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1月20日(月) 大寒
![]() ショベルカーのその働きぶりの凄さに思わず見入ってしまった。 屋根を加えてひっぱりはがすところは生きているかのようだ。 大寒の地を震わす破壊力抜群の恐竜だ。 咥えられた瓦屋根はへらへらと一枚の紙のごとくしないながら落ちていく。 こうやって家は解体されていくのか。 今日の朝日新聞の「風信」で、野口る理句集『しやりり』が紹介されている。 私のやうな人ゐる霧の道 死は神に捧ぐものなり志も私も詩も 27歳の第1句集。視点の新鮮さと自意識の調和。 今日の毎日新聞の岸本尚毅さんによる「俳句月評」にも野口る理句集『しやりり』が紹介されている。こちらは、高野ムツオ句集『萬の翅』(角川学芸出版)と桑原三郎句集『夜夜』(現代俳句協会)も同時に評され、タイトルは「思念をうたう」。まず『萬の翅』と『夜夜』についてふれ、 高野の硬質の文体と桑原の一見〈脱力系〉の語り口は対照的だが、人間存在への思索について自覚的である点は共通する。 そして、 「夏帽や砂といふ砂風に自由」は野口る理『しやりり』(ふらんす堂)所収。吹かれる砂に〈自由〉を見出した。「浜木綿や雲の知り得ること僅か」「万物が仔犬の相手する秋ぞ」の如く、野口の句は俳句自体に思念を語らせているように見える。 上掲近刊は見る通り俳句は思索性を持ち得る詩である。この小さな詩形にどこまで負荷を掛けるか。それとも掛けないのか。俳人は俳句という詩形の可能性と耐性に関し、たえず自覚的である必要がある。 坪内稔典さんのねんてんの今日の一句も、野口る理句集『しやりり』からである。 遠火事や載せれば載せるほどにパフェ 遠景に火事、近景にパフェ作り、その対照が実に鮮やか。そして、遠火事はパフェみたいなものという感覚、あるいは逆に眼前のこのパフェは遠火事みたいなものという感覚が、軽いめまいのようなものをもたらす。日常が少し揺らぐのだ。 火事の句といえば「暗黒や関東平野に火事一つ」(金子兜太)を覚えているが、る理さんのパフェの火事は兜太さんの傑作に匹敵するのではないか。火事とパフェという取り合わせがとても大胆、しかも憎い程に軽い。 そしてわたしに野口る理さんの俳句の面白さを最初に教えてくれた川島葵さん。 この間会ったら、 チャーリー・ブラウンの巻き毛に幸せな雪 って口ずさみ、「まだ『しやりり』三分の一くらいしか読んでないんだけど、この句いいよね。チャーリー・ブラウンの巻き毛ってどことなくあたたかな感じがするじゃない。そこに雪が降ってきて、ああ、いいなあ……」って、川島葵さん。 句集『しやりり』はいろんなところで新鮮な驚きを与えているようだ。
by fragie777
| 2014-01-20 18:35
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