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4月4日(金)
必要があって、すこし蕪村のことを知っておきたいと思い、書棚から尾形仂著『芭蕉・蕪村』(岩波現代文庫)を取り出して読みはじめたのだが、すらすらとは読ませてくれないこの一書には、ときどきはっとするようなことが書かれていて、おもわず立ち止まってしまう。芭蕉について書かれたところにそれが多いのは、まだ蕪村の魅力まで到達しえてないのかもしれないが、昨夜読んだところもすこし眠くなっていた頭を覚醒させるのに十分だった。 「芭蕉と蕪村」の項目の中の「五生活と詩」に書かれていたことである。芭蕉の作品が中国の詩人たちの影響を多大に受けていることについてはよく知られていることなのだろうけど、たとえば、「古池や蛙飛び込む水の音」について、 一句は、そうした二重三重の古詩の世界との詩心の共鳴の中から深くゆるぎない、”清閑”の詩境を築き上げているわけで、それは現実のストレートな延長ではなく、現実との別次元の美の世界をかたちづくっているといわなければなりません。 わたしが興味深く思ったのはこれにつづく箇所なのだけれど、漢詩の引用があるのだが、それは読み下し文で勘弁してもらうとして、ちょっと長いけど引用してみたい。 断っておきますが、こんなこといまさら知ったのかよ、yamaoka!と思われる方々もあまたいることを承知でこれはyamaokaのお勉強として、笑ってくださいな。 同様のことは、先にも触れた「芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな」という、蕉風の誕生を記念する句についても、またあてはまるでしょう。これはその成立事情に照らせば、芭蕉が深川の草庵にはいった翌天和元年(1681)三十九歳の秋、後に水難対策として江東地区一帯の邸宅市街の撤去が布令されたほどの激しい台風の被害を、江東ゼロメートル地帯の一角で身をもって体験した、そうした苛酷な現実の中から生まれた句ですが、芭蕉はそのナマの現実体験を、杜甫の「床床屋漏リテ乾ケル処無シ」、(秋風破屋ノ歌)、蘇東坡の「破屋常ニ傘ヲ持ス」(朱光庭ガ喜雨ニ次韻ス)、孟叔異の「檐声月ニ和シテ芭蕉ニ落ツ」(夏雨)などの詩句を媒介にして、漢詩文中のもの、芸術的世界の中のものとしてとらえ直し、盥に落ちる雨音の中に、遠く杜甫や蘇東坡や孟叔異の聞いた雨の音を聞きしめ、かれらの詩情を反芻する、そうすることによって、ナマの現実を芸術世界の中のものにまで高め、詩による精神の救済を果たしているのです。 ここのくだりでわたしは目が覚めた。 苛酷な現実に表現者としてどう向き合うか、というひとつの態度の問題を芭蕉のありようを通して尾形仂は語っているわけである。その苛酷な現実とは水害にとどまらずあらゆる苛酷な現実を意味するのでは……。 遅ればせながらこの一文はとても示唆的なものに思えてきたのだった。 さて、今日は桜吹雪のなかをお客さまがご来社くださった。 亀割潔(かめあり・きよし)さん。 句集のご相談に見えられたのだ。 亀割さんは、現在俳誌「オーパスOPUS」(和田耕三郎代表)に所属する俳人である。かつては俳誌「蘭」できくちつねこの下で俳句をはじめ、先輩の和田耕三郎が中心となって指導する青年句会で熱心に俳句を学んだ方だ。今日まで俳句をつくりつづけておよそ20年となる。それをまとめて第一句集とすることを決意されたのだ。 「自分のつくった句を選び編集するというのは、俳句とはちがうまた別の大変さがありますね」と亀割さん。 ふらんす堂で刊行された本をいろいろとご覧になりながら、装丁に思いをめぐらしておられた。 お茶菓子にいただきものの「俳句恋みくじクッキー」をお出しした。 これは、クッキーの中におみくじが入っているのだが、実はおみくじだけではなく、恋の俳句が一句とその俳句の解説までが印刷されている。 亀割さんが引いたおみくじは、これ。 目白鳴く日向に妻と座りたり 臼田亜浪 この句を見た亀割さん、 「わっ、臼田亜浪とはうれしい。ぼく、好きなんですよ、亜浪が……」 師系をたどれば、亀割さんは臼田亜浪にたどりつく。 これもらっていいですか、とそのおみくじを大事そうにしまわれた亀割さんだった。 ちなみにこの楽しいクッキーの誕生には、神野紗希さんもかかわっておられるらしく解説を書いているのは紗希さんである。 亀割さんは、いっそうの桜吹雪となった仙川を臼田亜浪の俳句をふところに帰っていかれたのだった。
by fragie777
| 2014-04-04 19:45
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