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2月21日(木)
青い屋根は厩舎。向う側に乗馬クラブがあって、馬がギャロップしていたりする。 この日の馬はみな厩舎の中にいた。 「馬ってね、すごく繊細なのね。だからそばで驚かすようなことをゼッタイしちゃいけないのよ」って、一緒にいた友人が言った。彼女はかつてこの乗馬クラブで乗馬をやったことがあるのだ。 (フーン、そうなんだ……) 厩の塀をとおしてかすかに馬の動きが分かる。 しかしあくまで静かにしていなくてはいけない。 わたしたちの姿がよく見えたりすると馬は興奮してしまい、餌を食べなくなってしまうらしい。 白馬もいる。 その白馬の目だけが現れた。まつ毛も白く優しい眼差しだ。 写真に撮ったのだけれど…… 「目」、分かります? 分からないわよねえ……。 だいたいあのヘンにあったのだけど……。 わたしにはあの優しい眠たげな眼差しが甦ってくる。 仕事が追い込みに入った。 校了までもう日数がない。 「間にあうんですか?」ってスタッフみんなが心配する。 「フン、間に合わせんのよ! どんなことをしてもさ」とわたしは鼻息が荒い。 「だいたいさ、わたしはさ、不可能を可能にする女なのよ」って胸をそらせてみせた。 スタッフたちは空いた口がふさがらない、と言う風に皆茫然とわたしを見ている。 「……周りにエライ迷惑をかけながらだけどさ……」と言って彼女たちのわたしへの批判の矛先をかわした。 (分かってんのよ。わたしがどんなに周囲に助けられているかっていうことをさ) スタッフたちは、呆れたように笑っていたけど、笑ったから、まっ、許してくれたかな。 しかし、絶対に間に合わすんよ。 今日のねんてんの今日の一句は、『季語別今瀬剛一句集』より。 春寒の闇の深さにガラス捨つ 『季語別今瀬剛一句集』(ふらんす堂)から引いた。闇に捨てたガラスの音がほんとうに寒い、という感じの句だ。その音とともに春の闇がいっそう深く感じられもする。 篠原資明さんから『空海と日本思想』(岩波新書)をもらった。「空海は、自己と宇宙との相互透入のうちに、こわばった自分へのこだわりを溶かし去ろうとした」という篠原の言い方に共感する。篠原のこの言葉に、たとえば子規の次の言葉を私は重ねている。「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造花の秘密が段々分かつて来るやうな気がする。」(「病床六尺」)。 「こわばった自分」っていうのが今のわたしにはよくわかる。 なにごとも「こわばって」しまうと、ダメだ。 「不可能を可能する」と息まいているyamaokaであるが、そこにおいても精神はいつもやわらかく鞣されていないといけないのである。 (へっ、言ってくれちゃうじゃない、って感じでしょ。言うことはタダだからさ、いくらでも言えるわよ) いま夜の八時をつげる時計が景気よくなった。 愛さん、緑さん、Pさんのスタッフたちもまだ残って一心不乱に仕事をしている。 みな、息まくyamaokaにつき合ってくれているのである。 ククウッ、 泣ける。 しかし、お腹も空き、もう帰りたくなっているヘタレのyamaokaもいる。
by fragie777
| 2013-02-21 20:19
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