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3月31日(土)
今日は「ほかいびと」という映画を東中野の映画館「ポレポレ座」に観に行く。 俳人の海津篤子さんとご一緒だ。 映画「ほかいびと」ってご存知? いま話題になっているのだが、長野県伊那(いな)の放浪の俳人井上井月(いのうえ・せいげつ)を描いた映画である。乞食井月と呼ばれた幕末の俳人だ。 俳人の相子智恵さんからご案内をいただいた。 yamaokaさんが牧羊社時代にご担当された瓜生卓造さんの『漂鳥のうた』を参考にさせていただいてます。ぜひ映画もご覧いただきたく。 とあって、井月へのなつかしさも手伝って、井月を演じた田中泯ファンの海津さんを誘って行ったのだった。 この映画がつくられた思いやコンセプトはともかくも、まずわたしが感じたことは映像がすばらしく美しいこと、音楽が良かったこと、映像と音のなかに動く田中泯が極めて美しかったことだ。人間の動きの美しさをこれほどまでに映像と音をとおして感じたことはなかった。 田中泯ファンの海津さんは、「田中泯は美しいわあ…」って感嘆していたけれど、美(形)にうるさいミーハーのわたしとしてはそのままの田中泯という人間からは美しさは感じられないのだが、(ごめんなさい)彼がひとたび動くと何かが彼に憑依したかのごとくである。眼がくぎづけになってしまう。肢体に神がやどるがごとくだ。襤褸をまとっていてもその肢体は美しい造形をつくりだす。 それを観に行くだけでもいいんじゃないかって思った。 しかし、相子さんは「田中泯さんの眼は、鋭い中にも憂いを帯び、放浪の井月の切ない未来を予感させた」と田中泯の役者の眼をとらえている。 さてかつてわたしが編集担当をし(すっかり忘れていた)瓜生卓造さんの『漂鳥のうた』であるが、この度河出書房新社より新装版として刊行された。 タイトルも変わり「何処やらに、井上井月」となって漫画家つげ義春の画がカバー装画となっている。 しかし中身は初版のときのままだ。「俳句とエッセイ」という総合誌に毎月連載していたもので、わたしは深大寺にある瓜生卓造氏のお宅へ毎月のように原稿をいただきに行っていたのだ。大きなお家で紀州犬が飼われていた。記憶がさだかではないのだが、この連載の担当を途中から島田牙城さんにバトンタッチするために島田さんと一緒に伺ったことがあったかもしれない。島田さんとはおなじ職場にいたことがある。 連載が終わり一冊にしようということになってふたたび担当となり、やはり何度か打ち合わせのためにお宅に伺った。しかしその途中で瓜生氏が急逝した。思いもよらないことであった。本の刊行を待たず瓜生卓造は逝ってしまったのだ。 作家としての力を注いだものだった故に無念なことであったろう。 この新装版を購入して気付いたのだが、瓜生卓造は62歳で亡くなったのだった。30代そこそこだったわたしにはもっと高齢に思えたのだが、あまりにも早い急逝であったことが感慨深い。しかし、こうして「井上井月」が再浮上し、ご自身の本があたらしい意匠のもとに再版されるとは氏は天上で驚いておられるに違いない。 いや、なによりも井月そのものが驚いているだろう。 瓜生卓造の俳人としての「井月評」は手厳しかった。終章の最後の文章を紹介sる。 放浪という点では、誰にも真似のできない生きざまをしながら句からは異様な体験が少しも匂ってこない。どれもが巧みに纏めあげられている。用語や表現もまた概して月並といえる。芭蕉や一茶はリアリズムに徹していた。蕪村もそうであろう。井月一人がロマンティストであったというであろうか。いやリアルもロマンもない。悲劇にも喜劇にも無縁である。あるものはただ一つ「無」だけであった。無に徹して生きたが、真実の無にもまた達し得られなかった。無は無であるが、道元の説く無ではない。芭蕉が到達した『幻住庵記』の無でもない。井月の無である。二流の人の無である。井月は無も俳句も二流出会った。