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8月22日(木)
![]() 歌手の藤圭子の訃報に驚いている。 藤圭子、と言ってもこのブログを読んでいる人たちはどのくらい知っているだろうか…… 宇多田ヒカルの母親ということのほうがわかりやすいかもしれない。 大学を学園紛争が荒れ狂うころ、日本人形のような美貌の演歌歌手・藤圭子は鮮烈にデビューした。 彼女はまだ、10代の後半だったのではないだろうか。 はかなげにしかしコブシをきかせて女の恨み節を歌った。 それは腸に沁み込んでくるようだった。 「夢は夜ひらく」「新宿の女」「京都から博多まで」などなど、わたしは彼女にぞっこんだった。 わたしもまだ10代後半、ニキビ面の珍奇な姉ちゃんが藤圭子の世界に魅了された。 LP版のレコード「藤圭子ベストアルバム」を買って何度も聞いた。 わたしは、夜の蝶でもなければ、酒場に働く女でもなかったけれど。 下宿に置かれた蓄音器とよばれる安いしろもので、わたしは藤圭子を聴き、ビートルズを聴き、名優ジェラール・フィリップが朗読するところのサンテグジュペリの「星の王子さま」を聴いた。 その頃、学生街の高田馬場には「あらえびす」というクラッシックの名曲喫茶があった。 「あらえびす」という名は、「銭形平次」の作者野村胡堂の別名であるということだった。 そこには真正面に一階と二階を貫くような形でそれは大きなスピーカーが置かれていた。 そのスピーカに向かってすべての席は教室のように向けられており、一人に一卓、おしゃべりをするところではなく音楽を聴くところだった。 一杯のコーヒーで何時間いることも可能だった。 膨大な数のレコードが揃えられており、客はそれをリクエストすることができた。 バッハが圧倒的な人気だったように記憶する。 リクエスト曲はスピーカーの傍らの小さな黒板に白墨で記された。 「音楽の贈り物」、「ブランデンブルグ協奏曲」「G線上のアリア」等々、ブラームスも、もちろんモオツァルトもよくかかった。 わたしは下宿では藤圭子を聴き、クラッシックはこの「あらえびす」で聴いた。 授業をさぼって、「あらえびす」で過ごした時間も少なくない。 いまは跡かたもなくなってしまった「あらえびす」であるが、この喫茶店のひんやりした暗さや独特のにおい、そこにいた人たち(ほとんど学生だった)の気配をいまでもよく覚えている。 わたしにとってモオツァルトも藤圭子も最高だった。 どちらも深く悲しみを湛えていたのだ。 わたしはヒヨッコでまだ人生の悲しみがどんなものであるかも知らなかったけれど、こういう悲しみが確実に存在するんだということを、その音や声を通してある絶対的な感触のようなものにふれたように思った。 10代後半のネエチャンをとりまくあらゆるものの混沌のなかで、藤圭子の歌は、彼女のまっすぐな眼差しのように、わたしの内面を貫いたのだった。 ひさしぶりにLPレコードをかけて、藤圭子をしのびたい。 昭和の高度経済成長のかげで、多くの涙をながした女たちの代弁者として藤圭子はある。 黙祷……。
by fragie777
| 2013-08-22 18:34
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Comments(2)
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