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2月14日(金)
雪となる。 どんどん積もるらしい。 と、いうことでバスで仕事場まで行くことにした。 おお、 まるで、高屋窓秋の名句、 山鳩よみればまはりに雪が降る ではないか。 この時、あたりはわたしと山鳩だけだった。 「寒いよね!」って、わたしは声をかけて通りすぎた。 紹介しなくてはならない新刊がたまってしまった。 今日は、まず木村有宏句集『無伴奏』(むばんそう)を紹介したい。 著者の木村有宏(きむらありひろ)さんは、俳誌「鶴」(鈴木しげを主宰)の同人、25歳より石塚友二主宰の「鶴」によって俳句をはじめ、この度刊行した句集『無伴奏』は昭和25年から平成24年までの36年間の作品を収録した第1句集である。本来なら平成24年に星野麥丘人主宰の序文を以って還暦の記念として刊行する予定であったのだが、星野主宰のご病気とご逝去のためそれがかなわず今年の刊行となった。「序にかえて」として星野麥丘人主宰の「鶴」誌上の「鶴俳句の諸作」と題した鑑賞の文を収録し、跋文を現主宰の鈴木しげを氏が寄せられている。タイトルは「無伴奏」。これはクラッシック音楽を好んで聴く木村有宏さんご自身の命名によるものである。 句集は編年体の形式をとっており、著者自身の生活を中心にした家族の風景が詠み込まれている。拝読すれば俳句をとおしての家族の歴史が見えて来る。 婚近き二人の間や冬林檎 木犀や妊りて妻熟睡す 晩春や胎児が蹴つて眠れずと 三歳の子に覗かれし柚湯かな 妻は児を抱き馬鈴薯の花ふえぬ 裸子の手をついてゐる畳かな 春宵の髪切つて妻戻りけり さくらんぼいらぬと子供言ひはりぬ 道端に花火見上げて妻をりぬ 義父逝きて雪積む夜となりにけり ゆつくりと母と歩いて柿の花 鮟鱇鍋妻に謝ることふえぬ 懇ろに子の部屋の鬼やらひけり 一日を妻に蹤きゐて氷水 学校のこと饒舌に柚湯の子 父母に逢ひたるあとの秋夕焼 苦瓜や十八の子の男声 妻といふ言葉も古りぬ秋茄子 一つ家に受験子二人ピザ食ひて 春風や子を信じよと子に言はれ 野にあれば妻や手を振る曼珠沙華 秋驟雨夜遊びの子の帰らざる 子が家を出て行きし日の秋刀魚かな 秋灯や身籠りしとふ子のメール 極月の仰臥の父を見舞ひけり 退職の日数かぞへぬ春霙 母独りいませる家や枇杷生りて 新米の弁当妻に持たせけり 車椅子の父と暫く冬の月 胡瓜もむ専業主夫といふに慣れ 冷まじや母と拾ひし父の骨 残る虫リゾット焦がさぬやうにして 家族を詠んだ句を紹介してみると、典型的な一家族の風景がみえてくる。そこでは著者の木村さんはよき夫よき父親としての役回りを十全にこなしているように思える。細やかなに子どもを心配し、妻への優しい心をわすれず、両親への気遣いもたやさない。家族の生活の一齣一齣が中心になっている句集である。しかし、そこにときどき著者の自画像のようなものが顔を出す。実はこれが面白い。 冷房車降りぬ真顔を崩さずに 蕗の薹苦し不惑と気がついて 凩や四十路半ばの影長く どくだみを干して五十の近づきぬ 孔子より荘子が好きよ梅雨の星 日向ぼこしてゐる吾は何者ぞ 秋思ありエスカレーター左側 ほんたうにあしたはくるか籠枕 オリオンや仕事の悔いは胸の内 ボーナスを下ろせしことは言はざりき 花八つ手波郷の齢一つ越え 「独ごと」鞄に入れて鬼貫忌 家族を詠んでいるときほどには著者の心は安らかではない。苦い不条理のようなものを抱え中年から初老へ歳を重ねていく男の心境にふれる。家族にはみせない顔だ。しかし、それを俳句に詠むことによってこの句集は木村有宏さん自身の顔と体温を持ったものとなったのではないか。 ほんたうにあしたはくるか籠枕 ほんとうに明日は来るかと聞かれても、ぼくには答えようがない。来るか来ないかは本人の心がけ次第だ、と言ってしまえば身も蓋もなくなるが、生きていることを思えば、ときにこのような自問ともいえるような呟きが発せられても不思議ではない。作者は答えを求めるというよりは、思わず口にした言葉なのであろう。なぜか、それはそこに籠枕があったからと言えるかも知れぬ。ものがそこにあって、ものが作者に語りかけてくれば、作者もまたそれに応じることは俳人なら当然であろう。この句はそんな句ではないかと思われる。(平成十六年「鶴」八月号) 星野麥丘人氏の「序にかへて」より引用した。