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6月29日(水)
葉をちぎってくしゃくしゃにしたらあの爽やかな匂いが広がった。 基本、わたしはこの世の中にわたしの肘というものを見せることはしない。 ましては二の腕などなおさらのことである。 理由は言わなくても分かるでしょ。 しかし、である。 今日はあろうことか、袖がほんの申し訳程度に肩をかくしているそんな白のカットソーを着て出社した。 だから、 わたしの二の腕はひどくはにかんでいる。 久しぶりに太陽光線を浴びたという感じである。 なにゆえにこんな異変がわたしに起こったかというと、つまりできるだけ冷房をつけず薄着をして頑張ろう、ということなのだ。 実は昨日、スタッフの緑さんとPさんがランニングシャツ姿で仕事をしていて、その威勢のいいスタイルに感じ入ったのだった。 (女性だけの職場の特権かな……) で、 身体中の勇気を総動員して、はずかしがる二の腕を世の中の視線にさらしたという訳。 結果、もうぜんぜん恥ずかしくないよ。 このふてぶてしさは年増の女の特権ね。 さて新刊句集を紹介したい。 松本春蘭句集『白夜』。 著者の松本春蘭さんは、「早稲田大学オープンカレッジ講座」の「俳句への出発」にて俳人の井上弘美さんの講座を受け、俳句にめざめる。その後、意欲的にその講座にて井上弘美さんの指導を受け続け、その熱心さによって井上さんに句集をつくることを勧められ、この度の刊行となった。 句集と言っても、ちょっと変わっている。全体が3部構成になっていて、第1部の「飛鳥Ⅱの旅」として船旅をとおして詠まれた俳句、第2部は「日々の拾芥」とし地上の日々の生活で生れた俳句が中心、第3部は「飛鳥Ⅱ旅の記録」として旅の日々を臨場感をもってまとめたものである。 沈まずに昇る日を待つ白夜かな 旅吟と日常吟によって織り成す「白夜」の世界。それは、沈まぬ太陽のイメージとともに、春蘭さんの中で過去と現在、日本文化と外国文化が深く交流する世界でもある。 井上弘美さんの文章からひいた。 第1部の「飛鳥Ⅱの旅」の旅経路は、3か月余の長旅でシンガポール経由でスエズ運河をとおり地中海をへて、アテネ、マルタ島、シチリア島を廻って、スペイン領マヨルカ島、ドーバー港に立ちよりベルリン、サントペテルブルグ、ストックホルム、フィヨルドを観て、北極圏へ、そしてレイキャビック、ニューヨーク、パナマ運河を通ってサンフランシスコ、ホノルル、横浜という羨ましい限りの船旅である。 わたしは船旅というと、フェリーニの映画「そして船は行く」を真っ先に思い浮かべてしまうのだが、その豪華さにおいて船旅以上のものはないと思う。船上であらゆるドラマが展開し、美しい少女が月から降りてきたように銀の雫をしたたらせながらデッキに立っていたりする。 この句集『白夜』においてもそんなドラマは展開するのか。 船員の夏服となり海青し スコールにあふ甲板のウォーキング 冷奴南十字の星見えて 海賊のひそむてふ域夜の蜘蛛 西日照るデッキディナーの仮装かな 母ならぬ吾にたまはりカーネーション 夏波を切てつ競ひてイルカかな 断面を大西洋に大氷河 泥色の水鰐の行く溽暑かな 夕涼しデッキのメキシカンディナー 「海賊」ってあってわたしの心は高鳴った。が、「海賊」っていうとかつて読んださまざまな冒険譚の海賊たちが踊り上がってくるが、絶対ああいう「海賊」じゃない、要するに海上の掠奪者たちである。 第三部の記録を読むと、海賊におびえて船をくらくし船室で身を小さくしているそんな様子もわかるのだ。 ここで船長から「ソマリア沖(アデン湾)での海賊対策について」という文書が配られ、サラーラ出港後五月二日までソマリア沖を通航予定であり、海上自衛隊「さみだれ」と「さざなみ」の護衛を受け船団を組んで行くとありました。そして昼夜を問わず全てのオープンデッキ、客室のベランダには出ないよう、また、窓際には近づかぬよう、灯火管制を行い夜は室内の照明が外へ漏れないよう、船団護衛に関するEメール等外部への通信は極力控えるよう要請があり、食堂のテーブルも窓際から離されました。そして船団の集結のためサラーラ出港は予定の翌日に延期され、エジプトの一つの寄港地への寄港がキャンセルになりました。 