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6月18日(土)
梅雨の最中の武蔵野を歩く。 紫陽花はいまが盛りだ。 沢山の紫陽花を見た。 第一回田中裕明賞の有力候補者であった斉木直哉さんの句集『強さの探求』が四ツ谷龍さんの協力を得て、ふらんす堂より「電子書籍」として発売された。 幻の句集であったこの書籍を是非読んでいただきたいと思う。 購入されたい方はまず、「サンプルを読む」で試してみて、それが動くようならОKである。もし動かないようなら購入しても機能しないので、必ず「サンプルを読む」を試してからにして下さい。 今日の午後よりやはり雨に降られた。 雨にうたれて紫陽花はいっそう花の色を鮮やかにした。 新刊詩集を紹介したい。 村嶋正浩詩集『晴れたらいいね』。 詩集としては7冊目となる。 ひとつの形を守った散文詩集というのだろうか、分量はほぼ同じで置かれた活字が構成するかたちも同じである。ほぼ正方形にちかい詩集を開くと、目の前には文字で構成された長方形の横長のかたまりがある。どの頁を繰ってもこのかたまりは同じ、違うのはタイトルとそのかたまりを構成している文字たちだ。 これは村嶋正浩さんが詩人にして俳人ということに起因するのだろうか…。 栞を詩人の海埜今日子さんと俳人の榮猿丸さんが書く。 長方形のかたちのなかにきっちりと納められた文字たち。 しかし、 二十五篇すべての詩が、つねに動きのなかにあり、いっときもとどまろうとしない。言葉が遁走しつづける。 と榮猿丸さんが書くように、言葉は定着することなく流動しつづける。それを榮さんは、 イメージが結晶し、観念化するのを拒んでいるようであり、思念の澱の底に埋没しないためのようでもある。みずからの詩的アイデンティティーを、つねに流れのなかに、漂泊のなかに置こうとしている。それを担保しているのが身体性であるというところに、私などは俳人の顔をみてしまう。 と記し、そこに俳人としての村嶋正浩さんを見る。 作品を一篇紹介したい。 「夜が明けたよ」と題する最初の詩である。 走る。口にするともう身体は立ち上がり歩き出し走り出していて、 赤褐色の火山灰地の上をひたすら北へと前途三千里の韋駄天走り、 どうしてなのどうしての声にも聞く耳を持たず、もうここは都より 遥かに果ての白川関をも越えてそのまま北へ、松尾芭蕉よ走れ走れ 獣道の奥の細道をどこまでも突っ走れ竜飛岬まで走れ河合曾良走れ。 芭蕉の前世は植物のばせうで、ほんの少し前ぼくも羊水の中で浮か び漂うだけの植物で、気が付くともう泳ぐ動物になり、子宮の中で 苛立つ日々を足で蹴り思わず飛び出して走る動物になってしまって、 黄泉平坂を駆け上がり走れ走れ北北西に進路をとって。 むかしむかし至るところで植物はよく走り、大陸を越えて何処まで も走り氷湖も走って、日本海溝さえもひたすら走り続けて一生を終 え、ジュラ紀には大地を蹴り滑空する植物もいたけれど、鳥になり 損ねて滅んでしまった、泳ぐ植物もいて魚より遥かに早く泳ぎ先頭 を切って遠くまで泳いだ、でも漂うだけの植物が生き残った。 薔薇は走らないガジュマルの木も走る格好をしたまま終に走らなか った臆病な木、勿論向日葵も走らない日日草も百日草も千日草も曼 珠沙華も、今では走っていたことさえも忘れた体たらくだ。 泳ぐことは走ることか、いや歩くことさ、いや回転する地球の水に 漂っているだけと植物になりそこねた白長須鯨は言う、曾良よ走れ 芭蕉よ走れ竜飛岬から白神岬へと水の上を走ればせうよ。 この詩集『晴れたらいいね』に収録された作品は、詩誌「鰐組」に連載されたものだ。連載当時は、すべての作品が歌謡曲の題名となっていたと「あとがき」にある。詩集にまとめるにあたって、「題名はすべて変更した」とある。 今回は、殆どが詩誌「鰐組」が初出で、元々は歌謡曲の題名が詩の題名。一例をあげると「もう食事にしませんか」がYMO「君に胸キュン」など。当時「鰐組」が出る度、村嶋さん曰く「歌謡全集」の詩たちにわくわくした。それは私にとって「手術台の上のミシンと蝙蝠傘」(ロートレアモン)的な異質たちの逢瀬だった。 (略) 「鰐組」連載時にこの詩たちに私が感動したのは、異質な出会いの為ばかりではない、例えば街でふと聞いた曲に、当時の思い出、情景、時代が列をなして立ち現れる不意打ちの句読点がある。そんな永遠の凝縮の刹那に満ちていたからなのだと。 海埜今日子さんは、こう栞に書く。海埜さんの栞のタイトルは「詩、死、詞、紙、始…句読点が流れにてふいに繫ぐ。」だ。 榮猿丸さんの栞のタイトルは「村嶋流『おくのほそ道』」。 本詩集の一連の詩は、石川さゆりから忌野清志郎まで、歌謡曲、流行歌に触発されて作られたようである。そうした流行歌は、それぞれの詩のなかで、いわば現代の歌枕のような役割を果たしているように思える。それらは、時代の気分に漂う、自身の、そして誰かの記憶の断片となった、こなごなの風景だ。芭蕉の「おくのほそ道」は歌枕を巡る旅であったが、村嶋さんは、その現代の歌枕を蹴散らすように駆け抜けることで、草虱のようにいのちを宿した言葉を全身にくっ付けて、定住の地へと帰ってくる。その草虱をひとつひとつ剝がしながら、漂泊の痕跡を確かめるように、言葉を並べていく。そうしてできあがったのがこれら二十五の詩篇であり、本詩集は、村嶋流「おくのほそ道」といった趣きなのである。 最初の詩のはじまりの言葉は、「走る。」だ。 そして最後の詩の最後の言葉は、「桟橋からもうすぐ船がでるよ」ここに句読点は置かれていない。つまりまたこれから榮さん言うところの「漂泊」ははじまるのだ。あるいは最初の言葉「走る」戻っていくのかもしれない。 円環し閉ざされた世界での流動する言葉。漂泊と定住は永遠にくりかえされる。 詩人の小笠原鳥類さんがこの詩集についての感想を下さった。 どの部分を見ても文字がウヨウヨしていて次々に眼が泳いでいくようでリズムが正しく動いているのだろうなあと思う村嶋正浩さん詩集『晴れたらいいね』で、「走っていきたくて」という詩の、「むかし魚や虫であったことも忘れがたい思い出で、」「遊ぶのも弟だった頬白なのさ、」「留守番はいつも金魚玉の金魚とゴムのカエルにさせて、」「畳を這うものが毒虫か何かわからない」。予想してなかったおそろしい顔も流れて登場してくるので、次に何があるのかわからずにクネクネ変身を続けている明るい明朝体の明るい本で、表紙に鳥がいました。 この詩集の担当は愛さん。愛さんの好きな詩は最後に置かれた詩「いつもありがとう」であるということ。 村嶋さんは、かつてふらんす堂で刊行した句集『海へ帰る』の今は亡き著者・相生葉留美さんのご夫君であることをつけ加えておきたい。 相生葉留美さんもまた詩人だった。
by fragie777
| 2011-06-18 20:18
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