カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
9月1日(木)
昨日の朝のことだ。 仕事場へ行くとやっぱりスタッフから注意された。 最後に帰ったわたしがドアーの鍵をかけないであけっぱなしで帰ってしまったようなのだ。 何という不用心。 一瞬そんなバカなと思ったのだが、 「ああ、わかった! 実はドアーの前に猫のきいちゃんがいてね、雨やどりをしているきいちゃんを驚かさないようにずっときいちゃんに喋りつづけていたのよ。そっちに夢中で鍵をかけるの忘れちゃった!」 一つに夢中になるともう一つのことがなおざりになるyamaokaである。 今日の午後は水原秋櫻子精選句集『群青』のゲラを読む。「馬酔木」の副主宰で水原秋櫻子のお孫さんにあたる徳田千鶴子さんが編者である。 第一句集『葛飾』にはやはりよく知られた作品が多い。しかし、徳田千鶴子さんの解説を読んでちょっと驚いたのは、虚子がこの句集を評して「たったあれだけのものかと思いました」「あなた方の俳句は(中略)もう底が見えたという感じです」と秋櫻子に告げたということだ。虚子の客観写生に対して秋櫻子のなかに異議が生じその関係にある緊張が生れはじめたころのことだ。手厳しい虚子のことばではないだろうか。 今回の精選句集は秋櫻子の句集より精選したものであるが、なんと秋櫻子には25冊の句集がある。この『群青』はそのうちの22冊よりの精選であるが、それにしてもすごい句集の数である。旺盛な創作力に驚く。 ゲラを読み終えた後、深見けん二氏よりいただいた氏のNHKのラジオテキスト「選は創作なり」の水原秋櫻子について書かれた文章を参考までに読んでみた。このテキストは虚子ならびに虚子に関わる俳人たちについて非常にわかりやすくしかも要点をおさえて書かれたすぐれた一書であると思う。「東大俳句会」は秋櫻子が中田みづほと一緒に発足させたものだ。それについて深見けん二氏はこう書いている。 四S時代の東大俳句会というものは秋櫻子がいなかったら成立しなかったと思われる。高野素十も秋櫻子の奨めで俳句を始めたのであったし、東大俳句会は後に草樹会という会になり、中村草田男、福田蓼汀、京極杞陽など、有数な「ホトトギス」の作家が入るのであるから、この東大俳句会が虚子選の雑詠に占める役割は非常に大きかった。そういうことを考えると、もし水原秋櫻子が虚子のもとで雑詠に投句をしなかったならば、のちの「ホトトギス」の雑詠はまた違っていただろうというくらい、虚子選の雑詠で秋櫻子は大きな役割を占めたと思うのである。 長年望んでいた水原秋櫻子の精選句集をこうして刊行できるのは嬉しい。中村草田男精選句集と一緒に読んでほしいと思っている。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、中村昭義句集『神の意思』(より。 このやうな人もをりけり今年鯊 鯊の顔はつくづくおもしろい。鯛の気品に遠く、鯰の図太さもない。いわば愛すべき顔である。春に生まれ、秋口には鯊とよべるほどになる。これが今年鯊。まだ小ぶりだが元気はいい。その顔を眺めながらどこかの誰かを思い出したのだ。 昨日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」には、岡井隆歌集『静かな生活』より、前書きとなっている俳句がとりあげられている。 卵かけごはん、でいいよ。秋の雲 作者は意欲的な試みで知られる歌壇の長老。今日の句は短歌日記「静かな生活」から引いた。自作の俳句を前書きにして作った歌が多いが、引用したのもその一例。季語「秋の雲」の軽さを生活感の軽さと重ねた技量は見事だ。ちなみに、この句を前書きにした歌は「まんりやうの白き花もて飾らるる蒸し暑きこの秋の入り口」 今日のわたしはちょっと心がルンルンなのよ。 ずっと待っていた韓流ドラマの続きのレンタルが今日からはじまったというわけ。 蔦屋にここ数週間毎日のように行って「まだかな?」って覗いていたのだけど、ある日といってもごく最近思い切って蔦屋の店員さんに聞いてみたのだ。 「〇〇はいつレンタル開始になりますか?」 「9月の1日のお昼からです」 っていうことで昼休みにすっとんでいって新作4本をゲットしたというわけである。 明後日までに4本返さないといけないんで夜は大忙しなのだ。 (世界陸上も見たいし、ああ、どうしよう……) 9月はこうやって仕合せに始まったのだ。
by fragie777
| 2011-09-01 19:11
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||