これは「旅の記録」の著者の文章である。こんな風に警戒をするのだ。この日のことを、著者は「緊迫したうっとおしい二,三日」と書いている。 船上の日々だけを詠まれているのではなく、立ち寄ったそれぞれの異国の街の様子や風景を著者は果敢に句にしている。 象二頭ピアに出迎へ夏の朝 サラセンの塔そこここに夏岬 汗ばみて右腕欠けしギリシャ神 ベルリンの壁薄くして沙羅の花 第二部は日常詠と旅吟だ。 梅雨きざす野菜の泥の匂ひかな 夏館昼を灯してシャンデリア 風鈴を掛けて立ち去る庭師かな 子燕の切れよく木下抜けにけり 羽たたむ鳥のひそみて花の雨 ツンドラの夏を去り行く狼よ 大雨のあがりたるらし虫の闇 虫の音の夢の中まで続きけり 「ツンドラ」の句は、アラスカの夏野に生きる狼を捉えつつ、「狼よ」との呼び掛けによって私たちの過ぎやすい人生をも思わせる。 と井上弘美さん。 担当したスタッフの優明美さんの好きな句は、 雷鳴やパナマ運河の閘開き であるということ。 この句集の見返しに世界地図をブルーで印刷し、松本春蘭さんのこの度の旅の航路をたどった。 そして分かったのであるが、これは世界一周の旅!であったということである。 6月27日付の公明新聞で、詩人の野村喜和夫さんが、手塚敦史詩集『トンボ消息』を紹介している。 タイトルは「『ゼロ年代詩人』による、より高い次元へと踏み出した秀作」。 2000年代に登場した若き詩人たち「ゼロ年代詩人」について触れ、その一人である手塚敦史のこの度の詩集『トンボ消息』を「より高い次元へと一歩を踏み出した秀作」と高く評価した一文である。 形式的には、追い込みのように詩篇を扱って、全体でひとつのテクストを成すというスタイルだ。内容はといえば、トンボに仮託されたあるあえかな存在の消息を語り、あるいはそれ自身に語らせながら、なつかしい未知ともいうべき不思議な奥行きのある詩的世界が織り広げられている。 まず、なぜなつかしいか。それはこの詩人の抒情をつむぐ言葉の質がどこか古風であり典雅であるからで、さながらあの北原白秋の「思ひ出」が21世紀版となってよみがえったかのようだ。 では、それなのになぜ未知なのか。過去の想起に向けられた官能的な言葉の触手を主旋律に、4代(水、火、空気、土)をめぐる記述や、合わせ鏡のように映し合う自己=他者の声のオペラ的交響を絡ませながら、全体としてめざましい言葉の譜が現出しているからだ。恋歌の対位法ともいうべきそこを主体が自在に行き来するさまは、心底あたらしいと思える。「これはキイト、あれはウスバキ、ウスバカゲロウの翅。--誰が見ても僕は今、二人だろうな。きみと話をしている。真実繁茂しているきみの背後。」 こうして野村喜和夫さんによって鑑賞されると、ふたたび繊細な光をまとって『トンボ消息』のことばが立ち上がってくる。 「なつかしく」て「あたらしい」。 そういうことだったのか……。 今日もお客さまをお迎えした。 午前中は、俳誌「花鳥来」の編集長である山田閏子さんがお二人の女性とともに来社された。二人の女性とは「花鳥来」に所属し昨年末亡くなられた小野靖彦さん奥さまの小野チヅ子さんとご友人の松尾郁子さんだ。小野靖彦さんの遺句集をつくるべくいろいろとご相談に見えられたのだ。 夫人も松尾さんも俳句は作られない。松尾さんは原稿をパソコンに打ち込む作業のお手伝いをされたのである。山田閏子さんがご一緒だったのでいろんなアドバイスをいただき、良いかたちで句集の刊行が実現できそうである。 遺句集は深見けん二氏の選句をとおしたものであり、ご序文を深見氏が、跋文を山田さんが書かれる。 奥さまの刊行への強い思いがあっての実現となったということである。 午後は、いま句集をすすめている俳誌「知音」の西部通子さん。関西からはるばるいらして下さった。 「自分の目で見て装幀の用紙を決めたい」 ということでじっくりと紙見本をご覧になり納得するものが見つけられたようである。 ここまで来るのにとても緊張しました。とのこと。 「身の回りのものを出来るだけ捨てるようにして生活をしてます」と笑いながらおっしゃったのだった。
by fragie777
| 2011-06-29 20:22
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