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9月3日(土)
台風が接近するなかであるが、友人たちと深大寺で遊ぶ。 わたしの住んでいるところ(もちろん仕事場も)は深大寺にきわめて近い。 しかし普段はめったに行かない。 そのわたしが友人たちに深大寺を案内したのである。 もうそれはいい加減なものよ。 ええっと、お蕎麦屋さんのおいしいところは知ってるんだけど、あとはほとんど知らない。 幸いなことに友人のМさんは以前来たことがあるらしくわたしよりはるかに詳しい。 で、 やっぱりわたしはぼんやりと後をついていったわけである。 台風にもかかわらず人がちらほらいて、みな物好きだなあ……。 途中で大雨が降りだし境内で雨宿りをしてから、石田波郷のお墓に行こうということになった。 波郷のお墓があるということはよく聞いていたが、いったいどこにあるのやら知らない。 地図をたよりにみなで右往左往しながら道を辿っていく。 お墓がかたまっているところ(墓場といいいますが、)が見えてきたが皆目わからない。 たまたまそこで働いている若いお兄さんに声をかけてみた。 (知ってるかなあ……) 「すみませ~ん。石田波郷という人のお墓知りません?」 意外やお兄さん「ああ、すぐそこの左の方に行ったところですよ」とニッコリと教えてくれた。 (へえー、あんなお兄さんまで波郷のお墓を知ってるんだ……) とわたしたちは左の方に行き、「石田家の墓」とある墓石の前に立った。 するとМさんが首をかしげながら、「おかしいわねえ、前来たときと違うのよねえ」と言う。 「ええっ、ここじゃないのかしら?」など辺りを見回していると、 「そっちじゃないですよお、こっち、こっち、ほらそこですよ」とお兄さん。 あらまっ、 いやだ、全然違う人のお墓だったわ、 とわたしたちはがやがやと移動して石田波郷の墓前に立ったのだった。 隣接する神代植物公園にも立ち寄って、野分のただ中の植物公園を散歩したのだった。 木々も草花もわたしたちも野分の風に吹かれ通しだった。 けっこう楽しかった。 こんな経験もしようたってなかなかできるものじゃない。 わたしははじめて知った花である。 しかし、よく歩いた一日だった……。 「増殖する歳時記」は、今井肖子さんによって しなだしん句集『夜明』より。 あきかぜのなかの周回おくれかな あきかぜ、と書くと、風は一気に透明になり、日差しの中に明るいグラウンドの光景が浮かんでくる。季感の固定概念に囚われやすい私のような読者の視界を広げてくれる句だな、と思う。 と今井肖子さん。 鑑賞のなかで、「秋思」という季語が「ホトトギス新歳時記」に加えられたが、最後まで議論の対象になった、と書かれていたのが興味深かった。虚子編歳時記にはないゆえに、ということのために。わたしの手元の歳時記を当たってみたらありましたね、「秋思」。ということは虚子の作品に秋思の俳句はない、ということか。 そして今日のねんてんの今日の一句は、中本真人句集『庭燎』より。 爽やかにホッチキスして脱稿す (略)かつて私自身がそうだったが、文化系の研究者は不安が多い。将来の職の不安があまりないから。それだけに、論文の脱稿はうれしい。率直に喜ぶ真人のその素直さが好ましい。 さっ、わたしもブログを書き終えたんだから爽やかにパソコンのふたを閉じましょう。 では、バタン。(←これじゃ詩にもなりゃしない……)
by fragie777
| 2011-09-03 21:44
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