|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
12月3日(火)
![]() 今日のふらんす堂のおやつ時間は、怖い映画の話となった。 今まで見た一番怖い映画は何かっていうことになった。 ちなみにスタッフの萌さんは、怖い映画が大好きでかなりいろいろと観ているらしい。 そして、どれもそれほど怖くはないんだそうだ。 「ええっ! 一人で夜中にリングの貞子を見ても大丈夫なの?!」ってPさんが聞くと、 「ええ、大丈夫ですね」と平然としている。 「わたしはもう駄目、お風呂で頭洗えなくなっちゃった」とPさん。 千絵さんは、怖い映画は嫌いなので、絶対見ないという徹底ぶり。 そんなこんなで怖い映画を見たスタッフの「一押し怖い映画」はこれ。 緑さんは、イギリス映画「シャイニング」(スターリン・キューブリック監督、ステーィヴン・キング原作)。主演のジャック・ニコルソンの顔がすさまじく怖い映画だ。 Pさんは、やっぱり邦画の「リング」。「怖くて眠れなくなった」ということ。 「怖いもの好き」な萌さんは、アメリカ映画の「IT」(スティーブン・キング原作)。「中ごろまで怖くて良かったのですが、最後のところで少し白けました」ということ。 で、わたしは、英仏合作映画「世にも奇怪な物語」。エドガー・アラン・ポーの原作で三人の監督によるオムニバスである。監督はロジェ・バディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ。その中でフェリーニ監督による「悪魔の首飾り」という映画が怖いのだ。名優テレンス・スタンプが主人公でそこに現れる毬をもった美少女がすさまじく怖いのである。油断をして見ていると、最後にその顔が焼きついてしまう。ああ、怖い! ということで、今日は怖い映画の話題で盛り上がったおやつの時間だった。 新刊句集の紹介をしたい。 布施まさ子句集『水音』(みずおと)。 ![]() 著者の布施まさ子さんは、俳誌「風土」(神蔵器主宰)同人、この度の句集は平成5年から平成23年までの18年間の作品を収録した第一句集である。神蔵器主宰が序文をよせておられる。 布施まさ子さんは、書家を目指していた方である。しかし「後縦靭帯骨化症」という難病に罹り、書家として立つことを断念される。その失意のどん底で俳句と出合ったと序文にある。 七月の水音通ふ深大寺 山動き出す臘梅の咲きにけり 洛陽に買ひし硯も洗ひけり それぞれの本に位置あり秋灯し 久女忌や氷の上を鳥歩く 銀杏大樹に水のぼりゆく虚子忌かな 酔芙蓉純白といふ刻を持つ 一木の仏に会ひぬ花八つ手 印泥の朱を練り直す余花の雨 一湾の船を遠くに墓洗ふ まさ子さんの句は地味である。私の知る限り風土へのはじめての投句から表現に無理や破綻がなかった。無理をして詰め込むことなく表面はあくまで静かである。それでいて野に咲く一輪の花、あるいは日常生活の一つの出来ごとにしても、その感動のポイントを決してはずすようなことはなかった。「物に入ってその微の顕れて、情感ずるや句と成る」(三冊子)。対象をみつめ物心一如、写生の奥に本当のかがやきを求めている。 神蔵器氏の序文である。 実は布施まさ子さんには、ずっと若い頃に俳句との出会いがあった。勤め先に俳句サークルがあり、そこに山口青邨が俳句指導に来ていたのだ。会社のおえらい方々が中心に12,3名のなかに若い女子社員が2名借りだされた。そのお一人が布施まさ子さんだった。「、若い作者はもっぱらお茶の接待係で、句会報を作ったり、その句会報に載るのが精一杯だったという。」その時に青邨から色紙や短冊を何枚もいただいているという。そのひとつが、 初富士のかなしきまでに遠きかな 青邨 ふらんす堂に来社された布施さんは当時のことを思い出されながら、「数々の青邨先生の御句はどれもおぼえています。心に迫るものがあります。」とお話しされたのだった。 