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9月13日(火)
こんなに汚くったって平気だもんね。 そのあと、ちょっとひと眠り……。 仕事場を離れてひと息つける時間となった。 新刊句集を紹介したい。 久野(くの)のり子句集『深緑』。 『深緑』は私の第一句集で、平成十三年より平成二十二年までの作品の中から三百句を収めました。生活環境の変化に伴い身の回りを見直すうちに俳句に眼が向きました。歳時記と俳句雑誌を手元に手探りで学ぶなかで心に響く一句に出会いました。 みちのくの星入り氷柱われに呉れよ 狩行 の句です。俳句の魅力に取り憑かれた瞬間を今でも忘れることはありません。 と著者の久野のり子さんは「あとがき」に書くように、鷹羽狩行の一句に出会い俳句をはじめたという。俳誌「狩」(鷹羽狩行主宰)同人で、この度の句集の為に鷹羽狩行主宰が序句と俳句鑑賞を、高崎武義さんが跋文を寄せている。 久々の遠出となりし花野かな 狩行 この序句のほかに鷹羽主宰の作品鑑賞をいくつか紹介したい。 口すすぐ水の重たき原爆忌 「重たき」がポイント。原爆忌の朝、顔を洗って、口を漱いだ。今日は原爆忌であると思った途端、口の中に入れた水が重たいと感じた。それは原子爆弾が広島、長崎に投下された直後の大惨状を彷彿とさせるからだろう。きびしい残暑の中で、被爆した人たちが必死に水を求めている、その「水」とダブるので、この「重たき」が生きるのである 水底をぐいと引き寄せ箱眼鏡 箱眼鏡は、水中や海底の魚介を獲るための道具。覗くと、水の中の様子が目の前に迫って見える。その瞬間を「ぐいと引き寄せ」と表現したことで、迫力のある作品となった。 この「箱眼鏡」の句は、跋文で高崎武義さんが書いているように、平成22年毎日俳壇最優秀賞を受賞した作品である。 この受賞を機に、これまでの作品を整理して著者の十二年間の努力の跡を自身で確かめるために一冊にまとめることを決意され、習作四百五十余句(但し、狩誌入会前のものは割愛)の再選と跋を依頼されました。 と、跋文にあるように、受賞によって久野さんは句集出版を思い立ち、それを高崎武義さんにゆだねたのだ。高崎武義さんの跋文は先輩として身近にいる久野のり子さんへのあたたかな眼差しで充ちている。句集全体の中から春夏秋冬に分けて作品を抜き出し丁寧に鑑賞している。その二十二句の中からいくつか作品を紹介したい。 白梅のゆるぎなき香を繰り出せり かたくりの花びらまるで結べさう ふつくりと動き出すかに芽吹山 まだ雨の匂ひの抜けず青田風 立ち居にもゆらぐかをりや百合の花 爽やかや墨の香残る母の部屋 ばつたんこ空にさざなみ立ちにけり 返り花木のため息と思ひけり 凍雲の動かば空の傷つかむ 春夏秋冬たくさんの句をとりあげて、高橋さんは次のように書く。 通覧なされば明らかなように、秋冬より春夏の方に佳什が多いのは、著者がプラス思考であることに因ると考えられます。二十二句を一貫して底流する詩心は、ナイーブな詩情に包まれて、年を追うごとに高まり、最近作には著者自身の投影されたものを見ることができます。 たしかにとりあげている作品は春夏の方が多い。「春夏」が多いということは「プラス思考に因る」という高崎武義さんの解釈がおもしろい。わたしもどちらかというと(いや大いに)プラス思考だ。だからあんな汚い仕事机だって平気で食事ができちゃうし、けっこうへこむことがあっても、スカーレット・オハラならぬスカーレット・yamaokaと呼んでほしいほど、「明日は明日の風が吹く」状態である。しかし、季節はどちらかというと秋冬が好きかも知れないな……。 ああ、違った、わたしの場合はプラス思考というよりも、「どうなってもいいや思考」というべきか、カッコよく言えば「来るものを受け入れてやるぜ状態」とでも言うべきか。つまり「前向き」っていうほど生産的じゃない。あるいはハムレットのように「北北西の風が吹くときだけ気が狂う」って言っちゃってみたいんだけど……。 