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2月13日(木)
![]() ブログを書くのが遅くなってしまった。 午後6時より、中野の宝仙寺で歌人の小高賢(鷲尾賢也)氏のお通夜がありそこに伺い先ほど戻ったところである。 冴え返る寒さのなかでおこなわれたお通夜であったが、大勢の参列者だった。 お焼香の列の最後尾に連なると装丁家の間村俊一氏がいらした。 「間村さんは、小高賢さんの本は装丁されたのですか?」と伺うと、 「ウン、歌集一冊とね、あと講談社の仕事ではいろいろと彼と関わることが多くてね」とおっしゃった。 参列をされている方々の中には存じ上げるお顔もちらほらとおられる。 しかし、どなたもこのたびの小高賢さんの急逝に呆然とされているようだった。 ![]() 小高賢さんの歌人としての著書と、鷲尾賢也として手がけられた本が並べられていた。 (ああ、この本も鷲尾さんのお仕事だったのか、と改めて知るものもある。) 小高賢第一歌集『耳の伝説』をいただいたときのことはよく覚えている。 編集者としての日々をも読まれていて興味深かった。 あるページの三句を紹介したい。 退屈(アンニュイ)の前衛でもなき一群れがいつものように会議にむかう なに気なく誤植さがせる習性の手のひらの傷風につめたく あきらめが未練外連(けれん)にうちかって中年男になりにけるかも ご冥福をこころよりお祈り申しあげます。 2年ぶりにふらんす堂にいらっしゃった青年がいる。 辻岡昌浩(つじおか・まさひろ)さん。 彼は、2年以上前にふらんす堂に連絡をくださった方だ。そして2年前にふらんす堂を突然訪れ、ある外国の劇作家の詩を翻訳して自費出版したい意向を情熱をこめて語ったのだった。 誰にも頼らず、ただその劇作家へほれ込んだというパッションだけがあった。その作家の書いたものやら関わるものを読み漁り、ひたすらな思いで本にしたいと思っているということだった。 しかし、まだ20代半ば、どうなることになるのか、 わたしは様子をみるしかないと思ったのだ。 若き日の情熱は消えやすく、朝露のようにはかない、ってその劇作家を真似して言ってみようか。 彼には、申し訳ないが、私のなかではほぼ忘れかかっていたものだった。 そして今月になって連絡を貰ったのである。 出版する算段もつき、その詩の訳も完了したということだった。 その劇作家とはウイリアム・シェイクスピア。 その詩の作品は、「ヴィーナスとアドーニス」というタイトルでかつて坪内逍遥がはじめて訳したことのあるきわめて官能的な長編詩である。 1194行からなるそれを訳したものをいよいよ本にしたいということ。 タイトルは「痴女のヴィーナス」。 できるだけエロティックででいやらしい本にしたいということ。 うーむ、 なるほどね、 あんまり得意分野じゃないけど、 面白い本にしたいと血がさわぐ。 やってやろうじゃないの。 ![]() シェイクスピアのものは全部読み、シェイクスピアの芝居にもかつては関わっていたということである。 1564年に生まれたシェイクスピアは、ことしで生誕450年になるという。その生誕450年の年に「痴女のヴィーナス」を世に出したいという辻岡さんだ。 24歳のときにはじめて連絡を貰って、4年後の28歳になった今、こうして原稿を貰うことになった。 辻岡さんのシェイクスピアとヴィーナスへの思いにも応えるため、できるだけエロティックな本作りをしようと和兎さんと目下相談中である。 「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって野口る理句集『しやりり』より。 春疾風聞き間違へて撃つてしまふ 春の突風はかなりのものだ。気象協会が出している『季節と暮らす365日』によると「初春は春と冬がせめぎあい、日本付近を通る低気圧は発達しやすく、風が強まる」とある。春疾風は寒冷前線による嵐で、このあとは日本海側は大雪や海難、太平洋側は乾燥や強風による大火事に警戒が必要、と記述されている。春疾風そのものが不吉な予感を含んだ季語なのだ。何を聞き間違えて引き金をひいてしまったのかわからないが、撃たれたのは人間だろうか獣だろうか。それにしたって「聞き間違へて」撃たれたらたまらない。撃たれた側は悲劇だけど、この言葉に、何とも言えない諧謔が含まれている。耳元で逆巻く春疾風の雰囲気も十分で、季語の本意を捉えつつ今までに見たことのない面白さを持った句だと思う。『しやりり』(2013)所収。 こんな物騒な句が、『しやりり』に収録されていたのね、いやだ、わたし気づかなかった。 野口る理句集『しやりり』は、読む人にいろんな面白さを与えてくれる句集だ。
by fragie777
| 2014-02-13 22:30
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