カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
9月14日(木)
夜になってこの海の上にみごとな満月が現れた って書くのは正確ではない、 わたしが見上げたときそこに満月があったと書くべきだ。 「月」というとエリック・ロメールの「満月の夜」という映画をまっさきに思い出す。たわいもない恋愛沙汰の映画だったように記憶しているが、ヒロインルイーズを演じたパスカル・オジェの透きとおるような気高い美しさのみが印象的だった。 この映画のあと、パスカル・オジェは急逝している。 もうひとつ思い出すのはシェールとニコラス・ケイジが演じた恋愛映画「月の輝く夜に」だ。こちらはアメリカ映画。ニコラス・ケイジがなかなかイカシテた。 こうして恋愛映画をまっさきに思い出すというのは、わたしが恋愛体質である故にとおもうあなた、いいえっ、全然そうではありません。 ただ人間科乙女部に属しておりますゆえ、常にロマンを心臓(ハート)の左半分が追いかけ、右半分は現世のリアリズムのなかでもがき格闘をくりかえしているわけです。 この乙女部には誰もが入れるわけではありません。 選ばれた人のみ。 はしばみ色の眼をしたギルバート・ブライスって聞いただけで心臓はビビッと震えたあなた、合格です。韓流スターのソン・スンホン、ヒョンビン、チョン・ヨンファなどの名前を聞いただけで羽ばたきそうになるあなた、合格です。 思うのですが、イギリスの女性作家であるブロンテ姉妹やジェーン・オースティンなどは立派な乙女部に所属しておられたのではないかとわたしは思います。エミリ・ブロンテなんて部長クラスだと思います。 いまつくづく思うのは、わたし、乙女部に所属できてホントに幸せってことです。 (ただし、右の心臓ジャンルについては、わたし結構アナーキーかもしれない、って最近気づいているのだ……) あらあら、新刊紹介をしようと思ったのだけど、饒舌がすぎました。 明日、丹田に力をいれて紹介します。 新刊の 竹岡一郎句集『蜂の巣マシンガン』です。 この句集もまた読み応えのある一書である。装丁をした和兎さんも力をいれた句集である。 嬉しい新聞記事を紹介したい。 山梨日日新聞9月10日号に新詩集『トンボ消息』の著者手塚敦史さんのインタビュー記事が紙面いっぱいに載っている。 編集局の堀内勇さんがわざわざ送って下さった。 「あんまりうまく話せなかった……」って手塚さんから聞いていたので、どれどれと読んでみるといやはやちょっと驚きました。 そこには、詩人手塚敦史がまさに詩人としているのだ。 この新聞の記事をとおしてわたしはよく知っていると思っていた手塚敦史さんにあらためて詩人として出会う、そんな思いがしたのだった。 切れ切れになってしまうがいくつかの詩人の思いが語られた文章を引用したい。 新著の題名にある「消息」は「手紙」を意味する。「手紙はすべてしまってあるわけではなく、散在するもの。詩集には断片的な作品もあれば、一編で成立する作品もある」。一冊の中に残すことで手紙を「普遍化した」といい、「一つのメッセージにならず、どんなふうにも読めるスキを残しておきたかった」と明かす。 詩集には言葉遊びの一面も多分に盛り込まれている。「言葉が持つ物質性を読者に感じてもらいたかった」といい、意味伝達以外に言葉が持つ物質性に着目した。「詩はモノが重要。例えば(目の前にある)コーヒーカップと灰皿を表現するとしたら、どう結び付けるか。比喩をおろそかにしてはいけない、と感じ始めた」。常にノートを携帯し、浮かんだ言葉を書き記し、書きためた言葉をつなぎ合わせて一気に書き上げる。「書くのは一瞬、推敲に長い時間を割く」という。 この「推敲に長い時間を割く」というのはよく分かった。なぜなら最初の詩の原稿をもらってから何度か書き換えがあり、結局最終稿をもらったのは一年後以上も経ってからだ。 