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6月12日(水)
歩いていたらフッといい匂いがした。この辺に杏の木があるはずと思い見あげるとあった。 そしてきっと実が落ちているはずとおもったらやっぱり落ちていた。 まず写真に撮ってから拾って匂いをかぎながらしばらく持ち歩いた。 手の中の杏はひんやりとして気持ちがよかった。 細見綾子句集『手織』(石田郷子編)を、著者権者の澤木くみ子さんにお送りしたところ、お葉書をいただいた。澤木くみ子さんは、細見綾子の一人息子・太郎氏の奥さまである。太郎氏は2011年の夏に急逝されている。 細見綾子句集『手織』、いい本を作ってくださってありがとうございました。知っている句も知らない句も石田郷子さんに選ばれただけあって、しゃんとした美しい句だと思いました。太郎のことを書いて頂いた解説には泣きました。義母と太郎が生きていた証しが世に出て残っていくことが嬉しくてたまりません。 「解説」で太郎さんにふれた一節は末尾にあるもので、石田郷子さんが入れるかどうかちょっとためらったものだった。しかし、それは石田郷子さん自身が思う以上にいい文章でとりわけ印象的な箇所である。わたしはためらわずそれを入れたいと思ったのだった。 そこでわたしたちは細見綾子という俳人の体温にふれ、明るい眼差しに出会うのだ。 細見綾子の俳句を読んでいて、わたしは「遠さ」ということを思った。 距離においても時間においてもである。永遠ということを宿した「遠さ」である。 百里来し人の如くに清水見る 石蕗を見て何見て千鳥なき過ぎん (人遠し) 藤はさかり或る遠さより近よらず 鶏頭を三尺離れもの思ふ 夕方は遠くの曼珠沙華が見ゆ 峠見ゆ十一月のむなしさに 今ぬぎし足袋ひやゝかに遠きもの 白蝶々飛び去り何か失ひし 寒卵二つ置きたり相寄らず 子を抱いて山の煙は子に見えず 近づきて遠ざかる時冬夜の汽車 つひに見ず深夜の除雪人夫の顔 讃美歌と棗冬木とかかはらず 仏見て失はぬ間に桃喰めり 女身仏に春剥落のつづきをり まんさくは煙りのごとし近かよりても 見尽せず知り尽せざる花野かな 再びは生れ来ぬ世か冬銀河 郭公は昨日もなきて今日遠し 決して交差することのない永遠の距離、近づいても得られない「遠さ」だ。 この「遠さ」によって細見綾子の心の核にふれたように思ったのだった。 栞は作家の長嶋有さん。長嶋さんは俳句もつくる方だ。 「不思議な新しさ」というタイトル。 「材ではなく」「ものの見方や捉え方が新しく感じさせる」と書く。 「大抵のものは出た最初から新しくないか、常にずっと新しいかだ」という一節にはドキリとする。 細見綾子の作品に真っ向から向き合って書いてくださった栞文である。 細見綾子の俳句は、どれも温かくもの柔らかい表情をしている。時には字余りや破調、口語などを用い、表現の高みよりもその手触りを大切にして、親しみのあるやさしい言葉で綴られている。誰もが指摘するように、純朴で無造作にさえ見える。このように俳句を作ることを、易しく思う人もいるだろう。しかし、綾子俳句は亜流を寄せつけない。その代表作のいくつかを眺めてみても、綾子の系譜というような俳人すら思い当たらない。 石田郷子さん解説の冒頭の部分である。 細見綾子という俳人の本質をよく見据えた文章であると思う。 俳人石田郷子の編集で細見綾子精選句集を刊行したいという長年の思いが実現した『手織』の刊行となった。 そのことをわたしはひそやかに喜びたいのである。
by fragie777
| 2013-06-12 19:48
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Comments(2)
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