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8月3日(金)
![]() 秋の花だ。 昨夜の「ゴーヤの天麩羅」は旨かった。初心者の取り組みとしては種もワタもそのまま、というのはちょっと大胆なキライがあったらしいが、いやいやゴーヤ特有の苦みが少しあった方ビールに合うんだ、これが。と言ってもわたしが飲んでいたのはもっぱら白ワイン。 ゴーヤと一緒に天麩羅にして揚げたのが桜海老と玉ねぎのかき揚げと茗荷の天麩羅、どちらもカラッと揚がって好評で、(ひょっとしてわたしって天麩羅名人?)なんてひとりでいい気持になっていた。天麩羅は揚げるのが難しいっていうけど、揚げる温度を温度計で測ったりする人もいるとも聞いているが、わたしはもうなんというか、えらいいい加減なのだ。薄力粉をボールにドサッと入れて、水を適当にいれ箸でササッとかき回して(こんなもんかなあ…)で終り。深めのフライパンに油を入れてこれも適当に熱くなったらしいと思ったらジャッと具を入れる。他のことをしながら時々フライパンを覗きこんでひっくり返し、良き色になったら引き上げる。 それであとはムシャムシャと食べるのみ。 夏に天麩羅を食べるのって最高だぜぇい。 おっと、このブログはわたしの料理自慢がテーマじゃなかった。 (天麩羅だけなんよ。自慢できるのはね。) すごく仲のよろしいご夫妻の句集が出来上がった。 なぜ、「仲が良い」ということをわたしが知っているかといえば、わたしのよく知っている方たちなのである。わたしはかつてこの夫妻の家に遊びに行って、おいしいおでんを御馳走になったことがある。奥さまの方はわたしの家に遊びに来てくださったこともある。だからお二人の仲良しぶりはわたしが太鼓判を押すことができる。今回のことでご来社された時もいつもお二人はご一緒だ。 それぞれ一冊の句集がひとつの函に収められて出来上がったのが、根岸敏三,根岸操句集『秋ふたつ』(あきふたつ である。 ![]() 表に貼られたラベルの金箔が、この句集に手作り感を与えている。 ![]() かつて、もの作りが丁寧になされていた頃の懐かしさのある本の風合いだ。 ![]() 奥さまの根岸操(みさお)さんの句集『ほおずきの種』から紹介していきたい。 ![]() ![]() 操さんの句歴は20年。実はスタッフのPさんは操さんをわたし以上によく知っている。Pさんが小学生のときの学童保育の先生だったのだ。操さんは。そこでたっぷり可愛がって貰った。この句集にはその学童の先生だったころの作品がある。 生業は児に寄り添いて草萌ゆる ブンブンゴマ子は唸らせて春一番 最初に置かれた作品である。学童保育一筋に定年となるまで働いて来られた操さんだ。しかし、この句集に収録された作品はご自身の家族を中心とした風景が多く詠まれている。あたたかな優しい眼差しがある。それはわたしもよく知っている眼差しだ。 ムース付けし子の背丈伸ぶ夏休み 婚礼の日どり知らせる初電話 母ひとり万朶の花へ旅立てり 摘み草や母の声する匂いする 初夢の中の私も母であり 山茶花や祖母となること告げられし 還暦の夫に枝垂るる実むらさき 停年という始まりに佇ち柳の芽 語り合える幸せに居てとろろ汁 熱燗や職退く夫の胸熱く 芍薬の崩れし真昼父逝けり 六十路とは落葉やさしく踏む心地 静寂を二人で聴くや二人静 ほおずきの種の数ほど未完なり 最後に置かれたこの「ほおずき」の句が句集名となった。 遠くより雨の匂いや夜の秋 祭の灯消えてより身の熱かりし あさがおや朝は汚れた顔持たず 肩書はみなボランティア山笑う バラの雨ひとつの恋を持ちつづけ 母子草この地にもある戦争史 ぶきっちょな子よゆっくりと浮いてこい 絵日記はみどりみずいろ秋に入る 「ゲルニカ」のモノクロームや血のごとく 時雨傘たたむや宿の木の匂い 湯冷めして読む若き日のラブレター 作品を通してわたしの知らない操さんがいる。(当たり前か…)しかしそれでもあの柔らかな心根の子ども好きな操さんであることに変わらない。 私の俳句人生はその時その時を試行錯誤しながら精一杯生きて、詠んで来たと言えます。(略)俳句は自分史を綴ることとも言われます。