中学生の時、詩を読んだり、書いたりしていることを周囲に話したことはなかった。人知れず詩を読み、受け取って感じるものが確かにあった。同じように、自分の詩をひそかに読んで何かを受け取ってもらえたら。たとえ、一人でも、二人でも、誰かの慰めになったらうれしいですね」 この記事の右上には手塚さんの写真が大きく掲載されている。 スタッフの誰かが言った。 「もっとハンサムなのに……」 わたしは手塚さんが身につけているチェックのシャツと黄色のセーターがすごくいいと思った。 セーターの黄色は、『トンボ消息』で手塚さんがこだわって函に用いた鮮やかな黄色を思い出させた。そのセーターのボタンを上まできっちり止めてわずかにチェックのシャツの襟を出しているところも気にいった。 こういう洋服の着こなしに、わたしの左の心臓は反応するのだ。 ブランドじゃないよ、このどうってことのないセーターとチェックのシャツ。 こういうこだわりがわたしは結構好きなのである。 この記事の左に手塚さんの「小学生時代の夢」が語られている。 「絵が好きで幼いころは、絵の先生になろうと考えていた」っていうこと。 いい先生になっていたかもしれないな…… 誰か好きな人がいたら、振り向かせたい。そのために「表現」するというのは、人間の当り前の感情としてあると思う。 「エロスの衝動」結構じゃないですか。 あらゆる芸術の衝動にこの「エロスの力」は及んでいるとわたしは思う。 詩を「世界を認識し、再構築するもの」ととらえる。「安易な比喩や心情吐露にならない、ポエムではなく詩を書いていきたい」 この記事の表題は「言葉が持つ物質性意識 つなぎ合わせ届ける」とある。 いいインタビュー記事だった。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、池田澄子句集『拝復』より。 山積みの林檎笑いこらえている数個 笑いをこらえているリンゴ。そういわれれば、どのリンゴも笑いをこらえているように見えてくる。芯からこみあげてくる笑いを顔を真っ赤にしてこらえている。果物屋で山積みにされたリンゴのなかにはそっと笑っているリンゴもある。 今日の「増殖する歳時記」もまた、池田澄子句集『拝復』 より。鑑賞者は三宅やよいさん。 胃は此処に月は東京タワーの横 胃が存在感を持って意識されるのは、胸やけを感じたり、食べ過ぎで胃が重かったりと、胃が不調の時。もやもやの気分で、ふっと見上げた視線の先に東京タワーと月が並んでいる。あらっ、面白いわね。その瞬間の心のはずみが句に感じられる。どんより重い胃とすっきり輝く月の対比を効かせつつ、今、ここに在る自分の立ち位置がさらりと俳句に仕立てるのはこの作者ならではの技。(略)短い俳句で自分の文体を作り出すのは至難の業ではあるが、どの句にも「イケダスミコ」と署名の入った独特の味わいが感じられる。 お客さまがおひとりいらした。 林いづみさん。 俳句の原稿をもってご来社くださったのだ。 俳誌「風土」に所属し、第一句集をかんこうされる。 「ちょうど神蔵器先生がご序文を書きあげてくださったので、先生のお宅に寄ってから来ました」ということ。 14年間の句歴をまとめた句集となる。 俳人飯田龍太を尊敬し、亡くなるまで何度も境川をたずねたという林さん。 「たまたま周辺を歩いていたときに龍太先生とばったりお会いしてそれから何度かお目にかかることができました。素晴らしいお方でした」ちょっと涙ぐまれた林いづみさんだった。 今日はいろんなことをお話くださってお帰りになられたのだった。 今日のブログはこれでおしまい。 さっ、わたしの中でおとなしくしていたお下げ髪の少女を解放してあげよう。 もうこれからは誰にも邪魔されない左ハート全開の時間だ。 じゃ、ごきげんよう。
by fragie777
| 2011-09-15 21:08
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||