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7月27日(水)
「ふらんす堂通信129」が出来上がって来た。 会員の皆さまには今日発送となるので、お手元には早くて明後日には届くことと思う。 猛暑のなかでの作業だったが、なんとか出来上がってこうして手にとることができるとホッとする。 今回のコラムは「夏におすすめの場所」がテーマである。 詩人の中尾太一さんは「ふらんす堂通信」を手にすると真っ先にこのページを見ると、お目にかかったときにおっしゃっていた。 (これは嬉しい、けっこうわたしたちもこのページには力を入れてます) わたしが思うにこのページの魅力は、なんと言っても君嶋真理子さんのイラストとの響き合いだ。わたしたちが好き勝手に書いている文章を君嶋さんが楽しみながらイラストにしている、それが紙面から伝わってくるのである。 今週の日曜日にふらんす堂に遊びにきて下さった境野大波さんと川島葵さんであるが、お二人から「わたしの一句」と「俳句について最近おもっていること」をいただいたので、紹介したい。 物書きに緑蔭の家ありにけり 川島葵 武者小路実篤公園で詠んだものだということ。 句作りで目指しているのは、形としてはあまり意味を詠まないで歌うこと、ですが、色々な句を作りたいとも思います。 葵さんは俳句をつくるより前から詩を書いていて、いま詩作品を大波さんの俳誌「大(ひろ)」に発表している。大波さん曰く、「葵ちゃんの詩が好評なんだ」。 鳥居抜け山門潜り冬に入る 境野大波 去年初冬に金沢に吟行したときの一句です。そのときに実際このような行動をとって立冬を迎えたのですが、いざ俳句に詠んでみると、痴呆的なまでに当り前のことを実に当り前に表現していますね。 実はいまわたしが目指しているのが、このような「愚」に近いまでのさりげなさなのでして、例えば近作では「仮初にあぢさゐ山の入口に」などという句を自分では比較的気に入っていたりしています。 モーロー俳句とでも申しましょうか。なかなか人様の理解を得がたい境地にさしかかっているわけで、まあこれも俳句の一つの行きかたではないかなと自分に納得させて、さらなるさりげなさを目指している今日このごろです。 さすが大波さんらしいって笑ってしまった。大波さんはすでに詩集を二冊刊行されている詩人でもあるが、この「愚」に近いまでのさりげなさというのは、まさに「俳句」においてこそと思ってしまう。現代詩人であるいは歌人で、その作品においてこういう境地を目指している人っているのかしらん。 今日はおひとりお客さまが見えた。 俳人の須原和男さんである。 昨年ふらんす堂より第四句集『國原』を刊行され好評だったが、今度「現代俳句文庫」にご参加くださることになりそのお原稿を持ってご来社下さった。 原稿は完璧なまでに整っておられ、さすがである。 (担当の愛さんが驚いていたほどである) 背が高く謹厳な面持ちに思わず緊張してしまいそうになるが、ときどき冗談をおっしゃって相好を崩されるとなんとも可愛らしい(すみません)表情になる、その変容のしかたが素晴らしい。 「川崎展宏全句集」は一刻も早く刊行されることを望んでます。と、おっしゃられ、わたしは「はい、頑張ります」と背筋をのばしてお答えしたのだった。 今日は優明美さんが書店に営業に行く。 『金子兜太×池田澄子 兜太百句を読む。』と『後藤比奈夫×中原道夫 比奈夫百句を読む。』がなおも平積みに。「まだこれらは動きますよ」ということ。 服部葵詩集『ぜんぶ耳のせい』が平積みに。やはり奇麗な装丁だ。石原吉郎詩集のとなりというのがわたしは個人的に嬉しい。 丸善丸の内書店にも営業に行ったのであるが、ちょうどお昼休みで人が多くて写真が撮れなかったということであった。
by fragie777
| 2011-07-27 19:17
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