人声の十重に二十重に秋出水 尾の美しきものより買はれ金魚市 浦々の灯のつながりて秋祭 寒風を来てくしやくしやの眼鼻立 庭摘みのものを俎始めかな 尾張より美濃へ攻め入り青田波 水餅の抱き合ふごと沈みをり 初蝉の少し湿りを帯びるこゑ 父の書に残る付箋や雁渡る のつけから肩ぶつかりて年の市 この句集を担当したのは愛さん。「装丁がすんなり決まって良かったです。『深緑』というタイトルから著者の久野さんが『勢いで決めました』とこの装丁を選ばれたのです。」たしかに「勢い」のあるデザインだ。箔押しが美しく響いて勢いがあってもどこか上品なのは君嶋真理子さんの装丁だからだろう。こうやって出来上がりを眺めるとわたしはやはり本には品格が必要だとつくづく思う。その愛さんが好きな一句がこれ。 新涼や歩く速さに川流れ 爽やかな水音があたりに立ちあがってくるようだ。 現在、生まれ育った故郷に住み、遊び回った山や川、田畑などを折に触れて散策しています。開発により子供の頃とは趣は違いますが、それでも自然の息吹を充分に感じることができます。木々の緑が日と風と雨を受け次第に深まりゆくように、私も鷹羽狩行先生の細やかなご指導を滋養とし俳句の木を繁らせていきたいと思います。 「あとがき」のことばである。 「俳句の木を茂らせる」とは何といい言葉なのだろうか……。 タイトルの「深緑」には、深い意味があったのだ。 滴りの一滴づつにある力 著者の前向きな姿勢を象徴するような作品だ。 (ここでご飯に呼ばれる) ちょっと休憩してきますね。 いま戻ってきてふらんす堂のドアーを開けようとしたら、猫のきいちゃんが下の道路の電信柱のところにいて、こっちを見ていた。2時間ほどまえにPさんからご飯を貰って元気よく飛び出していったのだ。見ていると通りかかる人にきいちゃんの知人がおおく、何か声をかけたり写真に撮ったり、撫でていったりする。やっぱり、きいちゃんはこの辺の人気者なんだ。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、 新島里子句集『一椀』より。 樽酒のしぶき浴びたる良夜かな 良夜といえば月の明るい秋の夜、ことに中秋の名月の夜をいう。樽酒の蓋を威勢よくわるようなお祝いがあったのだろう。祝い酒を一二杯いただいた。それを「しぶき浴びたる」といったのだが、これでたいへん景気のいい句になった。 今日の「増殖する歳時記」は、土肥あき子さんによって、沼田真知栖句集『光の渦』より。 青空やぽかんぽかんと榠櫨の実 (略)りんごや梨のように枝から垂れるように実るというより、唐突な感じで屹立する。この意表をついた実りかたをなんと表現したらよいか、まさに掲句の「ぽかん」がぴったりなのだ。カリンの果実はとても固くて渋いので、生食することはできない。部屋に置いても長い期間痛むことはなく、なんともいえない豊潤な香りを漂わせてくれるので、どこに落ちていても必ず持ち帰ることにしている。 「かならず家に持ち帰る」と土肥さんは書く。たしかにあの黄色は美しい。形も他の果実のように丸いというよりちょっとアダルトな形をしている。薄暗い洋室などに置くとそこだけが明るく、洋間の家具たちとも響き合って絵になるかもしれない……。わたしも拾って持って帰ったことがあるが、わたしの場合はもっぱらぐちゃぐちゃとした仕事机周辺だった。(家でもそうなのだ。)わかるでしょ。今日の写真のような状態。だから榠櫨が可哀想。 お客さまがひとりおいでになった。 句集をおすすめしている筧隆代(かけい・たかよ)さん。 今日は造本を決めるためにご来社くださったのだ。 担当の愛さんに相談しながらいろいろと見本をご覧になって決められたのがフランス装。 「とても気にいりました」と筧さん。 仙川ははじめてですとおっしゃる筧さんだが、来月は深大寺にお仲間と吟行にいらっしゃるということだ。 「深大寺はいいところですよ。是非神代植物園にも足ののばして下さい」とわたしは地元なのでおおいに宣伝をしてしまったのだった。 まだまだ書かなくてはいけないことがあるんだけど、もう力尽きた……。 きいちゃんをちょっとかまって名月でも見て帰ろうっと。
by fragie777
| 2011-09-13 20:38
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