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3月2日(金)
![]() 華やかな白があたりの空気を制圧するかのごとくだ。 お心遣いありがとうございます! ふらんす堂が今日まで来られたのはふらんす堂を応援してくださっている皆さまのおかげです。 深謝の一言につきます。 新刊の現代俳句文庫69『井上弘美句集』(いのうえひろみくしゅう)が好評である。 この本の魅力については明日紹介させていただきたい。 深見けん二編・解説による高濱虚子精選句集『遠山』の見本が一冊今日とどいた。 ![]() 実はまだこれには栞が入っていないのだ。池内紀氏より昨日ファックスにて原稿をもらい、今日印刷をして来週の月曜日には製本屋さんにはいる予定だ。 であるからして、店頭に並ぶのは来週末から再来週になる予定である。 出来上がった本を手にとって、スタッフたちに「どう?」って見せたところ、「渋いですねえ」っていう声。「そう?わたしはすごくいいと思ってんだけど……」と。さっき深見先生にお電話をしたところ、「すごくいいですねえ」と喜んでくださった。 このあたたかで深い色、『遠山』にぴったりだ。(写真だとちょっと暗くなってしまった) 今日は深見けん二先生にお借りしていた虚子の初版本を沢山お返しした。 古い本である。しかし大きくて造本がしっかりしていて本文用紙も風合いがありなんせ活版印刷である。 この重量感は当時の本が人間の生活にしめる重量感そのままであるように思える。 、 ![]() ![]() ![]() 箱入りの本である。 実は今日はもう一人の方にもお借りしているものをお返ししたのだが、そのお方は後藤比奈夫先生である。 エッセイ集の口絵のために貴重なアルバムなどをお借りしていたのだ。 返却本の中に面白い一冊があった。 この本について紹介してみたい。 ![]() 人間国宝でもあった喜多流能楽師後藤得三の本である。 後藤得三は、後藤夜半の弟、後藤比奈夫の叔父にあたる。後藤得三の弟に喜多流十五世宗家喜多実がいる。後藤比奈夫はふたりの高名な能楽師の叔父を持つ。この本には、得三、実の兄弟は貧乏であるが故に能楽師になったとある。それも驚きだ。(坊さんになるか能楽師になるかを迫られて、悩んだあげく能楽師を選んだとある) 聞き語りというかたちで記された本だ。 最初の項目の「生い立ち」には、後藤夜半、比奈夫のことにふれていて興味深い。虚子も登場する。 ちょっと引用してみたい。 生い立ちですか。生い立ちと言っても胸を張れるものはないので、今まで人に話したこともありませんが、でも順序もありましょうから、そんなことからでも始めてみましょうか。 こんな風に語り出すのだが、この語り口調が後藤比奈夫氏の口調によく似ているのだ。 そっくりとも言っていいくらい。 家族構成から申しますと、両親が真平、佐能(さの)、子供が上から、来(らい)、潤(じゅん)、得三(とくぞう)、実、三男一女ということになります。え、ああ一番上の来が女なんですよ。それから兄の潤だけは母親が違います。いわゆる異母兄弟に当りますかね。俳句に後藤夜半というのがおりますがご存知でしょうか。これが潤の俳号です。 父が当時の知識人というか、俳句などをひねっておりましてね。私ら子どもを集めて教えてくれたものでした。兄が、その父の趣味を生かしたわけで、大阪ではかなり名が売れていると聞いたことがあります。箕面公園に滝があって、そこに、 滝の上に水現はれて落ちにけり の句碑があります。兄の句碑は関西にはあちこちにあるようです。 夜半は初め「ほととぎす」に盛んに投稿したが、一向に採用されなかった。ある時虚子さんに夜半のことを聞かれ、兄ですとお話したことがあるんです。どういうものか、それから兄の句が「ほととぎす」に採用されるようになりました。それで弟の実と「弟の七光り」だと言って、面白がったことがありましたっけ。虚子先生のことですから、情実で採るはずもないでしょうから、その頃から、兄も実力をつけてきたのかもしれません。とにかく採用されたことが兄を元気づけてのは確かで、大阪で「諷詠」という同人誌を出すようになりました。(中略) 兄は私より二つ上でしたが、八十二歳で亡くなりました。 この兄の子が日奈夫で、お雛さまの日に生れたので、日奈夫と名付けられたのでした。俳人の感覚がこのような名を付けさせたのでしょうかね。これも今、親の道を継いで、俳句の方をやっております。俳名は比奈夫でございます。 齢にも艶といふもの寒椿 などものしていますが、あれも、近頃はだんだん頭角をあらわすようになってきましたので、喜んでおる次第です。 この本は昭和六十年に刊行されたもので取材は昭和五十七年から五十八年にかけて行われたという。 得三をとおして語られる後藤夜半、比奈夫というのも興味深い。 しかし、この本の凄さはまた別のところにある。 能楽師であることの厳しさだ。 「稽古」について、「先生」について、読み手の予想の届かないような話ばかりだ。 「厳しい」ということひとつとってもそれはもう並大抵ではない。 硝子の破片が足に突き刺さったままで能の舞台に立ったなどの凄まじいエピソードもある。 能楽師として生きるということは熾烈な厳しさに耐えることだ。 この本の面白さは、その世界を、熾烈な厳しさなどとは無縁なわたしが覗きこんで、「スゲエー」って思う面白さだ。 ああ、もっと紹介したい。 だけど、疲れてしまった、また今度ね。 後藤比奈夫先生に、 「得三芸談、面白いですね」と申し上げると 「ああ、面白いでしょう。ほかにね、『喜多六平太芸談』というのがあってそれもまた面白いんですよ」と笑いながらおっしゃったのだった。
by fragie777
| 2012-03-02 20:15
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