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5月24日(木)
わが家のそよごだが、10数年目にしてはじめて花を見た。直径5ミリほどの小さな白い花だ。 (今年こそは見るぞッ……って決めていたのだ) 舐めて貼る切手冷たき聖五月 今日のわたしはこういう行為をして手紙を投函した。 これは佐藤文香さんの俳句である。彼女の第一句集『海藻標本』に収録されている。文香さん、見てたの?って。んな訳ないか……。この度句集『海藻標本』を再版し三刷が出来上がった。この句集を開いたらこの句が目に飛び込んできてあらまあ、と思ったのだ。この句集は2009年度の宗左近俳句大賞を受賞している。 文香さんが20代前半でまとめて一冊にした句集であるが、完成度の高い句集だ。この句集の評価は「若い」ということがポイントではない。年齢というものは消えている。(こういう言い方、ヘンかな…) 序文で池田澄子さんはこう書いている。 中学生のときに連句もしたという、ごく早い俳句との出会いによって、俳句の特質を理解しているのか、凡人の私には到底知りえない不思議を、彼女は持ち合わせているらしい。第一句集『海藻標本』は全て自力で編まれた。どれだけの数からの抜粋であるかは知らず、驚くべき完成度、まさに俳句である いまふたたびこの句集を手にして中を開くと、一句一句がどうどうとしている、そんな風におもえてくる作品群だ。「若さ」で媚びていないのだ。 夏の句をいくつか紹介したい。 少女みな紺の水着を絞りけり アイスキャンディー果て材木の味残る 靴箆の後ハンケチを渡しけり 草笛に草の名前のありにけり 梅雨晴の広告塔を母と思ふ 知識階級に生まれて夕端居 夏の蝶自画像の目はひらいている ヨットより出でゆく水を夜といふ 標本へ夏蝶は水抜かれゆく うすものや帰らざること告ぐるにも 明るみを鳥の歩める皐月かな ぬばたまの夜を過ぎゆく祭かな 藤棚の下闇に似て物語 空蝉に指の湿りを移しけり 私は俳句を選んだ。 つかう言葉のひとつひとつを思い遣ることができる。 「あとがき」は若さゆえの自負心に溢れている。 それはそれでまた好ましい。 今日のねんてんの今日の一句は、出来たてのほやほやの鶴濱節子句集『始祖鳥』より。 平凡に生きてうっふん枇杷の種 出たばかりの句集『始祖鳥』(ふらんす堂)から。「うっふん」がいかにもあの光沢のある枇杷の種にふさわしい。甘い枇杷っていう感じがする。 作者は1949年生まれ。今、船団の会の会務委員をしてくれており、私にとっては近所の心強い仲間。熊本生まれの彼女は、有明海で馬刀貝掘りをした思い出を持っており、その馬刀貝掘りを再体験したいと願っている。出版祝いを兼ねて彼女といっしょに馬刀貝掘りに行きたいのだが、関西圏のどこかにいい場所はないだろうか。 このブログではまだご紹介をしていないのだが、さっそくに坪内稔典さんが紹介して下さった。「始祖鳥(しそちょう)」とは、鳥の先祖と云われており、恐竜から鳥への移行の途上の鳥であるとか……、最近「始祖鳥は黒かった」ということが分かったらしい。 この句集についてはいずれまた改めて紹介します。 今日はおひとりお客さまがいらした。 森本信雄さん。 詩集の御相談に見えられたのだ。 「むかしから詩のようなものは書いていましたが、詩人の先生について指導を受けたのは定年退職をしてからです」と森本さん。 その先生とは福間健二さんである。その福間さんのご紹介だ。 昨年ふらんす堂より、詩集『ぜんぶ耳のせい』を刊行された服部葵さんは詩のお仲間である。 ちょっと付記しておきますが、わたしはいつも切手をなめているわけではありません。 海綿がかわいていたりして、まっいいかっ、ってごくまれになめてしまうのです。 念のため。
by fragie777
| 2012-05-24 18:51
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