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4月18日(木)
今朝仙川商店街をあるいているとき、サッと目の前をよぎるものがあった。 ウウン… 何? 燕だ! 初燕である。 商店街の店の軒先に立ち寄っては、子育てをする場所を物色している。 今年ももうそういう季節になったのだ。 残念ながらふらんす堂には燕に提供できるような軒先がない。 しかし、商店街をあるく楽しみがふえたというものである。 酒屋にも洋食屋にも燕かな 橘いずみ (句集『燕』より) 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、『春 川崎展宏全句集』より。 其角忌と角々(かどかど)しきもさすがかな 去来、丈草、凡兆、其角。芭蕉の門弟の俳号はいかにもその人らしい。其角はキカクとすべてカ行の音。この鋭角的な音の印象が才気あふれ、派手な句作りを好んだ人柄を表している。死後、その名に忌がつく。これもまたカ行の音。 この作品は、句集『冬』以後の作品である。 最近わかったことなのであるが、靴のサイズというものがいかに微妙なものであるかということ。 先日先の尖った靴をはいて歩きまわった結果、えらく難儀な拷問にも等しい苦痛を味わったということを書いたのであるが、じつはこの靴、このところよくはいているのである。少し遠出をした時も全然痛くもなかったのだ。 あの日のみ、わたしは天罰をうけているかのように靴にしめつけられたのだった。 どうしてだろう……? わたしはわたしの足に聞いてみた。 すると、 わたしの足が語ったところによると、 それはこういうことらしい…。 その時に身に付けていたストッキングの厚さが原因だったということ。 言われてみれば、あの日は少し厚手の黒のタイツを身につけていた。 それ以外の日は、いわゆる薄手のストッキングだった。 う~む。 しかしその差は、1ミリもないものである。 (わかるでしょう。) 実は今日もその靴をはいてちょっと出かけた。 薄手のストッキングで。 痛くない。 ここまで何足と言う靴をわたしははきつぶしてきただろう。 そして、今知った真実。 先のとがった気どった靴。 わたしの不格好な足もやっと受けいれてくれた靴。 この気むずかしい靴をはくためにわたしは黒の厚手のタイツ(わんさかとある)を箪笥のおくへおくへと封じ込めたのだった。
by fragie777
| 2013-04-18 19:12
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