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3月16日(土)
![]() 郊外を歩いていて今戻ったところである。今日は良い天気となったがいったい寒いのか暖かいのかよく分からず、家を出るときにコートを3回ほど取りかえ、すこし薄手のコートにしたのだけれどド派手なマフラーを首にぐるぐる巻き付けて出かけたのだった。 向こうからやってくる人たちがわたしの顔をチラリと見てそれからマフラーを見ていく。 (おいおい、そんな見るんじゃないよ、マフラーがそんな珍しいかい。それともわたしの顔かい?) という風なふてぶてしい顔つきをしてわたしは澄まし返って歩いていた。 しかし、これは派手なマフラーに呑まれてしまったわたしの自意識過剰さで、すべては春の夢のようにあわあわと人も風もわたしの傍らを過ぎていったのだった。 馬鹿な女よね……。 約束通り新刊紹介をしたい。 合同句集『あかね』。 ![]() 東京女子大を卒業した方たちが40年間つづけてきた「あかねの会」の合同句集である。 私家版なのでオンラインショップには載せていない。 初期の指導者は今井つる女、つる女亡きあとは今井千鶴子さんが指導を継承されている。 母つる女と二人で出来たばかりの’72年館へ月に一回句会をしに通い始めて、既に四十年になるそうです。この前の句集をまとめてからでも二十年、色々のことがありました。当初のメンバーは大先輩方が多く、四十代の私は小さくなっておりました。ずっと一緒に通い続け俳句を指導してくれた母は、平成四年、九十五歳の長寿を全うして亡くなりました。残った私もだんだん年をとり、今や長老の年齢。それでも楽しみに通って毎月句会をしております。 今井千鶴子氏の序文からである。40年間続けて来たというだけでも凄い。 35人の方が40句を以って参加しておられる。 人にはいろいろの生き方がありますが、誰にでも言えることは、自分の立場で出来るだけ前向きに生きること。何でも俳句に結び付ける、と悪口を言われそうですが、私は「自分の言葉で、自分のために、自分の感性で俳句を作ること、迎合しないこと」をモットーに、生きられる限り俳句を作って、生きて行きたいと思っています。あかね会の仲間達。それぞれ自分の立場にしっかり立って生きて下さい。立てなければ、腰掛けていても結構、生ある限り月に一度、仲良く俳句を作りましょう。がんばりましょうね。 90代の方が二人、80代の方七人、70代、60代と高齢化はしておられるようだが、皆さんとてもお元気である。 きらきらとつめたき春の立ちにけり 今井千鶴子 図書館の一人ひとりの冬灯 吾妻規子 千枚田昼顔ひそと咲きにけり 荒屋則子 ものの芽の未だ動かず上野山 飯島早枝子 赤のままひとり遊びの茣蓙広し 石川悦子 落葉踏む昨日とちがふ音たてて 猪野佳枝 振り返るとき梅の香のありにけり 内田保子 夏山を吹き来し風の中にあり 内山章子 一葉の名残の井戸や路地師走 大瀧祐子 飯桐の実の高さより秋の空 亀田京子 睡蓮の目覚めぬ一花ありにけり 川西英子 団栗の軽く弾みて女坂 岸田喜久子 冬耕の人まばらなり薄日射す 城戸喜子 安房の海見ゆる暮しや蕨餅 齋藤澄子 白鳥の影のやうなる鴨のゐて 榊原精子 トマト買ふ赤の中より赤選び 坂口祐子 夫逝きてひとり銀座の初時雨 坂本初子 石鹼の匂ひ広がり春浅し 佐藤征子 木蓮の白冴え冴えと咲きにけり 鈴木富美子 葱下げて銀座路地入る男かな 関戸美砂子 夕焼や我ら小さく小さくて 田中道子 水引の紅がからみし木戸をあけ 鶴田敦子 虚子像に低き風あり鴨足草 鳥山一枝 立葵昔ながらの餅菓子屋 永田まり 枯菊は枯菊なりに潔く 萩原菱子 村ひとつ音の消えたる冬籠 半田公子 今日の我れ明日より若し夏の雲 比毛悦子 送り火を焚いてしばらく風にゐる 三田村玉枝 小春日にらくだの長きまつ毛かな 三村徳子 ねむの葉の揺れて八月十五日 村田久子 風ぐせのうねりとなりぬ野水仙 柳原厚子 短日や話さぬままに別れきし 山喜多三枝子 鎌倉の人の流れも十二月 山本陽子 降り出して葉毎に違ふ梅雨の音 吉本洋子 あかね会発足からもう四十年経つのだそうです。月に一度、同窓会の’72年館で行われる例会に出席するために、毎月毎月女子大に通って来ました。その、在学時代の何倍もの年月を振り返ってみますと、まことに感慨深いものがあります。長い間には、会員の出入りもありました。近頃は特に高齢化がすすみ、毎月の出席者は二十名位ですが、熱心な欠席投句者も多く、みんなで手分けし協力して三十名ほどの句会を守っているわけです。つる女先生が平成四年に亡くなられて、既に二十年、その後は千鶴子先生が熱心に指導してくださって、楽しく和やかに勉強させて頂いておりますこと、感謝しております。(略)これからも健康に気をつけて、楽しく俳句を作り続けて参りましょう。 吾妻規子さんの「あとがき」である。吾妻さんは大正のお生まれでもうすぐ90歳になられる。ふらんす堂よりかつて第一句集『去来』を刊行されている。 この度の合同句集を刊行するにあたって、編集委員の荒谷則子さんとともにふらんす堂に何度も足を運んでくださった。 この句集の装画は、メンバーのお一人である内山章子さんによるものである。軽井沢に咲く「ツリバナ」という花であると「あとがき」に書かれている。 ![]() ![]() ![]() 35人の参加者の方々の作品を紹介しながら気づいたのだが、皆さんのお名前に「子」で終る人が圧倒的に多いということ。わたしの名前も「子」で終るがいまや、女子に「子」をつける名前は珍しくなってきた。ちなみにふらんす堂でもわたしを入れてスタッフ6人のうち「子」で終る名前は二人のみ。わたしの世代はまだ「子」が多かったが、「子」が少なくなっていくのはいつごろからなんだろう。わたしの世代が親になると子どもに「子」を付けない親が増えてきた。その背後にどういう意識が働いていたのか……。また、女子の名前に「子」をつけるというのは、どういう時代背景があってそのような習慣になったのか、さぐって行っても面白いと思うが、「子」をつけることがあるいは女性差別につながるような意識が働いたのかもしれない。しかし、わたしは個人的には「子」のついた女子の名前は好きである。
by fragie777
| 2013-03-16 21:27
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