「ものが作者に語りかけてくれば、作者もまたそれに応じることは俳人なら当然であろう。この句はそんな句ではないかと思われる」 名鑑賞だと思った次第である。もう一つ紹介したい。 採血にサルビアの前通りけり サルビアはどこでもよく見かける。観賞用として栽培されているからだが、よく目にするということは、一方では案外見過ごされているといえないこともない。目に馴れているものは、目から離れやすいものだ。それをたまたま採血に行く途次、目にしたのである。だが、この句は採血による血の色とサルビアの色を結びつけようとしたのではない、とぼくは思いたい。採血のために出かけてきたことは事実、そこでサルビアを目にしたのも事実、この二つの事実を結びつけたのは作者としての俳人の目なのである。こういう目を大切にしたいと言っておきたい。(平成十六年「鶴」十月号) これもまた味わいのある鑑賞だと思う。 現主宰の鈴木しげを氏も懇切な跋文を寄せておられる。 校正の帰り良夜となりにけり 残業の雨となりたる忍冬忌 「鶴」の主宰が星野麥丘人先生になられて数年して編集を松本康男氏が担当。その補佐として有宏氏と私が加わって主に校正をやっていた。当時は三人共に勤めを持っていたから校正に通うのも夜になる。山手線大崎駅の近くにあった三協美術印刷のインクしみた校正室がなつかしい。傍を流れる目黒川の上の十五夜が忘れがたい。 次の忍冬忌は石田波郷の忌日。有宏氏は生前の師に見えることは叶わなかったが波郷の鶴の韻文精神は胸深くとどめていて毎年のように波郷忌を修して今日に至っている。この句は仕事を抱えていて波郷忌句会へ参じ得なかったのであろう。「残業の雨となりたる」に作者の息遣いがきこえてくるようだ。忍冬忌の斡旋も的確である。(略)麥丘人先生が体調を崩された平成二十年頃。先生から当時同人会長を務めていた私に鶴の編集者を推薦するように依頼があった。私はすぐに木村有宏氏を推した。氏は編集の経験もありその任にふさわしいと思ったからである。私はかつて石塚友二先生にインタビューした時、「本というものはしっかりとした編集者が居れば続いていくものなんだよ」と言われたのを忘れない。鶴の創刊時から戦中戦後の苦難の時代を鶴の編集発行の責を負ってきた友二先生の自負の言葉なのだとしみじみ思う。有宏氏は永年の勤務を無事退職され現在は俳句だけに専心する日々となった。いよいよ句作に磨きをかけて有宏俳句の詩境を広く深く切り拓いていって頂きたい。 冬木立バッハミサ曲ロ短調 風入れて昼寝の曲はマーラーに ブラームス聴き春愁を分かちけり ハイドンを小さくかけて夜の秋 俳句は生活そのものであるとともに、生きた証でもある。この世に生まれて、このように生きた男がいたのかと思っていただければ幸いである。 「あとがき」のことばより抜粋した。著者の思いはこの数行につきるのではないか。 装丁は君嶋真理子さん。「無伴奏」というタイトルにふさわしい荘厳にして清玄なる一冊として出来上がった。 実は木村有宏さんは、カメラが趣味でこれまでに撮った写真がたくさんある。その写真を見出しの「春夏秋冬」に会わせて4枚を口絵としてこの句集に挿入された。 その願いを君嶋真理子さんは、素晴らしい装丁で実現してくれたのではないだろうか。 担当スタッフは千絵さん。 千絵さんのおすすめ一句は、 大の字に寝てチェロ聴けり夏座敷 「私の父もクラシックが好きで、よく自宅のスピーカーから大音量でクラシックを流しているのですが、夏の暑い時期にこういった光景をよく自宅でも見ていたので、大変親近感が湧いた句です。大変多趣味でもいらっしゃるということもあり、句も多方面を向いており面白いものが多く全体的に大変興味深く読ませて頂きました」と千絵さん。 わたしは次の句。 空蟬を子の掌に返しけり 「空蝉」を子どもの手より貰ってふたたび子どもの手に返した、というそれだけのことであるが、空蝉というはかなくてこわれやすいものを父と子が渡し合うところに父と子の繊細な心のふれあいが見えて来る。父の手の大きさと子の手の可愛らしさとそこを行き交う空蝉がよく見えて来る一句だ。 雪は降りつづいている。 すでにスタッフたちは帰ってしまった。 この雪のため、今日の「高柳克弘句会」はお休みとなった。 明日の「片山由美子句会」もお休みです。
by fragie777
| 2014-02-14 18:44
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