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5月16日(水)
家から仕事場までに薔薇を育てている家がたくさんあって、それはもうとりどりの薔薇を堪能できるのだ。 これはまず最初の家の薔薇垣。 このピンクの薔薇を今日これから紹介する句集の作者の田中遥子さんに捧げたい。 その新刊句集とは、田中遥子句集『薔薇垣』(ばらがき)である。 田中遥子さんは、俳誌「椋」所属、この句集が第一句集となる。序文を代表の石田郷子さん、栞を対中いずみさんが寄せている。 いつも来てけふ咲き満てる薔薇の垣 句集名となった作品である。 作者自身に向けた祝句であろうか。なんの変哲もないような日常に、季節の移ろいを見出し喜ぶ心。〈俳句は生活の裡に満目季節をのぞみ、蕭々又朗々たる打座即刻のうた也〉。石田波郷がこういったように、生活の中で季節を諷詠する俳句は、これからも田中遥子さんのかたわらにあるだろう。 と石田郷子さんは書き、第一句集の刊行を祝福している。 仮りの宿なれども浅蜊汁うまし ともに生く籘椅子の飴色の艶 白髪にいつしか馴染み初化粧 この句集の刊行は、体調を崩し、ふた月ほど自宅で静養なさった時に、思い立たれたようである。その頃を境にして外に向けられていた作者の眼差しは、少しずつ内に向かって深化して行ったのかもしれない。自身に対する慈しみの気持ちが、これらの句にはある。俳句は自分のために作る。結果的に、自分のために作った俳句が読む人を潤し、慰める。 ふたたび石田郷子さんの序文のことばである。ともに吟行をしながら田中遥子さんをみつづけてきた優しい眼差しに満ちた序文である。 対中いずみさんは、「聡明な童心」というタイトルで栞を寄せている。 囀に色あり時に翻り 半分の半分冬至南瓜煮る 木耳に触れてをみなら波立ちぬ 石据ゑてあれば渡りぬ冬の川 人生にはいろんなことがある。悲嘆も退屈も痛みも。けれど、俳句を作ることは楽しい。それは師の石田郷子さんが、あるいは所属誌の「椋」という場が発しているオーラのようなもので、そのことを遥子さんは持ち前の純真さでまっすぐに受け止めている。遥子さんが守り続けてきた童心が俳句形式と出会って踊り出したのだ。その喜びとひたむきさが、句集『薔薇垣』の読者の心を打つのだろう。 対中いずみさんもまた著者を知るひとりとして良き理解とあたたかなエールを送っている。 「白髪に」と詠む田中遥子さんは今年で81歳になられるお方であるが、この句集制作の過程でなんどもふらんす堂に足を運んでくださった。若々しさに溢れ、カジュアルな装いで気どらないお方であるが、どこか華やぎがあって明るい雰囲気を漂わせている。よくとおる美声がいっそうそう思わせるのかもしれない。前向きな闊達さと聡明さがこの若さを保つ秘訣なのだろうか。 麗日の公園の柵のり越えむ ぐつと口結びぬ蝌蚪を掬はむと 軽鳧の子を数へ直して九羽かな 川の水眩しかりけり布団干す 眼は遠くまでゆきたがる冬紅葉 蜘蛛のよく働く朝のひかりかな 冬あたたか海を枕にねむる人 梅の香や理髪店くるくるくると 囀に色あり時に翻り 雲の峰ぎよぎよしぎよぎよしと鳴いてをり まなかひに冬鹿の目の残りけり 春鶫吾もまた胸を張りてみる つばくろの帰りてよりの五番線 「童心」と対中さんは書いたが、まさにこの句集にはまっすぐな目をした童女が生きている。素心をうしなわず手垢のつかないこころを持っている。それは誰にでもあたえられるものじゃない。そこがこの作者のすばらしいところだとわたしは思う。 思い切って句集を出してみたら何か良いことがあるかしら……と思った。ありました。句稿整理の段階で、自らの拙さ未熟さ貧しさに、気付いたのです。その気付きを大切な糧として、これから俳句の道を進んでゆくつもりです。人真似でなく、自分だけの表現、自分だけの句作りを目指して……。 この「あとがき」もどうだろう。若々しい躍動感と前向きな姿勢があり、こころの思いが直球でバシッと来る。いいなあ……って思う。 凍星や防空壕に入りし夜も 凍てし頰われにありけり開戦日 ともに生く籘椅子の飴色の艶 年ふりてほほづきの朱ほどの恋 開戦を告げし師の息白かりし 余情あるこれらの俳句は、「童女」に歴史があることを物語っている。そのこともまた、この『薔薇垣』に陰翳を与えているのだ。 さて、この句集『薔薇垣』であるが、たいへん美しい本に仕上がった。著者のイメージにぴったりであると思う。 装丁は和兎さん。しかし、写真でそれを撮りきれているか、ちょっと難しいが……。 そして用紙だ。うっすらと模様のある白の紙をもちいたのだが、紙の表情が出ているだろうか……。 ソフトカバーの軽装な本のつくりであるが、ゴージャスな仕上がりとなった。「軽ろやかにしてゴージャス」とは、まさに田中遥子さんそのものであるとわたしは思う。 担当の愛さんは、次の句を選んだ。 唐辛子連ねて空の青さかな 「色の美しさが見えてきて、好きな句ですね」ということ。わたしは、これ。 恋文は銀木犀の下で読む 「銀木犀」がすごくいい。「金木犀」だったら台無しってわたしは思う。どうしてだろう。「金」という色が通俗的に思えてきてしまう。銀木犀の清潔なかがやきが手紙の白に響き合って、きっと素敵な恋をしてんだろうなあ、羨ましいぞ。恋文を読む女性も楚々として見えてくる。「金木犀」だとちょっとアダルトな女性を想像するな。やっぱここは「銀木犀」だ。もっともわたしは「銀木犀」の下で読むような恋文なんて貰ったことはありませんが。金輪際ないとしてよもや「ほほづきの朱ほどの恋」をしたら、恋文をもらって「銀木犀」のところに飛んでいって読むんだ、ゼッタイ。
by fragie777
| 2012-05-16 20:05
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