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2月8日(金)
鳩の写真なんて別にめずらしくもないとおっしゃるあなた、これはね、早春の日の鳩であり、そしてわたしのこの今の絶望的な思いがわかる世界でたった一匹の鳩なのだ。 ようく見て、眼がいつもより赤く、慈悲深い感じがしません? 全然そんな感じはしない…… フフン、オーケー。良くってさ。 わたしにだけはそれが分かるんだから。 というのは、いまの私はエラク落ち込んでいるのだ。 およそ、一日をかけて(大変な忙しさの仕事時間のなかで)やり続けた作業がほぼその終りが見えたとき、それがまったくの無駄であったと分かったのだ。 そのことが分かったとき、わたしは、 いったいこれはどうしたことだあ!! と叫び、頭をかきむしったのだった。 なんということ。わたしが費やした時間がわたしの目の前をあざ笑いながら通りすぎていった。 わたしは、力尽きがっくりと肩を落としたのだった。 この鳩の赤い眼のみは、わたしの気持を理解してくれている。 そう思ってわたし自身をなぐさめている。 くくくっう…… 気を取り直してブログを書こう。 今日もお一人お客さまがいらっしゃった。 千葉県の柏市から今村廣さんがご来社くださった。 俳誌「風叙音」を主宰されている笙鼓七波氏からのご紹介で、句集のご相談に見えたのだ。 今村さんは、いまは「風叙音」に所属しておられるが、もともとは楠本献吉に俳句を習ったのがはじまりという句歴のながい方である。 「句集をつくることは考えておりませんでしたが」と心境の変化を担当のPさんに語られながら、いろんな見本をごらんになって造本を決められた今村廣さんだった。 「仙川は、以前仕事のことがあってたびたび桐朋学園に来たことがありましたので、懐かしいです。しかし、変わりましたねえ…」と驚かれていた今村さん。 新刊紹介をしたい。 小島数子詩集『エンドルフィン』。 タイトルとなった「エンドルフィン」とは何か。 この詩集には九つの詩作品が収められているが、最後に「エンドルフィン」というタイトルの作品が収録されている。「エンドルフィン」という言葉があらわれるのはその作品中一行のみである。 長い詩であるが、「エンドルフィン」という言葉が現れるところまで紹介してみよう。 エンドルフィン 一 砂漠色のラクダ、 ラクダ色の砂漠、 砂漠という荷物を運ぶラクダ。 いつも笑っているような顔のラクダのことを 不意に思い出す。 阻む闇の壁を やさしく吹き飛ばすランプのように、 明るみたいのだ。 咲いている花のそばで煙草を吸ってはいけないと、 庭先でいつも妻が夫に注意していた 近所の家の夫婦が、 思いがけず引っ越しをしていなくなり、 私も連れて行ってくれと言っているような気配がある、 残された その家のことを 気にかけていると、 どうしたらいい いいの いいのと言っているような ホトトギスの鳴き声の姿が見えてきた。 少量生産 少量消費の愉しさを探し求めてほしいと 人間に対して思い、 うんざりしているように目を閉じ、 自転する地球。 二 屋根は斜めになっていると思うと、 ときには自分も斜に構えたくなるが、 不機嫌さと 付き合いが良すぎてはいけないのだ。 擦り切れた絨毯のような目つきを してはいけないのだ。 躰に宿り、 躰と心をつなぐという無意識。 そのつながり深くにまで さかのぼったところにある、 躰と心を動かす 野性の無意識。 倒木になったように苦しいときには 静けさの中で、 掘り出されることのない 大きなルビーの原石のような心臓と、 打ち解けあう。 心が行き、 笑みが浮かぶと、 エンドルフィンが放たれるのだ。 現実は、 力強くゆるみほぐれた現実となって、 保証するものを持つのだ。 *エンドルフィン…脳内で作られる麻薬性化学物質 この詩の文脈からすると、どうやら「エンドルフィン」は、悪いものじゃないらしい。苦しい現実に向き合う人間を人間自らが慰めるために放出される心地よいものなのか。 この詩集を読み進んでいくと、そこに立ち顕れてくるのは、世界とのひそやかなズレだ。 存在させたいのは、 離れ離れになっていた歯車同士が かすかに噛み合うような気配だ。 作品「かすかに噛み合うような気配」より。 静かな苛立ちと寂寥感のある詩集だ。存在することのちぐはぐな思い……。 そういう生の佇まいにとって「エンドルフィン」は自らの救済なのか……。 「野性の無意識」という言葉もまた「エンドルフィン」に深く関わってくる。 全部で九章ある「エンドルフィン」の作品だが、二に続く三を紹介したい。 三 小舟を漕ぎ出せる、 丸い彫刻刀で彫ったような波の立つ 追憶の池の岸辺は、 どこにあるのだろう。 山々のあちらこちらに、 体操しているように腕を広げて立つ、 送電用の鉄塔。 細長い箱のように刈り込まれて、 何か意義あるものを 入れられたようになる、 道路沿いの灌木。 五臓六腑のあたりに、 ひっそりとだが、 しっかりと 潜んでいるように感じる、 野性の無意識は、 噛みしめるような 先行きを持つ。 意味には、 言葉がある。 息づく意味には、 育つ言葉がある。 ますます小さなものにしつつある地球。 人の力の蔓草は、 今が一番愉しい時代だから 邪魔しないでほしいとでも 思っているように、 地球を覆う。 小さなものにすることは、 磨きをかけることになっているだろうか。 装丁は和兎さん。 この詩集『エンドルフィン』の持つ世界が好きだという和兎さんは、ゲラを何度も読み、この詩集に響き合うブックデザインを考えたという。 和兎さんも私も小島数子さんにはお会いしていない。 どんな方なのだろうか。 静かな物腰の方かもしれない。 それでもこの本の持つ静けさが周りを支配する……。 さっ、今日は帰ろう。 巷は三連休であるが、わたしには仕事、仕事、仕事の日々になりそうだ。 今日のチョンボをゼッタイ取り戻さなくちゃいけないのだ。 ドンマイ、ドンマイ。 と例のチョコミントを口にいれる。 すると「エンドルフィン」が……
by fragie777
| 2013-02-08 20:16
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