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8月2日(金)
銀行へ行く途中出合ったもの。 実はこれは氷柱(花のない花氷)である。 きれいでしょう。 パチンコ屋さんの店前に置かれていたもの。 氷にカメラをできるだけ近づけて撮ってみた。 仙川商店街は、昨日から「仙川祭り」で、商店街はいつもに増して賑やかである。 こうして仕事をしている一日中、東京音頭が頭の上を旋回していた。 今日のイベントは「阿波踊り祭り」らしい。みな阿波踊りをしながら、仙川商店街をぬって行くのだ。 わたしも早く仕事を終えて、阿波踊りの輪に加わるんだ。 ♪♪ えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損……♪♪ と唄いながら手拭を頭に巻いて、踊りの輪に加わって行き、それはもう踊り狂うんだ。 というのは、わたしの切なる願望で、実はyamaokaは極度の恥ずかしがり屋なもんで、絶対それは無理。 ただただぼおっとして見ているのみに終るだろう。 新刊句集を紹介したい。 須田真弓句集『父恋』。 著者の須田真弓さんは、俳誌「天為」(有馬朗人主宰)の同人で、この句集が第一句集となる。序文は有馬朗人主宰が寄せている。 著者の須田真弓さんには、わたしは個人的にとても親しさを感じている。というのは、須田さんのお住まいの秩父はわたしの郷里でもあるのだ。この句集に詠まれた多くの自然はわたしにも親しい自然である。だからとても懐かしい。 甚五郎の龍の青さや冬深し たとえばこの句であるが、序文で有馬主宰も取り上げておられ帯にも使用した一句だが、これは秩父神社本殿に左甚五郎によって彫られた「つなぎの龍」のことである。左甚五郎とは江戸期に活躍した彫刻師だ。なにゆえ「つなぎの龍」と呼ばれるか、それは小さな頃に聞いた記憶によると喉が乾いた龍が空を飛んですこし離れた「すがたの池」に水を飲みに行くという、そこで鎖でつなぎとめたというのである。まだ小さかったわたしは夜空をとぶ龍を想像して胸をふるわせた。一目でいいからその姿を見たいものだと思ったのだった。(しかしその説はどうやら違うようだ) ともかくも秩父神社はわたしの実家から歩いて3,4分のところであり、もちろん龍とも親しい間柄だった。須田さんにとっては今もこの龍は身近であり、わたしにとっては故郷のロマンである。 ほかに、 梅ひらく古りし機屋の鬼瓦 ジョギングの立ち寄る札所御開帳 駅毎に蟬の声乗る秩父線 運動会秩父音頭で果てにけり 秩父盆地の真中に一人夕涼み 囃し手の腕きびきびと雪催 秩父夜祭灯を継ぐ役の小走りに ここに詠まれている風景はかつてわたしが見た風景だ。須田さんにとってはすべてが今の現実であるが、わたしにとってはすべてが心のなかにある風景である。 須田真弓さんは、もしわたしが秩父にとどまりそこで生活をしたとしたらきっとあるいはそうなっていたかもしれぬもう一人のわたしのようにも思えてくる。 真弓さんの句の特徴を幾つか挙げてみよう。第一に秩父市に生れ秩父で育ち、秩父で高等学校の教師として活躍しているという、根っからの秩父っ子であることである。心から秩父の風土を愛している。(略)真弓俳句の原点でありその活躍の中心は何と言っても秩父なのである。 有馬朗人主宰の序文から引用したが、根っからの秩父っ子である須田さんのもうひとつの顔をこう紹介する。 この点を強調した理由は、真弓さんが英語の教員であり、しかもジェーン・オースティンを卒論の対象に選んだという才媛であるからであると書いている。ジェーン・オースティンと知りさらにいっそう親しさをわたしは須田さんに感じてしまう。人間心理にたけたこの英国恋愛小説はわたしの愛読書の一つだ。小説をいろいろと読み漁り映画を観ドラマを観てオースティンの世界を楽しんだ。秩父盆地で英語の先生をなさりながら心のどこかにジェーン・オースティンの描いた世界を住まわせている。そういうことが素敵だ、ってわたしは思うのよ。 さて、この句集名は「父恋」。亡くなったお父さまへの思いの深い句集となった。 寒林より覗く青空父のゐて 父の横顔ばかり見てゐる終戦日 父逝くや窓辺に揺れる夏帽子 納屋に置く青蚊帳父の匂ひして 遠雷や覚悟無きまま逝きし父 棺いま朝顔の道下りけり 父の影大きくなりぬ金魚掬ひ そして英語の先生の日々がある。 学校の廊下直線夏来る 木の実降る吹奏楽は空に抜け 蛇穴を出でて学級減となり 自転車を漕ぐ麦秋の風となり 生徒らに小春を問ひて眠くなる きっといい先生なんだろうなあって思う。 俳句を始めて物事を客観的に見られるようになり、少し人間としての幅が広がったような気がします。また、句作のため旅に出かけ、未知の世界に触れる事が出来ました。何より仕事以外に打ち込めるものができ、相乗効果として仕事もより意欲的になりました。これからは秩父の風土を新しい視点で、より深く詠んでいきたいと思っております。また、英語の教員ですので、英語の俳句にも挑戦し、残り少ない教員生活の中で、生徒にも英語の俳句に触れさせたいと思っております。この句集を次なる一歩の道標として、精進して参ります。 「あとがき」の言葉である。わたしの郷里に須田真弓さんのような俳人がおられるということを知り、すこし遠ざかっていた郷里が再び親しいものに思えて来た。 この句集は「父恋」というタイトルであるが、須田さんはカバー表紙にどこか秩父らしいものを表現したいとご希望された。 秩父の山は片栗の宝庫であるとつねづねわたしの母が言っていたことを思い出し(わたしの実家にも片栗の花は咲くので)、片栗の花をあしらったらどうですかと提案したのだった。そしてブックデザイナーの君嶋真理子さんがそれに挑戦したのである。 そして母のいないわたしの実家にも母が愛した片栗の花は毎年ひっそりと花をつけるのだ。 この句集中、もっともわたしの好きな一句はダンゼンこれ。 バージニアウルフ気取りて薔薇を買ふ 狭い田舎の秩父盆地のなかでいったい誰がバージニアウルフを気どって薔薇を買うだろうか。 いままではそんな人はまずいないって思っていた。 わたしが少女だったころ、赤毛のアンを気どって麦わら帽子をかぶっていた以上に、カッコいいぞ。 バージニアウルフ気どりは。 薔薇をかかえた須田真弓さんはきっと崇高でバージニアウルフのように気品があったことでしょう。 実は明日わたしはその秩父に帰る予定である。 もうずい分帰っていない。 帰れば温かく迎えてくれるところはあるのに……。
by fragie777
| 2013-08-02 18:24
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