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9月2日(月)禾乃登(くわすなわちみのる)
![]() 今日は黒のTシャツに木綿生地のしなやかな素材のロングスカートをはいて出社した。 このロングスカートには魔法がかけられていてこれを穿くとだれでも大人の女に変身できる、というもの。 身体にぴったりとフィットし前方に深くスリットが入っていてそれを覆うようにたっぷりのフレアーが不可解なままあって、実はこれがこのスカートの魔力でそのドレープが長いロングドレスを纏ったような感覚になるのだ。 色はうす茶なので派手ではないのだが、身体のラインをきれいに見せる。そして風がふくとフレアーが優雅にそよぎ膝上あたりから脚がすらりと見えるという寸法なのだ。 脚の造作には関係なく、おしなべてきれいに脚をみせるのが魔法その二。 だからね、今日は網タイツなんぞを穿いてしまったぞ。 しかし、この網タイツ、ここだけの話だけど、お尻のあたりの網がすでにほころび穴が開いているのだ。穴のあいた網タイツなんていただけないけど、ほかは破れていないので、みえやしない、かまやしないわって思って澄まして履いている。 そこだけ大きな網目だっておもえばいいわけよ。 だからヘイチャラなyamaokaである。 今日もくだらないことを書いてしまった。 さっ、 これからは真面目に新刊紹介をします。 染谷秀雄句集『灌流』(かんりゅう)。 ![]() 第二句集である。平成5年から24年までの20年間の作品を収録してある。長い年月にわたって作られた作品を厳選したものである。 句集名については、「あとがき」に次のようにある。 句集名は集中の〈佐久鯉の池の灌流油照〉による。鯉の養殖池には絶えず水が留まることなく灌がれ巡っている。灌流は季節が巡るということにも通ずるものがあり、好きな言葉だ。自分自身も留まることなく精進してゆきたいと思っている。 「灌流」を広辞苑でひくと、「そそぎ流れること」とあるのみだ。しかし、「灌」という字のイメージからか、たっぷりとした水がはげしく流れこむ、そんな勢いを感じさせることばである。 この句集の題字を揮毫した山本素竹さんの題簽のすばらしさもあるのかもしれない。 わたしは、染谷秀雄さんの句集『灌流』を一読して、よどむことのない水の流れを即座に感じた。一句一句にリズムがあり、それがフットワークよく展開していく。 寒泉を浴びし鴉のしたたれる 荒鋤の田や隅々の薄氷 散らかして鎌倉山の松手入 花びらを踏んで来たりし座敷かな 尿前の雨をゆたかに栗の花 だんだんに豆腐華やか針供養 郭公のよく鳴いてゐる驟雨かな 夜濯や赤子のものをふんだんに 新宿に昼の月あり日記買ふ 分け合うてふたりのときを桜餅 月よくて羽子板市の灯は淋し つぎの風まではらはらと山桜 早々と赤子は眠る盆の月 読み進めていくと胸元を一陣の風が吹き渡るような爽快感がある。一句一句に速度があるのだ。次から次へとよどむことなく軽快に読ませていく。それは俳句の文体の力でもあるのだけれど、眼前のものを次から次へと活写していく訓練された目と心の力と言ったらいいのだろうか。 帯文を寄せられた師の斎藤夏風氏はこう記している。 『灌流』の俳句は、感性をのせながら対象にまっしぐらにつき進んで、もののあり様を射止めたものだ。そこには一片の虚構もない。純粋な感性の世界がある。直進する感動の世界とは、現場に立ってこそ得られるものなのである。 「直進する感動の世界」ということばにハッシと膝を打った。この句集にはまさによどむことなく直進する気持ちのよさがあるのだ。 次の句など、まさに物を直視し、なにもつけ加えていない。「湯豆腐」の句を読んで、わたしは久保田万太郎の名句「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」を思い出し、染谷さんの即物性に徹した句作りは久保田万太郎の句の対極にあるんじゃないかって思ったのだ。どちらが好きかっていうのはあるかもしれないが、こういう詠まれ方が当然あってもいいと思うし面白い。それが俳句のキャパシティーだ。定型のすごさだ。 湯豆腐や底の昆布が音をたて 向き変はるたびかたかたと扇風機 菖蒲田の踏みしところの濁りたる 澄むところ濁れるところ薄氷 転げたる露一滴の歪みかな 蚕豆の凹むところの濃かりけり 斎藤夏風氏がいうところの「一片の虚構もない」俳句だ。一瞬の現実を俳句で構築してみせたのだ。 私は初学の頃から吟行によって写生を学んできた。俳句においてこれまでやって来られたのも故山口青邨先生や、長きにわたりご指導頂いてきた「屋根」斎藤夏風先生のお蔭である。 「吟行によって写生を学んできた」ということは、いつも現場に立ってそこで句を作って来たということである。季節はめぐり万物は流転する、その過ぎゆくものをガッシとつかみとる。その対象への身心の勢いがそのまま俳句になったのだ。 流れはじめて一気に長く花筏 祖母山も傾山も粧へり 餅搗の仕舞ひの湯水流れけり みんみんは遠し近くの法師蟬 絡みたるものも枯れたりさねかづら 上弦の月の高さや松納 その影の揺らぎ小さく蝌蚪生まる 見事なまでに余計な感情を排した作品群。 軽快にして上質な調べがある。 まことに外連味のない句集だ。 この句集の装丁は君嶋真理子さん。そして題簽は先にも書いたように山本素竹さん。 染谷さんは、この題簽の山本素竹さんの字をひどくよろこばれた。 味わいのある字なので、君嶋さんに大分苦労をかけた。 しかし、いい一冊となった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 風格のある一冊となった。 さて、わたしの気になった句はこれ。 包丁を研ぐ日の桜吹雪かな 桜吹雪のなかで包丁を研ぐ、なにやら不穏な空気がただよう。 実は、この句を読んだとき、かつてずっと昔に観た映画「桜の森の満開の下」を思い出したのだった。坂口安吾の小説を岩下志麻主演で篠田正浩が監督したものである。 岩下ふんする妖怪の怖~い女が登場するのだが、彼女が包丁をといでいたかどうかは忘れたが、男の首を欲している女だから、包丁はきっと登場しただろう。いや、わたしには、張りつめた満開の花の下で包丁を研いでいる女が映像としてどうしたも迫ってくる。すごい桜だった。そして桜吹雪のなかで女はみにくい老婆と変わり果てていく。 これはあくまでわたしの記憶のなかの映画のシーンだ。 映像が強烈だったのと、桜の花は人を狂わすのに充分な何かがある、とその時に思ったのだ。 包丁と桜吹雪、 おお、こわっ!
by fragie777
| 2013-09-02 20:20
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