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2月10日(月)
![]() (それにしても大きいでしょ) この柳の前には必ず立つ。そして見あげて、あ~あ、って思う。 この「あ~あ」っていうのには、その時によっていろんな感慨がふくまれている。 (まったくもって駄目なわたしだよなあ~) (ふたたびこの柳をみあげることができだぞお) (それにしてもお腹がすいたなあ) (今度来るときのわたしっていったいどんなかなあ) (くそ、いまいましいぞ、アイツは……) (なんで人生思うようにいかないんだろう) (フフフフ、誰にも言わないけどさ、ちょっといいことあったんよ) (そこに止まっている烏、呑気そうだねえ) etc.etc.etc である。 まっ、言ってみれば極めて平凡などうでもいい感慨である。 ここで書くことでもないか…… もう何十回と来ているわけだから、その度のわたしをこの大柳は知っているのだ。とわたしは勝手に思っているのだが、柳はちっぽけな人間のことなどおかまいなしであることは必定だ。 この日は烏が大きな巣をつくっていた。 新刊句集を紹介したい。 堀江たへ子句集『たゆたひて』(たゆたいて)。 ![]() 著者の堀江たへ子さんは、現在85歳、昭和26年に俳誌「若葉」に入会され途中中断があったものの平成23年に「若葉」を退会するまで俳句を続けて来られた方である。亡くなられたご主人の多真樹氏とともに俳句に研鑽する日々を送られたと「あとがき」に書かれている。俳句に出会ってからの60年間の作品を第一句集として刊行されたのがこの度の句集『たゆたひて』である。 「若葉」の主宰であった富安風生氏に声をかけてもらい俳句をはじめ、その後清崎敏郎、鈴木貞雄の各氏に俳句をまなんで来られたのだった。 句集の最初にそれぞれの師が選んだ作品が各一句ずつ置かれている。 富安風生・選 ユーカリに隠れて好きな人を待つ 清崎敏郎・選 蓮枯れて水まるみえとなりにけり 鈴木貞雄・選 獅子の顎かくかくと纏頭呑み込める それぞれの師らしい選句である。 「たへちゃん、東京に来ることがあったら寄りなさい。」 それは昭和二十年も終わり頃のことでした。豊橋ご出身で「若葉」の主宰でいらした風生先生が豊橋や伊良湖岬を廻られる機会がありました。当時私は縁あって、豊橋の「早紅葉会」に所属しておりましたので先生が吟行を終えられお帰りになる時に駅でお見送りを致しました。冒頭のお言葉は、その時に風生先生が私にかけてくださった一言です。このお言葉をきっかけに私の俳句人生が始まったと申しましても過言ではないと思っています。のちに若葉の誌友になり、一時中断するも再入会し、地元の句会などにも参加するようになりました。 「あとがき」から引用したが、富安風生という俳人の人柄を彷彿とさせる一文である。風生俳句のもっている磊落さと優しさが見えてくるようだ。次の師の清崎敏郎もまた、堀江たへ子さんをこう言って励ましたと「あとがき」にある。 「君たちは学徒動員のころに育っているので勉強の機会はなかっただろうな。今からでも遅くないんだ。基礎をしっかり勉強して、見た物・感じた物を俳句にしていけばいい。そのうちに上手になっていくよ。」 「湘南句会の帰り、電車の中で清崎先生に励まして頂いたそのお言葉は忘れることができません。」と堀江さんは書いている。2009年にご主人が亡くなりご自身も体調をくずされ、その後「若葉」も退会され句集を出すことなど考えておられなかった堀江さんであるが、「若葉」の句友の須田冨美子さんや今本まり子さんの後押しで、思い切って句集の出版に決心したと書かれている。またお身体がおもうようにならない堀江さんに代わってご息女の北地みどりさんが窓口となって熱心に句集の刊行のお手伝いされたのである。ふらんす堂に須田さんと一緒にご来社もくださった。