カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
10月9日(水)
今日持ってくる筈の本を忘れてしまって今スタッフから叱られている。(そんなに怒らないでよ) ふらんす堂通信138号で書評されている句集なのだが、ふらんす堂刊行書籍ではないので家の書棚にあるのだ。引用が正しくされているか句集にあたるために持ってきて欲しいとPさんから言われていたのである。 今朝、歩いて出勤途中に携帯が鳴った。ふらんす堂からだ。 「句集、持って来ました?」とPさん。 「あらっ、忘れちゃった。もう歩いている途中だから明日にして……」と電話を切った。 ついさっき、「明日こそは忘れないでください」とPさんからきつく念押しされたのだ。 「わかったけど、忘れないためにどうしたらいいんだろう」と言うと、 「手に書いておくといいんですよ」 「でもね、お風呂に入ったら消えちゃうじゃない?」 「手に書いて、家に帰ったらそのメモをみて、すぐにバッグに入れるんですよ」とPさん。 「ああ、そうね」 とわたしは納得してみせたものの、フン、絶対手になんか書かないからね。この美しい手(?)をボールペンのインクで汚したくないもんね。細胞が老化しつつあるから、消えないで残ってしまうかもしれないじゃない……そんなことになったら、おお大変!と心のなかで呟きながら携帯の予定表に句集名をメモったのだった。 果たしてわたしは明日忘れないでその本を持って来られるだろうか……。 新刊句集を紹介したい。 大塩千代句集『八千草』(やちぐさ)。 著者の大塩千代さんは、俳誌「狩」(鷹羽狩行主宰)同人、66歳の時に「狩」に入会し今年で86歳を迎えられた。およそ20年間の句を収録、帯文と「鑑賞三句」の文章を鷹羽狩行主宰が寄せ、跋文は若井新一さんが書かれている。また最初のページをかざる和紙に書かれた美しい序句は、鷹羽狩行主宰よりのもの。 風の出て千草たちまち八千草に 狩行 著者の名前と句集名を詠み込んだ序句である。 山茶花や使はぬ井戸の水溢れ 井戸水で生活していた昔から井戸を見守ってきたかのような山茶花。 神饌の貝の舌出す海開き おごそかな神事の最中に「舌出す」とは何事ぞ、と思わせるユーモア。そのほか身近な日常生活の中に詩を発見し、まことに風土色ゆたかな一巻。 帯文より一部を紹介した。新潟の柏崎市にお住まいの著者の大塩千代さんは、実は5年前に句集刊行を決意されたのだが、柏崎沖を震源とする強い地震が発生し大きな被害に遭われたのである。独り暮らしで家を修復をし、その上近くにすむ90歳のお兄さまの世話までがふりかかり、句集の刊行をあきらめたのだった。 何もかにも要らなくなり、すべてのものを打ち捨てたくなりました。実際様々な物と楽しみを捨ててしまいましたが、句帖と電子辞書だけは、捨てきれず残りました。 と「あとがき」にある。そして、 十数年来使い続けている電子辞書は、娘婿からの贈り物。今は壊れて二代目に代わっていますが、季題の引き方を手取り足取り教えてくれた、思い出が詰まっています。この義理の息子は、震災発生の翌日には、子等ともども、たくさんの食料・水と燃料を積んで、東京から駆けつけてくれました。余震のたびに幾度も懐中電灯片手に暗闇の庭に飛び出しましたが、「狭いけど家の車で一夜を明かしませんか」と助けの手を差し伸べてくれるご近所がいました。人の世で一番大切なものは何かを改めて教わりました。再び句集をまとめる決意をしたのは、子等の強い勧めがあってのことですが、昨年、小学二年のひ孫が、こんな俳句を書き送って来て、大きく背中を押されました。 くりをやくはねてあぶないあいたたた 穂高 読み難い漢字にルビを振ることを望んだのは、このひ孫にも読んでもらいたかったからです。 周りにいる人々の厚意にささえられて、この度の句集の刊行を再び決意した経緯が語られている。 縫取りの花を増やして夜の長き 鮟鱇の腹を反して売られけり 栄転といふ別れあり桃の花 潮焼けの畳拭きあげ夏の果 雁や紺引きしまる裏の海 立冬や沖より増ゆる兎波 老鶯や田よりも低き峡の村 大仏の螺髪を蹴つて寒鴉 しぐるるや駆込み寺へ男傘 稲の穂の九十九島の波となり 「狩」の新潟支部長である若井新一さんは跋文のたくさんの句をとりあげ丁寧に鑑賞し(上記のものはその一部)ている。大塩さんを深く理解するお一人である。 俳句を詠む人は、一般的に次第に作品の振り子の幅が狭くなってくる。しかし、千代さんは還暦を過ぎてこの世界に手を染めている晩成型なので、まだまだ句の幅も存分に広がる余地を残している。俳句が大好きで生き甲斐というだけのことはあり、汲めども尽きぬゆたかな詩的な心を具備しておられる。これからも千代さんらしい、手垢のつかない意欲作を発表していただきたいと願う。 くちびるに触れることなき雛の笛 巣燕やまだ表札のなき新居 ガス灯の運河に映る涼しさよ 登校の靴よろこばす初氷 旅鞄さげて茅の輪をくぐりけり 郭公や学校田に水張られ 終戦日ひとりに余る飯を炊き 露けしや夫の遺品に軍歌集 盆梅の花より白き産着縫ふ 鶯や遺影に窓を開け放ち 初蝶をこぼして行けり花売り女 おはじきの散らばつてゐる夏座敷 正論はときに叩かれほととぎす 避難所の窓に嵌(はま)りし盆の月 代田みな満天の星宿しをり 校長が七夕竹を担ぎ来る 水温む抱き上げて鯉移しけり いくとせを夫より生きて星祭 村中が嫁を見に出て豊の秋 なみなみと水張る風呂や原爆忌 「原爆忌」の句でこの句集は終っている。句集を拝見していくと幾たびかの転勤はあったとはいえ、どこか懐かしい田舎の日常の風景が浮かびあがってくる。海が見え島が見え田圃が見え人々の暮らしが見える。村の共同体社会がまだ健全にある生活だ。しかし「また一戸減りたる村の鯉幟」となりつつある、そういう状況ではある。村落に共に生きることのおおらかさと安心感が読者にも伝わってくる句集である。戦争体験があったものの、地震被害という辛い体験をされてはいるものの、戦後の良き時代を生きてこられた著者であったことを思うのである。これからの時代、わたしたちにこういう牧歌的共同体への信頼感のようなものがまだ残されているのだろうか。 さて、この句集の装丁は君嶋真理子さん。 今の季節の刊行にふさわしい一冊となった。 扉も見返しも和紙風の用紙を用いてしっとりと仕上がった。 句集が出来上がったときに鷹羽先生より電話があり、「きれいな本になりましたね」と言われたときはとても嬉しかった。 さて、わたしの好きな一句は、というよりは心を動かされたのは次の一句である。 平凡に生きて南瓜の蔓たぐる この句には著者の充足した顔がある。 「平凡に生きて」ということをごく自然にうべなっている顔だ。 充足しながらもなお生活者として前向きに生きていこうとする著者がいる。 良き時間を人々と共有し、良き時代を生きてきた人の顔、 そう、思える。
by fragie777
| 2013-10-09 20:10
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||