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11月21日(木)
今朝のインターFMのバラカンモーニング。 「『秘密保護法案』が通ってしまいそうですね。民主主義がこわれていく」とピーター・バラカンは言い、「だからというわけではありませんが」と次の曲をかけた。 “EVERYTHING IS BROKEN” BOB DYLAN(ボブ・ディラン)だ。 わたしはこの曲を聴きながら仕事場まで向ったのだ。 新刊紹介をしたい。 中嶌厚子句集『さくら』。 中嶌厚子(なかじま・あつこ)さんは、俳誌「花鳥来」(深見けん二主宰)に所属、この度の句集は第一句集となる。およそ20年間の作品のなから選ばれたものである。 日の差して皆歩き出すさくらかな 句集名となった一句である。 こんな景は誰もが見ているが、仲々句にはまとまらない。それが一句として立ち上るのは心をこめて写生をつづけると、ある時恩寵のように、言葉となってまとまるものだと私は思っている。厚子さんが、句集の名をこの句から「さくら」とされたことは、それを知ったからではなかろうか。 深見けん二氏は、この句についての序文でこのように書かれている。「心をこめて写生をつづけると、ある時恩寵のように、言葉となってまとまるものだと私は思っている」という言葉は深い。まさにご自身がそのことを実践しつづけて来られたのだ。そしてその言葉は「客観写生」を信条とする俳人に希望を与えるものだ。 江ノ島を揺らすほどなり卯浪立つ 情景が鮮明で、「卯浪立つ」がよく働いている。NHK俳句王国出演の句で、たしか高点を得た句だったと思う。 右の掌に込めて竿灯立ち上がる 「込めて」は、広辞苑に「まわりを固くかこんだ中に何かを入れて動かさないようにする意。」とある。その「込めて」が、この句ではよく働いて、竿灯の立ち上がる時の力のこもりよう、又観客のどよめきが伝わってくる。 序文からいくつかの句の鑑賞を紹介してみた。深見けん二氏は一句一句をあげてこのようにその叙法に具体的に踏み込んで鑑賞をされている。 著者の中嶌厚子さんは、俳画もよくされるお方である。この度の句集『さくら』には六点の俳画が口絵として挿入されている。 このようにそれぞれ六つの章に俳画がおかれている。「さくら」という題字もご本人の手によるものである。 不用意に割つてくづして寒卵 何もかも持ち込みしまま春炬燵 お彼岸や父へ手向けし庭椿 綱たぐる掌のたくましく卯浪寄す 庭箒濡れて卯の花腐しかな 生きぬきて父甚平の余生かな ふと気づき右の手袋探しけり 玉の汗手焼せんべい裏返す のつけから芥子の効きし心太 藁も濡れ蠅の舐めゐる飼葉桶 流氷の重きうねりに軋みけり 夕風に流れ花火の歪みけり 葱洗ひ濡れし手のまま居間通る 日除して八百屋の隣り乾物屋 終ひには足びしよびしよに水を撒く 水溢れ豆腐を沈め店涼し 何んとなく過ぎてしまふや文化の日 次々に師の籘椅子に座りをり 高梯子たたみ庭師に暮早し 落ちさうに鉾にぎつしり囃子方 濡れてゐるごと真つ新な芒の穂 葉牡丹の一途なる渦ゆるみけり 正倉院閂を掛け冬に入る 川音か雨音かしらそぞろ寒 列島を焦がし八月来たりけり 鰯焼く青き脂のしたたれり 梅雨の蝶まだらの芝を掠めけり 黒々と幹にしたたる夏の雨 この最後の「夏の雨」の句は印象的だ。雨を「黒々と」ということばで表現できるのは、「夏の雨」しかないように思う。「夏」という季節がそのうちに抱えている「暗さ」に触れている。 この度、深見けん二先生のお薦めにより句集を上梓する事が出来ました。俳句を始めたきっかけは四季折々、美しい言葉により心を込めて句が詠めるようにとの思いからでした。当初俳句教室では季節ごとに吟行会も行われており先生はその都度、真摯な態度、眼差しで虚子の「花鳥諷詠」「客観写生」を説かれ丁寧にご指導くださいました。年月を重ねるごとに俳句の奥深さに戸惑う事もしばしばでしたが、いつの間にか俳句が日々の生活の一部となっている事に気付かされ、今まで見過しがちであった事柄にも目が止まるようになりました。その後「花鳥来」に入会、会員の方々の俳句に対するひたむきな姿勢等々、多くの事を学び得たように思います。今回二十年間の句を整理するに当りその時々の情景を想い出しながら自らを顧みるよい機会となりました。