まわりの方々の熱い思いも手伝ってこの度の句集刊行が実現したのである。 冬苺買ふ倖せを買ふ如く 油虫ころせぬ母娘くらしかな 砂日傘隣同士の拘はらず たよりなきものに空蟬縋りをり 濤音を吸ひ込んでゐる稲架襖 ひとり居はたのし淋しと毛糸編む 燃えつきしどんどの燠の息づかひ 曼珠沙華燃えひろがりて手に負へず 噴水の立ち直れざる吹かれやう ぼろ市の鳴らして捌く古時計 サーファーの卯波待つさま獣めき 螢火の出合ひがしらにふくらめる 紅しだれ映して玻璃の内暗く とんがらし怒り怺へてひんまがり おづおづと獅子舞に頭を嚙まれをる 滝といふ無垢なるものを仰ぎけり 金粉を打ち初春の海平ら 螢火のほうと浮かびぬあらぬ方 チューリップ笑ひころげてをりにけり 「見た物・感じた物を俳句にしていけばいい」という師・清崎敏郎の教えを無理なく実践したのびやかな作品が句集には多く収められている。ご自身の気息にあわせて俳句がすっと生まれる、そんなことを感じさせる作品である。 昨年、「若葉通巻一千号記念大会」のお知らせを頂いた時には、すでに若葉を退会しておりましたし、当時のお仲間を懐かしく思い出しながら、大会会場のホテルへ思いを馳せておりました。しかしその後、「記念号」などを読ませて頂いているうちに、自分の中に俳句への気持ちが何か少し動き始めるのを感じました。「私は、俳句と出会ってからの六十年間にどのような作品を作ったのかしら。」「どのような情景のところで、どなたと居る時に、いつ頃作ったのかしら。」そして、今なら、これらを自分の足跡としてまとめて、仕舞い支度の一つとできるのでは、と思い始めたのです。(略)こうしてまとめてみると、恥ずかしいような拙い句ばかりではありますが、残り少なくなった時間のうちに形にすることができたのは、この上なく幸せなことだとつくづく感じております。 ふたたび「あとがき」から引用した。 ためらいながら句集刊行でいらしたが、出来上がって何よりもご本人が喜んでくださった。それが嬉しい。 装丁は和兎さん。いくつかのラフ案を用意したが、最初は気にいってもらえず駄目だしがあった。 うかがえば、「浜昼顔」を装画として使ってほしいということ。堀江さんの俳句の原点ともなった「湘南句会」の湘南海岸に浜昼顔は咲く。 「うーん」と和兎さんは頭をかかえた。「浜昼顔」の図版はなかなかないのである。 しかも堀江たへ子さんにはイメージがおありになる。「浜昼顔」と「波模様」をあしらって欲しいということ。 苦心のすえ出来上がった句集『浜昼顔』である。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この句集の担当は萌さん。 曼珠沙華燃えひろがりて手に負へず 「『燃えひろがりて』で真っ赤に染まった曼珠沙華の妖しさ、『手に負へず』という言葉で、触れがたい花のイメージを端的に表現していると思いました。 堀江たへ子さまの句には情景を上手に捉えた句がいくつもあります。」 と萌さん。わたしもこの句の「手に負へず」にはちょっと笑ってしまった。曼珠沙華のすさまじい勢いを思った。 屑金魚ごつた返して糶を待つ 夜店の金魚すくいなどで売られるすぐに死んでしまう金魚のことだろう。情景をリアルにそのまま詠んでいるのだけど、「ごつた返し」に金魚のぞんざいにされた生命の強さとはかなさがある。その鮮やかな色彩がどこか哀れだ。 明日は祝日でお休みである。 だからスタッフたちはまだ仕事をしている。 わたしもまだやらねばならないことがある。 Pさんが「グワー」って言って大きなのびをして帰り仕度をはじめた。 緑さんと萌さんはまだ頑張っている。 わたしは明日ちょっと用があるんで帰ろっかな。 銀行にもいかなくっちゃならないし…… じゃ、お先にね。
by fragie777
| 2014-02-10 20:04
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