若い時に俳句に触れたという体験はかけがえのないものだとわたしは思う。山口青邨という俳人のその謦咳に接したということはのぞんでできることでもない。羨ましい体験だ。 冬の田にあたたかき雨降りにけり 渦ひらきつつ葉牡丹の雨にあふ 初蝶の出でゆく門を入りにけり 父の忌のまへもうしろも菊咲けり 冬の日の畳の奥を通りけり くわんおんの御手間近に年立てり 雛の目の未来を見つめをりしかな 春の星眠らむために階のぼる 仏の手あまたまほろば冬ぬくし 前半のわたしの好きな作品を紹介してみた。季題を空間としてとらえ詩情ゆたかな世界をつくりだす、その表現が独特で巧みだと思う。静かだが確かな世界の手応えがある魅力ある作品だ。 ほかに、 サングラスかけて己を見てゐたり 滝の前いつしか音の消えゆけり 初御空歩くことより始めけり 絵馬紐の男結びや初天神 夜濯ぎの今日を遥かと思ひをり 月下美人夜のしじまの通り過ぐ 山茶花の日々を散らしてをりにけり 八重桜娘に近くゐて遠きかな 短夜の八一全集重ね置く 起きぬけに雨の来てをり酔芙蓉 テレビアンテナ朝鵙の叫びけり 夕日呑む赤き雲あり惜命忌 春愁や大き見出しの辞書を引く 雨降つて雨に色ある暮春かな みちのくに雪来たるらし青邨忌 声あらば聞き洩らすまじ原爆忌 はかなさもめでたさもあり冬桜 布施さんは、忌日を詠むのが上手だ。虚子忌の句も波郷(惜命)忌の句も久女忌の句もどれもいいとわたしは思う。 思いがけない俳句との出合いでしたが、二十数年を経て、一冊にまとめて置きたいと考えるようになりました。私の住居に近く古刹浮岳山深大寺があります。産土でもあり、折にふれ出掛けて行きました。耳を澄ませばいつもどこかで水の音がしています。「七月の水音通ふ深大寺」。句集名を「水音」と致しました。首を痛めてそれまでやっていた書道が出来なくなった時、私は神蔵器先生にお目にかかる機会を得ました。以来神蔵先生の御指導をいただくと共に、風土の皆様に支えられ励まされて、長い間俳句を続けることが出来ました。一日一日を大切に、心豊かに過すことも出来ました。改めて厚く御礼を申し上げます。 「あとがき」のことばである。深大寺はわたしの家からも近くで、ついこの間も行ってきたばかりである。確かにいつも水音がしている。ちかくの水生植物園にはさまざまな鳥がいて大きな池もある。(わたしの恋人の翡翠もいる。あはっ)布施まさ子さんはきっと何度も足をはこばれたことだろう。 この本のブックデザインは、和兎さん。 「水」ということばのついた句集は多いので、難しいところがある。 瀟洒なものがいいというのがご本人のご希望だった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この句集の担当は三好萌さん。萌さんの好きな一句は、 埋められし百の球根春を待つ 「土の中にある球根にも目を向けて、おそらく一緒に春を待っている著者は温かく、お優しい方なんだろうなと思いを巡らせていました。実際ご来社頂き、お話をしてみると想像通りのお人柄で、素敵な方でした。 今年は私も実家の畑に植えられている、球根を思いながら春を待とうと思います。」 酔芙蓉純白といふ刻を持つ この「純白といふ刻」は、いったいどれほどの時間なのだろうか。 その束の間の、あるいは一瞬の、純白に、わたしは思いを馳せる。 「ふらんす堂通信」編集期間がはじまりつつある。 スタッフのPさんはまだ残ってわたしの横で仕事をしている。 でも話しかけても駄目。 イヤホンをして好きな音楽をかけ、それに合わせて歌を歌いながら仕事をしている。 ナガラ仕事のほうがはかどる、ということだ。 あらら、イヤホンを外してわたしに聞かせようと言うのか、音を流し出した。 じゃ、ブログをもう終えることにします。
by fragie777
| 2013-12-03 20:30
|
Comments(0)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||