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9月13日(金)
田中裕明賞の応募句集を胸をドキドキさせながら待っている日々である。 昨年は候補句集が多く、選考委員諸氏が大いに喜びまた大いに頭を悩ませるものとなった。 今年は応募句集が来はじめているが、いまのところ数があまり多くないのが淋しい。 第五回田中裕明賞は、今年の12月31日までの刊行書籍が対象となります。 若き俳人の皆さま、 今年中に刊行すればまだ間に合いますので是非に積極的にご応募くださいませ。 わたしは第一句集にはその作家のすべてがあると思っている一人であるので、第一句集はとても大事だと思う。とりあえず刊行する、あるいは言われるままに刊行するのではなく、作家としての最初の大きな一歩として、充分に熟慮しながらも自身が意識的に決断して欲しいと思ってます。 皆さまの果敢なるご応募をお待ちしております。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」に、坂本茉莉句集『滑走路』の作品が紹介されている。 泳ぎゆく我も一点海の碧 自分も青の粒子の一粒。海で泳いでいるとそんな感じがするというのだが、そのとき視点は上空から海原を見おろしている。人間の視点は何も肉眼だけにあるのではなく、心のままに自在に移動する。すでに過ぎ去った夏の句。 今日届いた「俳句あるふぁ」10・11月号に、ふらんす堂刊行の書籍が二冊紹介されている。 まず、後藤比奈夫著『句作り千夜一夜』。 本書は「ホトトギス」で活躍した俳人・後籐夜半を父とし、自身も齢九十を越えてなお精力的に活躍する著者が、若き日の自分と俳句についての方法を惜しみなく語った俳話集である。話題は多岐にわたると共に、エッセイに並んで二本の講演録も掲載されている。「俳句の中のこころ」では、俳句における「物と心」を、「むづかしい慶弔俳句」では、「存問の詩」としての俳句をそれぞれ語り、俳句の進むべき道をさりげなく提示している。俳句界の「最後の粋人」の精神と軽快な文章のなかに、俳句の魅力と奥深さが窺える、読み応えのある一冊である。 もう一冊は、岩岡中正著『子規と現代』。 本書は第十一回山本健吉文学賞評論部門受賞の『虚子と現代』に続く評論集。正岡子規の生きた近代を通して、行き詰った現代の回帰すべき「近代性」について考察した一書である。ここで考察される主役は子規よりもむしろ「近代」という時代そのものである。「本書のタイトルは、今のこの現代においてなぜ『近代』か、という現代の視点から子規の近代の現代的意識を論じたので、『子規と近代』ではなく、『子規と現代』とした。」(あとがきより)子規が体現する時代のエネルギーこそが、「近代後の再構築」のヒントになるというアイデアは、閉塞した現代にひとつの風穴を開けてくれるかもしれない。 船団の週刊ブックレビューにて、武馬久仁裕さんが、星野繭句集『木の家』を紹介している。 清新な感覚が私を魅了する。例えば、草田男忌という言葉を生かした「夏の画に青き馬立つ草田男忌」。夏の画に描かれた「青き馬」は、「青き馬立つ草田男忌」と書かれることによって、夏の画から抜け出し「草田」に立つ生きている馬となる。少年期の瑞々さを感じさせる象徴的な一句である。またドラマの始まりを予感させる「冬凪へ男は鍋を下げてゆく」も味わい深い。 新刊句集がつぎつぎとあがってきている。 来週はそれらを紹介したいと思います。 この土日はちょっと肉体労働をしなくちゃならないのよ。 老体に鞭打ってさ。 あんまり頑張りすぎないようにはするつもり。 愛猫のヤマトがひどく心配するからね。 眠れない夜もヤマトがわたしの横にぴったりといて(日向子は足元)、わたしが起きあがるといっしょに起きて心配そうな様子。 だからヤマトは地球上の生物になかで一番わたしを愛してくれる生き物である、とわたしは思っている。 だからといって短絡的にわたしの回りの人間の愛情を推し量るなんてことはしないつもりだけどね。 (愛情とはきわめて複雑なものでございます。) ああ、でも 愛おしいヤマト。
by fragie777
| 2013-09-13 18:49
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Comments(2)
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