井月が死んだ。ただ哀れな二流の人の無が残るばかりなのであろうかーー この度の映画「ほかいびと」は、井上井月を新しい視点でとらえ直している。 監督の北村皆雄氏は信濃毎日新聞でこう語る。タイトルは「井上井月通し近代問う」 抜粋であるが紹介したい。 井月は過去の遺物ちゃない、現代ともつながっているんだということを描きたかった。 伊那谷の風景や四季が美しいとか、素晴らしいのは当たり前。伊那が舞台であるけれども、地域を超えた普遍性を持たせたかった。 井月が野たれ死にのような形で死んだのは、伊那の人たちが冷たくなったからじゃなくて、近代がもたらした一つの死だ、というふうに捉えたい。 井月のような”よそ者”が地域の文化を豊かにしてきた。そうした人々を大切にしない共同体は、活性化しないのではないかという思いも『ほかいびと』に込めた。 井月は終始沈黙をまもった。 なにゆえ語らなかったのか? それを映画にしてみたかった。 と語る北村監督。 この映画の制作に四年かかったという。 ドキュメントとフィクションを織り込んだ手法が新鮮で、虚と実がないまぜとなった映像は井月の存在をいっそうリアルにした。 わたしにこの映画を教えてくれた相子智恵さんもおなじく「信濃毎日」に井月についての記事を書いている。 「言葉に祝福の力があったー「ほかい人」の人生」というタイトルで。 そのなかで相子さんは北村監督に「ほかいびと」となにゆえ名付けたのか、と聞いている。 ”ほかい”とは”祝う”という意味です。古来、乞食者(ほかいびと)は神や人を祝福する芸を持ち、家々を回って予祝を捧げ、交換に食べ物をいただくのを生業としていました。万葉集にも歌が出てきます。井月の生き方も、人を訪ね、祝う言葉を述べる人生だったのではないか。明治以降"個”が文学の中心になる以前は、言葉にそういう他者や神への力があったのではないか。井月は集団と個の歴史の狭間を生きた人ではないかと、そう思うんです 北村監督の答えに相子智恵さんはこう書いている。 「予祝」という考えは季語にも通じる。「雪や花を讃えることはよきことの瑞兆なり、月を愛でることはこの世の死を超越することでもあった」(宮坂静生『季語の誕生』岩波新書) かつて言葉には祝福の力があった。果たして今はどうかと、突きつけられた気がした。 わたしたちが映画を観終わってフロアーに行くと、相子智恵さん榮猿丸さん椎野順子さんなど「澤」の方々が見えられていた。井越芳子さんもいらっっしゃった。皆さん、次の回の上映を観る予定らしい。沢山のひとたちでフロアーはいっぱいで立ち見がでそうなほどの混雑ぶり。 田中泯の演じた井月はじっさいの井月をはるかに凌駕しているんじゃないだろうか…… いまふっと思ってしまった。 ねんてんの今日の一句で昨日と今日と高濱虚子句集『遠山』(深見けん二編)の作品が坪内稔典氏によって紹介されている。 幹にちよと花簪のやうな花 深見けん二編『高濱虚子句集』(ふらんす堂文庫)から引いた。昭和34年、死の近いころの作である。もしかしたら、この花簪のような花は虚子自身の生涯かも。桜の老木にこの句に似た花をよく見かける。 そして今日の一句は、 いぬふぐり星のまたたく如くなり 三月が終わる。あっという間に日がたつので、驚いたりあきれたり。それでも、先日、近所の田んぼのまわりを歩き、オオイヌノフグリ、オランダミミナグサ、ナズナ、タネツケバナ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウなどを見た。今年は寒い3月だったが、春の草たちはすくすくと育っていた。 この高濱虚子句集『遠山』はなかなか好評である。 映画のあとに紀伊国屋書店新宿本店に行ったのであるが、平積みがすでに売れて一冊の残すのみとなっていた。
by fragie777
| 2012-03-31 21:56
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