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2月13日(水)
本がこんな風に無造作に積まれてちょっと小粋な感じでしょ。 ガラス張りで中がよく見えるのだが、カフェの一角がヨーロッパ貴族の書斎のようで、クラシックな洋書が詰まった本棚がズラリと並んでいる。 お客は古書の匂いがしてくるような趣のある部屋に迷い込みそいつしかソファーでお茶を飲んでいるということになる。 物としての本はどんどん簡略化されて軽装化されていく現代に、こういう古い洋書などを目にする機会があるのは嬉しい。それがカフェのインテリアだとしてもである。 明日は夕方出かける用事があるので、今日は頑張って新刊紹介をしたい。 伊藤敦子句集『野の光』(ののひかり)。 伊藤敦子さんは、俳誌「屋根」(斎藤夏風主宰)と「樹氷」(小原啄葉主宰)に所属し、「屋根」で新人賞を受賞された25年のキャリアのある俳人である。この度の句集が第一句集となる。 幾千の月の雫や花辛夷 春暖炉ぽつとポピーが開きけり オルガンの窓より続く麦畑 残り鴨ひかりの湖に遊びける 白鳥のさざめく光啄めり 最初から温和で純粋な人柄を作品のどこかに秘めた作風が印象的であった。人を押しのけて自己をひけらかす様な行動は一切見ることのない人で、その純粋無垢な作品は性格そのものであるようで、初心(うぶ)という言葉がぴたり合う詩情を備える人である。このことは写生という骨法を基にして俳句を詠む作家には一番大切なことで、これを自ら身に備えている人とも言える。(略)句には巧もうとする様な心は少しも感じられない。与えられた眼前の景をありのままに受容しようとする心根が基となっている。それは又作者の季語を通しての季節を描写しようとすることに通ずる。この受容という作句の姿勢も又敦子俳句の骨格の一つをなしているものだ。 斎藤夏風主宰の序文のことばである。 息災に父母今宵星月夜 爽やかに砂子のひかり般若経 故郷宮古は昨年の大災害で多くのものを失った。この句集はそれ以前の年迄に得た作品で終ってはいるが、現に生きる作者のひたすらな風土愛はまずこの句集を置くことで、災害への思いと、不屈なみちのく人に伸びる詩情への原点となるに違いない。 以上は斎藤夏風主宰の序文より紹介した。 「野の光」とは美しいタイトルだ。 ひそやかな祈りの心が伝わってくる句集名である。 伊藤さんは、岩手の盛岡にお住まいだが生まれは岩手の宮古市であり、宮古市は震災に見舞われたところである。ご実家は津波の浸水の被害に遭われたということだ。そんな故郷への思いもその句集名に籠められているのだろう、きっと。 白躑躅祖母の嫁入り道具かな 梅雨深し間口の狭き古本屋 木まんさく川面に光増えてきし 冬初め染糸にある野の光 クローバー子は泣き止んで輪に戻り 昨日とは違ふ道行く日永かな 農具小屋花かたかごへ傾ぎけり 春暁や駅まで父の背中みて 闇汁の底に鳴るもの掬ひたり 満天星の冬芽の光揃ひけり 亡き祖父の椅子は空けおく薄暑光 白鳥のさざめく光啄めり 魂のふしぎを語り十三夜 繭団子鯛と鮑は桜いろ 「野の光」という句集名が語るように集中「光」をまとったものがたくさん詠まれている。みちのくの自然の光に満ちている句集だ。「光」同様、「仏」のことばが集中の一割をしめていると書いておられるのは、跋文を書かれて葉上啓子さんである。伊藤さんと同郷の先輩俳人である。 見返しの阿弥陀三尊青葉光 敦子さんの勤務先は盛岡市にある岩手県立博物館、創立当初からの勤務である。大学で日本歴史学を専攻され、迷わず就職を希望された。それかあらぬか集中の約一割は「仏」の句で埋められている。しかし、またか、といううるささのないのは、夏風主宰が常に唱えておられる「現場立ち」の実践作句の故、また、句が昇華されているという配慮の表れである。また、歴史学専攻、勤務先の関係というばかりでない、敦子さんの敬虔なお人柄に由来するものと思われる。 葉上さんの跋文より紹介した。わたしたちが驚いたのは、次の跋文の文章である。 桐の花一畑ごとに閉伊郡 その家に女の子が生まれると、桐の苗木を植えるのは土地の慣わし。その子の嫁入り道具の簞笥を作る為である。一畑ごとの紫いろの初夏の風景、匂いもよく心が癒される。 そんな風習が東北の地にはまだ生きているのか。桐の木というのはまたなんと贅沢な。着物をしまっておくのに一番適した箪笥となるのが桐の木のものだ。しかしみちのくの地のあっちこっちにそう間をおかず桐の花を見ることができるというのはそれは素晴らしい光景だ。 「まず、桐を植える庭や土地がないとダメですよねえ」と担当の愛さんが言った。 「ホント、そうよねえ、マンションやアパート暮らしだったら叶わないことよねえ」と私も言ったのであるが、狭い庭があったところで東京暮らしでは叶わぬものである。しかし、著者の伊藤敦子さんはそういう地で生活をされているのだ。 俳句を通して季節の移り変わりや、命あるものの営みを丹念に見るようになると、今まで目に入らなかったものが、輝きをもって見えてきました。本句集は、俳句を始めて二十年間の作品の中から三九八句を選び、ほぼ年代順に収めました。改めて句を振り返ってみると、多くの句は、生れ育った緑豊かな岩手が舞台になっています。そして、巡る季節の中で、万物が折々に発する光に、私の視線が向いていることにも気づきました。そこで句集名を「野の光」としました。これまで季語の現場に立ちながら、心の琴線に触れたものを、平易な言葉に汲み取ることを心がけてきましたが、まだまだ自得するまでには至りません。この句集上梓を契機に心身をリセットして初心に帰り、新たな気持ちで俳句に向かいたいと思っています。 「あとがき」のことばである。 この句集の装丁は和兎さん。 このところちょっと和兎さん続きだ。 この本は手にしてもらうとその本の美しさがよくわかる。 斎藤夏風先生がお電話で、「ほんとに奇麗な本だねえ……」と何度も言われたのだが、わたしも出来上がってきたとき、「おお、美しい!!」と叫んでしまったほどである。 しかし、写真はもうひとつ。 でも紹介します。 (写真では少しもそれが分からん!!) この句集の装丁で、和兎さんはカバーの色校正を二種類いつものように用意した。緑とブルーの色のものとを用意したのだった。 わたしたちは全員と言ってよいほど、ブルーを選んだ。緑も美しかったが、ブルーに魅かれたのだった。 しかし、著者の伊藤さんは、緑を選ばれたのだった。 それが分かった時、「そうなの、緑なの……」とか「えっ、緑!」とか「「そうなんですよ、緑なんですよ」という会話が飛び交ったのであるが、こうして一冊になってくると、 「緑で良かったと思いますね」と担当の愛さん。 わたしもブルーの選択肢があったことなどとんと忘れていたほどである。 緑色の優しいあたたかさがこの句集にはなくてはならないものだった、ということを気づかされたわたしたちだったのだ。 濃竜胆又三郎が揺らしけり 伊藤敦子さんにとって宮沢賢治もまた親しい詩人なのである。
by fragie777
| 2013-02-13 20:29
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