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12月24日(土)
本当に久しぶりに自転車で仕事場にむかう。 途中このあたりには沢山の野良猫がいる。 鳴き声がするのでふり返るとこんな感じで猫たちがいたのだった。 実はこのほかに二匹いて、全部で5匹の猫たちがのどかに日差しのなかでまったりとしていたのだった。 久しぶりに出会った猫たちを写真に撮ろうと自転車から降りて道の真ん中で夢中でシャッターを押していると、 「あら、yamaokaさん!」って声がする。 振り向くと知っているご婦人だ。 「いやあ、猫がたくさんいるんで写真を撮りたいのね……」と言うと、 ちょっと呆れたように笑いながら行ってしまった。 この歳晩の忙しいに時にこうして猫を追い掛けているなんてずいぶん呑気はヤツって思われただろうな……。 ところがどっこい、そんなに呑気にはしてられないのだ。 わたしは再び自転車にまたがった。 そうして、仕事場で待っている仕事に向って慌ててペダルをこぎ出したのだった。 紹介しなくてはいけない新刊がたまってしまった。 まず一冊、今日は紹介したい。 永見るり草句集『肘掛け窓』。 著者の永見るり草(ながみ・るりそう)さんは、俳誌「絵硝子」(和田順子主宰)に所属し、この度の句集は第一句集である。序文を和田順子氏、跋文を下鉢清子氏が寄せておられる。 すみずみなところまで著者のこだわりを感じさせる句集である。タイトルの「肘掛け窓」は、 俳句に於ける一番古い記憶は小学六年生の頃だったと思います。何新聞だったか─その俳句欄。選者の名が叔母と同姓同名ということで今でも覚えているのですが、あの橋本多佳子ではなかったか、と─。中学生の頃は学習雑誌の文芸欄。同世代の少年少女が詠んだ俳句のいくつかは、半世紀余りを経た今も私の愛誦句なのです。その頃の私は、二階の肘掛け窓に腰掛けたり頰杖をついたりして、物思いに耽るのが好きでした。その窓辺にヨルガオの白い大きな花がいっぱい咲いて匂った、忘れがたい思い出。ゆえに題名を『肘掛け窓』といたしました。 と「あとがき」にある。 表紙に「よるヨルガオ」の花をあしらうこと、そして色は濃い緑を希望され、造本はフランス装、形は四六判の変型で正方形にちかいもの、すべて著者永見るり草さんのご希望だった。 装丁の担当は君嶋真理子さん。この「よる顔」の花がなかなかご希望通りにいかず、なんども君嶋さんにはやり直してもらったのだ。序文でも跋文でも書かれているように、永見さんは沢山の植物をそだてまた植物には詳しい方であるようだ。ゆえに、「ヨルガオ」のイメージにはこだわられた。 逝く夏の燈ともしころを通り雨 みすずかる信濃の春は水の音 とんぼ玉涼しほむらの痕もなし 青葉木菟さびしきこゑを今宵初 ははそはの母亡き郷も雁のころ うすいろに烟りて雨の花樗 「まず言葉が浮かんで」とるり草さんは言う。白秋の「みぐるみ言葉」のように、言葉を大切に思う気持から詠まれた句であることが分かる。 和田順子さんの序文より引いた。序文の最初のほうで、「ことばを大切にする」著者に対して北原白秋のことばを引用しているのだ。 さはさはと棕梠に風ある朝寝かな 花火待つ山くろぐろと坐りたる 帚木の影なき苗を植ゑにけり 籐椅子にそろへて明日の旅のもの ねぢばなの螺旋のはての虚空かな 笛方の夫にさくらのふぶきけり かなしみのきはみにきんの銀杏散る 瓜番の爺のおもかげ笠智衆 寒夕焼鴉あつめて何の木か さびしさの赤のままゆゑ束ねけり かなかなの遠さざなみを夕厨 句集『肘掛け窓』を一読すると、著者永見るり草さんの姿が立ち顕われてくる。草花を愛することはもとより、古典への造詣もふかく、詩歌の教養にあふれしかも細部への美のこだわりをもつたおやかな婦人像だ。この句集は四章にわかれているが、その章の見出しはすべて星座の名前となっている。「スピカ」「麦星(アルクトゥールス)」「すばる」というように。そして各章にご自身で撮られたという植物の写真をモノクロで挿入しているのだが、この写真が繊細でとてもいいのだ。あえてモノクロで入れた写真にセンスがあるのだ。このように句集『肘掛け窓』は、著者みずからの細心なるこころくばりがばっちりと行き届いた個性ある句集だ。 ─植物中心の作品群から生まれた『肘掛け窓』の一本、いつまでも手許に置きたいと思いつつ、改めて「よかったねぇ」 とは、跋文の下鉢清子さんのことばである。40年まえに、教師同士として知り合い、永見さんが俳句の手ほどきをうけたのが下鉢清子さんである。永見さんにとっては、「俳句の師」となる方である。 この句集の担当は愛さん。 淡墨ざくら師系菟絲子のそのすゑに が好きとのことだ。「自分の先生のことをこんな風に詠めるなんていいですね」 帯文は、これもまた永見るり草さん自らのものによる。 いきいきと蒲公英のきん明日あれな あの東日本大震災から九日目、心臓発作で初めて救急車のお世話になった。そんな頃目にした蒲公英のきんの輝きは希望そのものに思えた。思わず〈明日あれな〉と。被災地のすべての人々に。私の上に。 この一冊は著者を語って余すところがない。 非常に意識して編集された一冊の句集である。 今日はクリスマス・イブ。 友人がやっている小さなお店で、ワインを飲みながら軽食をたべフルートを聴いて過ごそうと、お誘いがあった。フルート奏者にバイオリン奏者も加わるという。 今朝はたっぷりバッハの生演奏を聴かされた。グールドが弾くバッハだったらいいけど、そうじゃないもんでエライもんだった。この数か月毎朝バッハだ。バッハは大好きだけど、プロが弾かないバッハはすさまじい。 ブログも書き終えた。 ひとつ行ってみるか……。 口直しというか耳直しにプロのフルート演奏を聴いて、 「今日わたしたちのために主イエス・キリストがお生まれになった」(ルカによる福音書) という一節を静かにかみしめたいと思う。 いやいや、朝のバッハの悪夢から逃れることが先決だ。
by fragie777
| 2011-12-24 19:09
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