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9月30日(金)
力強い秋の色だ。 9月はあっという間に過ぎた…… いったいその間わたしは何をやったんだろう。 わたしの指の間から時間の砂がこぼれ落ちていく…… 9月のわたしを静かにいまここで省りみてみよう。 確かに穴のあいた網タイツを三回ぐらいは穿いた。 燃えるゴミと燃えないゴミを間違えて出した。 原稿料の金額を間違えて多く振り込んでしまった。 外注の支払いを間違えて少なく振り込んだ。 etc . etc. いいや、反省なんてくそっくらえだ。 そんなことは長靴をはいた豚どもに任せておけばいい…… ともかくもわたしは前だけを向いて行きたい、邪魔しないで頂戴。 そうやって勢いだけで九月のハードルをじゃんじゃん飛び越えたのだ。 で、 ちょっと疲れた。 新刊紹介はもう少し元気なときに、ってわたしの心が叫んでいる。 午後にお客さまがひとり見えた。 俳人の大関靖博さん。俳誌「轍」を主宰している。 句稿を持っての来社である。 ふらんす堂からは句集『風速』と、評論集『ものと言葉』を刊行している。(データが整ってなくてごめんなさい) 担当は優明美さんがおすすめするのだが、わたしは20数年来のよく存じ上げている方なので打ち合わせのあとたのしいおしゃべりをする。 句集のタイトルは「50年」。 生きてきた年数ではありません。じゃいったいどんな年数? そうです、俳句をつくってきた年数なんだそうです。 十二歳のときに市川学園で教員をしていた能村登四郎に出会い、俳句に興味をもちまずは一人でつくりはじめたということ。 面白かったのは、ちょうどその頃の能村先生も俳人としては不遇の時代でそれを埋め尽くすように国語の時間に俳句の話ばかりをされたのだそうである。 能村先生の十年一句の時代かしら…… その俳句の話しが、大関少年の心をつかんだのだ。 「馬酔木」そして「沖」で俳句を発表するようになり、主宰誌「轍」の今日に至るということだ。 その50年という年月…… 主宰誌「轍」も50号を迎えるという。 それも記念して句集刊行を決められたということだ。 水原秋櫻子句集『群青』を手にしながら楽しそうにお話する。 しかし、今日お会いして思ったのは、大関靖博さんの心が向いているのは過去の50年ではないということ、これからの自身の俳句であるということ。 「この句集を出して新しい出発です。」と語るや、途端に晴れやかな顔になった。 ウイリアム・ブレイクの「掌のなかに宇宙が存在する」ということばを俳句の根拠にし、「人間中心」でも「自然中心」でもなく、「存在の詩」としての俳句をつくっていきたい。 そんな風に話して下さった大関さんだった。 「好きな俳人は?」って伺うと、 「安井浩司。そして吉田汀史。」 ポリシーは、 「一見、常識人でありながら、こころの中にマグマを持っている」 ということである。 (このマグマっていうとき、ドロドロしたって言いながら顔をくちゃくちゃにし手ぶり身ぶりで語られたのが、ピュアなお人のようでgood ね!) 大学の先生であるが、味わい豊かなお人である。 [「みづいろの窓」にはあたらしい書評が掲載された。 神野紗希さんによって、 竹岡一郎句集『蜂の巣マシンガン』が紹介されている。 タイトルは、「練り上げられた美」である。 この句集は、竹岡の感受した美に満ちあふれている。 テキストを丹念に読みこむことによって、竹岡一郎という俳人の作品の本質に迫る力強い書評である。 ご飯を食べ、かくれんぼして出ていった。
by fragie777
| 2011-09-30 21:07
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