏頭に肌の冷たき十六歳 ゴーイングマイウェイふふふ無花果 水澄みて梯子の空へ行く男 蜩や使つて太る広辞苑 わたくしにふるさとポプラてふ晩秋 ペリカンの飛ぶ町に着き冬始 葱切ればこの世の水のあふれ出る 唐辛子真赤に冷えてをりにけり ぼたん雪ふりかへつてもぼたん雪 まだまだたくさんの面白い意表をつく俳句がある。しかし、尾野さんはただ面白がっているだけではない。季語を熟知し季語への信頼があついから俳句に説得力がある。ひとりよがりにならない。だから誰でもできそうでこういう俳句は誰にでもできるものじゃないってわたしは思う。物の手触りのある手垢のつかない句を読んでおられるのは、実は俳句にむきあってきた時間がながいからこそだ。年季がはいっている。その上でこの句集のスマートな仕上がりだ。 心憎いばかりである。 たくさんの喜びを たくさんの悲しみを ひとつひとつ掬いあげ 秋奈というフィルターを通して 俳句が生まれた いろいろな私が この句集の中に生きている 詩のように書かれた「あとがき」のことばである。 装丁は君嶋真理子さん。 尾野さんが希望される装画がいきるよう、色をおさえ白い本にしあげた。 それぞれの章の中扉。 担当はスタッフの千絵さん。 ポケットに花野の風を入れてゆく 「活動的でいらっしゃる尾野様が、花野を颯爽と歩かれる姿が目に浮かび、この句を選ばせて頂きました。いつもパワフルな尾野様がご来社になる度楽しい気分になり、編集中も大変楽しく過ごさせて頂きました。尾野様のお人柄が句にも出ていて、大変ほっとする素敵な句集だと思います。」と千絵さん。 胡瓜食ふ白くて硬き男の歯 雨燕男の友をなぐさめて 水無月の孔雀を飼ひし男かな たわいなき男の話ポピー揺れ 水澄みて梯子の空へ行く男 男からもらひし秋の扇かな 尾野さんの、「男」を詠んだ句をあげてみた。尾野さんの男をみる視点がいい。成熟し自立した大人の女という感がみなぎっている。男に依存も絶望もしておらず、さっぱりとしたあたたかさがいい。いい距離感だ。ちとうらやましい。 おひとりお客さまがみえた。 篠原悠子さん。 仙川にお住まいの俳人でおられる。 ご近所のよしみで(ということだけでもないのだが)、句集をおつくりさせていただくことになった。 きっとわたしはこれまで仙川で篠原さんと何度かすれちがっているとおもう。 それくらい生活範囲がおなじところに暮らしているのである。 これからは、たこ焼きなどを立ち食いなんて出来ないな。 昨日の「鷲尾賢也さんを語る会」のことをすこしだけ書いておきたい。 作家、評論家、装丁家、編集者などなど出版文化人の方々があつまって、鷲尾賢也さんを忍び語った一夕だった・ 「もし生まれ変わることがあったら、また編集者になりたい」 と生前鷲尾さんが語っていたことを知った。 この言葉をきけてわたしはほっとうれしく、十分に満たされた思いがしたのだった。 たくさんのいい仕事をされた編集者・鷲尾賢也さん。
by fragie777
| 2014-05-29 20:36
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