結果的に、我が家の歴史が刻まれた句集となりました。 「あとがき」の言葉である。 えん罪支援馳す夫の背に春一番 操さんがご主人の敏三さんを詠んだ句である。 では、敏三さんはいかなる人物であろうか。 ![]() ![]() 句歴は30年、操さんより10年ほど早く俳句を始めた。しかしともによきライバルとして同じ道をたどることになる。結社をおなじくし、俳句仲間もほぼ同じである。 しかし、敏三さんは社会人としては教育者として活動をしながら弱者を助ける筋金入りの活動家でもある。「わたしの夫は権力に屈することのない、なかなか凄い人なのよ」って操さんがそっと教えてくれたことがあった。お目にかかれば穏やかな風貌をされているが時々キラリと光る目が不屈な何かを語る。 自伝史の一片となる書を曝す 不合格のわが子の顔をひと夜見ず 雷光の阻まれており大法廷 (えん罪支援) 河骨やこの世のどこを見たいのか 裏表なき胸照らす焚火かな 振り向けば秋夕焼の消えており 口下手が言葉の先に春苺 向日葵の筋を通して立ちつくす 民権の声聞き育つ夏木立 秋冷や途切れ途切れのハーモニカ 捨て切れぬ思い残りし春の泥 指めがね入道雲の生まれおり 思い出は少なくてよし黴の花 雑草の静かなる声原爆忌 杏咲き大きな名札掛けられる 兄ちゃんはどれかと聞かる蝌蚪の群 新しき友だちの増え竹の秋 油蟬最後の大樹離したり 素直とはこのことなのか日向ぼこ 清貧や父の植えたる白むくげ 碁敵のひとり逝きしや花八手 鼻眼鏡ずらして見るや春の山 爽やかや酒二杯目に明日がある 竹とんぼ飛んでは落ちて秋摑む 句集名「竹とんぼ」はやはり最後におかれた作品よる。この『竹とんぼ』を通して、一人の武骨ながら潔い正義派の男性像が浮かびあがる。当世ではなかなかお目にかかれなくなった「頼りになる漢」とでも言うべきか……。 このたび初めて、私が七十歳、古稀を迎えたのを機に、三十年作り続けた俳句を句集『竹とんぼ』にまとめることになりました。 「あとがき」のことばである。 この本の装丁は和兎さん。 ![]() ![]() 句集『竹とんぼ』と句集『ほおずきの種』。この二冊をひとつにして「秋ふたつ」と名付けた。 「あらあ、『秋ふたつ』なんて洒落ているわねえ…」って担当の愛さんに言った。 「ええっ!だってyamaokaさん、「秋ふたつ」って名付けたのはyamaokaさんですよ!。それぞれ「秋」の句集名だから、『秋ふたつ』でいきましょう、ってyamaokaさんが言ったんですよ」って愛さんが呆れたように言う。 「あらあ、そうだったのお。エヘヘヘへ……すっかり忘れてしまった。」と少々決まりが悪い。 (でもいい命名じゃん。) 生涯の友を夫とし蕨餅 操 句集『ほほずきの種』の最初におかれた句だ。 妻である皆さま、 夫のことをこう言えます? ネギちゃん(操さんのこと)、やっぱいいなあ……。 「蕨餅」がとてもお二人らしい。 今日はお客さまがお二人見えた。 俳人の今井千鶴子先生が指導をされている句会の合同句集の相談に見えられたのだ。 ![]() 吾妻さんはほぼ10年ほど前に、ふらんす堂より句集『去来』を刊行されている。 10年ぶりでお目にかかるのだが、矍鑠としてお元気である。 ことし八十八歳になられるという。 「会で一番年上になってしまいました」って明るくお笑いになった。 「10年経ちましたから、第二句集を是非におつくりしましょう」とわたしはお勧めしたのだった。 このブログをかいている間にふらんす堂の前の通りをサンバのグラマラスな踊子が通り、和太鼓の一団がとおり、さっき阿波踊りの人たちが通っていった。 窓から眺めたらたくさんの人で溢れていた。 「おらほせんがわ夏まつり」も今日が最終日だ。 おお、こんどはブラスバンドがやってきた。 ちょっと見に行ってくるわ。 じゃ。
by fragie777
| 2012-08-03 19:38
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Comments(1)
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