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2月24日(月)
今日は讀賣文学賞の授賞式が帝国ホテルで午後6時より行われる。 俳人では、高野ムツオさんが句集『萬の翅』(角川書店刊)で受賞された。 読売新聞社から招待状をいただき、出席と返事をしたのだが仕事が山積してどうしても伺うことができない。 高野ムツオさんにお目にかかってお祝いを申し上げたかったのであるがとても残念である。 高野ムツオさま、第65回讀賣文学賞のご受賞、おめでとうございます! 心よりお祝いを申し上げます。 今日の朝日新聞では、田中亜美さんが「俳句時評」で「恋する俳句」と題して三人の若い俳人の句集をとり上げている。 榮猿丸句集『点滅』、野口る理句集『しやりり』、西村麒麟句集『鶉(うずら)』(私家版)の三冊である。 恋愛小説や相聞歌の長い歴史を持つ短歌に比べ、俳句で恋を詠むことはなかなか難しい。そうした中で最近、若い世代を中心に、新しい感触の恋愛句が次々と生まれていることは、注目に値しよう。 春泥を来て汝が部屋に倦みにけり 愛かなしつめたき目玉舐めたれば 髪洗ふシャワーカーテン隔て尿る 汝が寝息吸うて眠らむ夜の涼し 榮猿丸の第一句集『点滅』(ふらんす堂)。一九六八年生まれの作者とその恋人の間の漂うような愛の行方が描かれている。「倦みにけり」と断じるニヒルな表情と「愛かなし」の句における切迫した純情が交錯する世界。都市生活を送るカップルの、互いに自由ではあるものの、どこかもどかしげな恋愛模様も透けて見えてくる。 ひつじ雲もう許されてしまひけり バレンタインデイか海驢の手パタパタ 一九八六年まれの野口る理の第一句集『しやりり』(ふらんす堂)。「バレンタインデイ」は、チョコレートに一喜一憂する男性諸氏を、芸をする海驢(あしか)に譬(たと)えているのかもしれない。若い女性らしい、小悪魔的なものいいがユニークだ。 榮、野口のクールな視座とは対照的に、一九八三生まれの西村麒麟(きりん)による大らかな結婚の礼賛の句も印象的だ。 華やかな鶴と優しき大きな亀 雀の子雀の好きな君とゐて 第一句集『鶉』(私家版)より。おとぎ話に出てくるような鶴や亀や雀の子は、混迷を続ける現代社会の中でようやく獲得した、二人だけの〈居場所〉を象徴しているのかもしれない。 榮猿丸さんの句集も野口る理さんの句集もともに好評である。 この度、榮猿丸句集『点滅』の再版が決まった。 野口る理句集『しやりり』も在庫が僅少である。 こちらは、野口さんが、神野紗希さんや江渡華子さんとやっている俳句マガジン「スピカ」の「スピカのお店」で販売している。野口る理さんのサインなど特典が付くのが魅力。ふらんす堂の在庫がなくなっても是非にこちらから購入していただきたい。 今日の毎日新聞では、文芸ジャーナリストの酒井佐忠さんが、奥坂まや著『鳥獣の一句』を紹介してくださった。タイトルは「『鳥獣』と親しむ俳句」 早春になれば梅や桜を詠んだ俳句にひかれる。だが、そのような風雅な世界ばかりではない。ゾウやオオカミなど「獣」とも親しく心を通わせるのが、現代俳句の魅力だ。奥坂まやの新著『鳥獣の一句』(ふらんす堂)は、「鳥」「獣」を扱った名句を選び、独自の鑑賞を施した一冊。生きとし生けるものすべてと同じ立場でものを見る俳人の観察眼が見事に浮き彫りにさる。 絶滅のかの狼を連れ歩く 三橋敏雄 太古から狼は「大神」だった、と奥坂まやはいう。だが、人が畏れうやまう心は近代になり忘れられ、日本ではすでに絶滅した。ただ、「冬」の季語として生きている。 けものらの耳さんかくに寒明けぬ 三橋鷹女 立春は過ぎても厳しい寒さ。餌を得るため、また危険を察知するため「けもの」は耳を三角に鋭く立てる。「ヒト」になる前の私たちもそうだった。 八月の窓の辺にまた象が来る 宇多喜代子 八月は死者の月。夢幻の空間から聖なる象が歩み寄る。無名の人の魂が姿を変えたように。 水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首 阿波野青畝 阿弥陀如来の世界に蛇が不穏な空気を漂わせてやってくる。 句に詠まれた「狼」や「けもの」「象」「蛇」と人間の関係が、よくとらえられている。著者は、幼いころから動物の世界が大好きだった。「鳥獣戯画」ばかりでなく、宗教や民話、浄瑠璃などで号物は生き生きと輝いていた。人間と平等の世界に生きていた。こうした地球の先輩たちへの畏敬の念を俳句から読み取る楽しさが、ハンディーな一巻にあふれている。 昨日のブログのタイトル「愛するということ」って、エーリッヒ・フロムばりのタイトルだって気づき、あとからちょっと赤面してしまった。 今日は赤面しないようなタイトルをつけなくっちゃ。 さて、 なんとしようかな。 よし、 これで いく。 (……なんかヘンかな、まっ、いいや)
by fragie777
| 2014-02-24 19:16
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