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7月1日(日)
梅雨の矢川緑地をあるく。 視界には常に紫陽花がある。紫陽花の海原を行くがごときだった。 先月はまだまだ小さかった鴨の子どもたちがずいぶんと大きくなって母親の真似をしながらあとを追っていた。 ふらんす堂から第一句集『初霞』と第二句集『凧戦さ』の二冊の句集を刊行された武市明子さんが21日に亡くなった。享年82歳。俳誌「泉」(綾部仁喜主宰)と俳誌「椋」(石田郷子代表)に所属し、わたしの家のご近所にお住まいということもあってよく存じあげていた。お身体をこわし、医師より余命をつげられていても杖をつきながらエネルギッシュに句をつくり続けて来られた方だ。電車で吟行に向う武市明子さんとたまたまお会いすることなどがあり、「今日は雨でたいへんですね」などと申し上げると、「いいえっ、雨が降ると雨の句が作れてそれが楽しいのです。雨は大好きです。」と莞爾として笑ったことが懐かしい。俳人の川島葵さんと仲がよく、葵さんは「アキさん、アキさん」と言って尊敬をしていた。その川島葵さんがアキさんについて書いているブログの一文を紹介したいと思う。その名を知る人は少ないと思うが、こういう風に俳句にその情熱をそそいだ女性がいたということを知ってほしい。俳句の結社に所属するということは、こういうあっぱれな人に出会えるという素晴らしさもあるのだということを。 2012 6/21から6/25 乃東枯(夏草枯れる) 中国歴では鹿角解 夏至の雨をついて俳句の大先輩の見舞いにいったのだが危篤で会えなかった。翌朝苦痛もなく逝ったと娘さんから電話があった。句会で会うようになった頃から、その人の恐るべき俳句への打ち込み方にあっけにとられ、賞をとるとかそういうものじゃない、もう呼吸のようだった。俳論などはこねない、ともかく詠む。旅先でも23時をまわろうが句会をやろうやろうという。電車の移動中もやる。休日に家にいることなく、一人でどこにでもいく。若く未亡人になったその人は国内で2番目だかの女性の営業運転免許をとり、その他の仕事もして、子供二人を育て上げた。神道が好きで公開されていないような祭を訪ねて歩いた。不精な私とは違って寸暇を惜しむ行動力で外に出ては俳句を詠み続けた。漢字検定で准博士にもなった。不治の病を3つほど抱え寿命を告げられてからも何年も旅吟し、奇跡の人、八百万の神がついているようだった。一人で何でもする。あんな人見たことないので私はどうしても気になって仕方なく、うるさかったかもしれないが時々くっついて歩いた。柿色の服をさっそうと着て紫煙を高々と上げながら句帳を開いていたのが昨日のことのようである。八百万の神たちを相手に存分に詠んでいることと思う。 使ひ減りせぬたましいや更衣 『初霞』 ふらここにかけてシンプルライフかな 『初霞』 月光を大きく容れて沙翁劇 『凧戦さ』 あたらしき箒の匂ふ祭かな 『凧戦さ』 道でばったりお目にかかるなんてこともうないですね、アキさん。 かつてはトラックの運転手もされていたとか、 背筋をのばしカッコイイ見事な生き方でした。
by fragie777
| 2012-07-01 19:14
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