句集は自分自身の生活の記録ですので、先生のご選の句ばかりではなく拙い句も敢えて収めたつもりです。 中嶌厚子さんの「あとがき」のことばである。 そして師の深見けん二氏のことばを再び紹介したい。 地道に写生をつづけることにより自づと個性の出ることを確信し、楽しみに俳句も俳画もつづけ、豊かな人生を送られることを祈り序文とさせていただく。 真摯な師の教えをひたむきに学んだ中嶌厚子さんの20年間の句の結実がこの度の中嶌厚子句集『さくら』である。 装丁は和兎さん。 「さくら」というタイトルは難しかったようである。 色校正で、ピンクとむらさきの二種類を用意したところ、中嶌さんはあえてむらさきの方を選ばれた。今日ご丁寧な御礼のお手紙をいただいたのであるが、そこに「紫の色目が少々心配でしたが、さくら色に近い色合いとなり良かったと存じます」と書かれてあった。ピンクでは当たり前とむらさきにされたのだが、出来上がってみると不自然な感じはなく、かえってピンクよりも大人っぽく仕上がったのが良かった。 句集は子どもっぽくなってはいけない。 この句集の担当は高橋千絵さん。 千絵さんの好きな句は、 焦がしたる天を一掃鰯雲 「秋の空がさっと晴れ渡るイメージが、とてもすっきりとして心地よいと思いました。旅の句も素敵なものが多く、読んでいて、旅立ちたくなるような気分になりました。章ごとに挟みこまれた俳画も句ととてもよく合ってすてきです。」 と千絵さん。 桐箱に紐の絡まる秋扇 わたしはこの句が好き。桐箱に収めれている扇に贅沢な時間を思う。「紐の絡まる」で秋扇の実感がある。これは白檀の扇かしら。わたしも欲しくて一つ持っている、しかし、出番がない。白檀の扇って誰でも持てるものじゃないんだって、買ってみてわかった。使おうかなって取りだすんだけど、なんだか扇に問われているような感じになって止めちゃう。もう10年くらい箪笥のなかで眠っている。 さてと、 毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」。 昨日は、『八田木枯全句集』より。 障子しめて物にかかはること了(おわ)る 八田木枯 障子を閉めて自分だけの世界に入った、「というのであろう。昨日の「白障子閉ざすはこころ放つなり」(正木ゆう子)とよく似た心境だ。木枯は2012年に87歳で他界した俳人。障子が好きだったらしく、障子の句が多い。「日の暮をととのへてゐる障子かな」「かそけさが障子の桟に流れをり」「水あかり障子あかりとむつみ合ふ」など。 今日は、大木雄作句集『春風』より。 縁側は小春が寄つてゆくところ 大島雄作 季語「小春」は旧暦10月の異称。小春のころは穏やかな日和が多く、その日和を「小春日」「小春日和」と呼ぶ。今日の句、小春を擬人化している。縁側に寄ってゆく小春とは縁側にさすあたたかな小春の日ざしであろう。いい情景だ。こんな縁側で座布団を敷いてうつらうつらしてみたい。句集『春風』(ふらんす堂)から引いた。 そして今日の「増殖する歳時記」は、三宅やよいさんによって、押野裕句集『雲の座』より。 休日出勤冬木の枝の燦々と 押野 裕 あさっては勤労感謝の日。「勤労を尊び感謝する日」が土曜日と重なっているけど、休日出勤の方もいるかもしれない。皆がのんびりしている休日に電車に乗るといつもは混んでいる時間帯も座れるぐらいすいている。向かいの窓からは冬木の梢が凛と輝いて見える。「休日出勤」と言っても平日に代休がある出勤と普段の仕事が片付かないで休日に出てやるのを余儀なくされるのではだいぶ事情が違う。後者の場合は、下手をすると休みなしで連続して仕事をしないといけないわけで、冬木の枝が輝くのを見ている心持も嬉しいとは言えないだろう。そう思うと「燦々」と輝く冬木と鬱屈した気持ちとの対比がより際立ってくるように思う。『雲の座』(2011)所収。 ところでこの「増殖する歳時記」の管理人である詩人の清水哲男氏は、転倒しケガをされたようだ。 昨日のそのことを書かれていた。 くれぐれもお大事になさってくださいませ。 ご快癒をお祈りもうしあげております。
by fragie777
| 2013-11-21 19:30
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