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2月24日(金)
![]() 三姉妹なのだが、もうひとりはどんどん遠くへ行ってしまった。 ツイッターでさがしていた西脇順三郎のことばを発見した。 詩はもう真理の探求ではない。感情の芸術でもない。宗教や倫理の代用品でもない。人間の記録でもない。人間に与えられた唯一の装飾である。 ウーム……。 「装飾」か。 やるな……。 それはそれとして、新刊句集を紹介したい。 ユニークな句集だ。 谷野みよ子句集『巴ゆりの』(ぱゆりの)。 「巴ゆりの」とは聞きなれないことばだが、著者の谷野(たにの)みよ子さんの造語である。 あえて言えば著者の人生に影響をあたえた地名をドッキングさせたもの、と言ってもいいかもしれない。 「巴里(パリ)+油利野峠」=「巴ゆりの」である。 フランスのパリは著者が若い頃から何度も通ったところであり、油利野峠とは山口県宇部にある故郷の旧名であり、母上の介護でやはり何年間も通いづめた場所である。この思い出深い地名を合わせた句集『巴ゆりの』をこの度上梓されたのだ。 句集は、「パリ」「油利野峠」「旅」「日常」の四つの章からなる。 すずらんのこぼるる音や夜明け前 (パリ) サルプレイエルケーキひとつ冬日かな (パリ) 夕焼けや革命広場人群れて (パリ) 春雨や色濃く高き伊吹垣 (油利野峠) 乗り捨てし自転車光る夏野かな (油利野峠) 濡れ縁や蜜豆の色数へたり (油利野峠) 捨てる絵も残す絵も春告げてゆく (油利野峠) 絵羽織の入学式や女坂 (旅・京都) 御仏に対座してゐる紅葉かな (旅・京都) 金箔と競ふごとくに雪降れり (旅・金沢) 片付かぬこと多くして夕時雨 (旅・松山) 漆黒の屋根歌舞伎座の名残雪 (日常) 刃を入れて冬瓜の種多きこと (日常) この四つの章は別丁としてそれぞれに色紙を用いた。著者谷野さんのこだわりである。 パリの章は赤。「油利野峠」は白、旅は青、「日常」は黄色というように。 そしてこの赤、白、青、黄色がこの句集のテーマ色である。 造本はペーパーバックスタイルの軽装版であるが、徹底的に著者のこだわりがある。 題字と表紙のデザインは、パリ在住の書道家今井陽子氏の手によるものである。 ![]() パリの街を一人で歩いていると、大切な人と二人で歩いていると感じることがあります。 十七区は好きな場所です。パリと故郷の宇部。この二つのエリアを何年間も通い続けました。時に、同じ私なのだろうかと自問さえしながら。 帯に書かれた著者のことばである。 ちなみにパリの「十七区」ってどんなところなんだろう。 パリの街は好きだけど、パリに精通しているわけじゃないんで、よくわからん。 北西部に位置しモンマルトルの丘の西にあたりセーヌ川の北に位置するっていうことはウイキペディアで調べたが、「十七区」がどんなところかはパリジャンやパリをよく知っている人間でないとわかんないだろうなあ、「十七区、ふふん、あそこね!」なんて言えるくらいパリに親しくなってみたい。 著者の谷野みよ子さんが羨ましい。 ところで、今日のニュースで、フランスで敬称「マドモアゼル」が使用禁止になることを知った。 敬称によって未婚、既婚の性差別があるということだ。 しかしながら、ちょっと残念である。 わたしの経験では、既婚、未婚という区別であるよりも、「一人前の女性」と「いっぱしでないヒヨッコ」という区別があるように思えて、大人中心主義であるフランス国においては「マダム」と呼ばれていっぱしという感があったのだ。 ベルギー人エルキュール・ポワロが、首をちょっとかしげて、 「マドモアゼル」と言う時は、「まだまだヒヨッコの女の子」っていう少し軽んじた意味があるように思え、 「マダム…」とポワロが言う時はこれまたひどくうやうやしい。 ポワロにおいては既婚、未婚はこの際関係ない。 「マダム」は女の内面の歴史がもたらす貫録への敬称なのだ。 均一化されてしまうとその微妙なニュアンスが失われる。 「マダム」と言われて女はナンボのモノよ、っていう感があるので、ヒヨッコもおしなべてマダムかって、思ってしまうんだなあ、これが……。 婚姻によって規定するんじゃなくって、女をグレードアップさせるための「マダム」という敬称は悪くないんだと思うんだけど……。 どう思います? ちなみにこのyamaokaは、押しも押されぬマダムであると思っておりますが、わたしの心にはヒヨッコのマドモアゼルも棲んでおります。 そのマドモアゼルがたまらなく愛おしいと思うことさえあるんです。 これからはマドモアゼルはわたしの心の中にだけ生きづつけるってことか…… フランス国が見捨てたマドモアゼルをわたしは大切にひそやかに育てていくつもり。 しかし、マドモアゼルということばが使用禁止になったということについては、性差別の事実と歴史があったが故ということを知ることも大切なことだ。 そのことによって辛く耐えられない思いをしてきた女性たちがいたのだ。 その使用を禁止することによって、差別から解放されるのであるならそれは前進と受け止めなくてはいけないと思う。
by fragie777
| 2012-02-24 19:46
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